320. 密かなる厳命
相互不干渉。
聖伐教団のマルゼス・フレイミングに対するスタンスと、その内容。
「これを命じられていたのは、聖伐教団でも人事権を持つ司祭以上の階位にある者と、各地の神殿従士長や神官長。それと私やティオのような限定階位を持つ教団員のみなのだけど」
ふわりと、法衣をはためかせながらフェレシーラがソファーから立ち上がり、告げてきた。
「かの『煌炎の魔女』と関わり合いとなることを固く禁ずる。もし遭遇することがあれば、非戦非交渉でその場を離脱し、司祭長リファ・ライドゥリズ・アレイザに報告を行うように」
ある程度の権限・階位・実力を持つ者のみを対象とした、行動制限指示。
その内容を耳にして、俺はある出来事を思い出す。
俺とフェレシーラが、初めて出会ったときの事。
生まれ育った塔より追放され森を彷徨っていた俺を、影人の化けた姿だと判断したフェレシーラが攻撃を仕掛けてきたときの事。
もはやこれまでと『マルゼス』の名を俺が叫んだことで、彼女が一瞬にして戦闘を放棄した姿を。
こちらが未だ『煌炎の魔女』の弟子であると思い込んだフェレシーラが、非礼を詫びて降伏にも等しい対応を取っていたことを、俺は思い出していた。
いまこうして振り返ってみても、可笑しな話ではあった。
如何にマルゼス・フレイミングの名がレゼノーヴァ公国において、『魔人殺しの英雄』として鳴り響いていたとしても……
フェレシーラほどの使い手がそこまでの反応を示していたことに、首を傾げてしまう部分があった。
だがそれも、この情報の開示により納得のゆくものとなる。
そういう事情があったのであれば、『煌炎の魔女』より禁忌とされた反応への引き金となりかねない、俺という人間への扱いに慎重になるのも、フェレシーラの立場からすれば当然だからだ。
こう言ってはなんだが、マルゼスさんから俺が破門された身だと知った後も、変に遺恨を残して問題にならぬよう、気を使って接してくれていた、というのもあったのだろう。
そう考えれば、彼女自身は『隠者の塔』には近寄ろうとせず、俺にマルゼスさんの元に帰るようにと促してくれたことにも、また納得がいってしまう。
聖伐教団でも一部の者にしか下されていない命令というだけあり、俺にこれを伝えるべきかどうかも、ティオと相談の上で決めていたのだろう。
その証左であるが如く、あの喧しい青蛇の少女は瞳を伏して事の推移を見守っている。
フェレシーラと出会ってからの、彼女の反応・行動を鑑みても……納得のゆく話だった。
しかし同時に、新たな疑問も湧く。
何故、このレゼノーヴァ公国において強い影響力を誇る聖伐教団の、その最高指導者であるという教皇という立場にある者が……
人々に『聖伐の勇者』と称されたマルゼス・フレイミングへの、秘密裡ながらも徹底した不干渉を強いるのか。
その理由が未だわからない。
そしてそれだけの、警戒ともいえる対応を敷く聖伐教団の中核である大教殿が、何故『煌炎の魔女』の元弟子である俺のことを調べあげ、勧誘に踏み切ろうとしているのか。
それもわからなかった。
「この命を与えられていない教団員、または一般の者が『煌炎の魔女』と遭遇し、何らかの反応・問題を引き起こしたことを知った際は、速やかに対象を拘束。秘密裏に大教殿へと連行して身柄を引き渡す」
そんな俺の内心を知ってか知らずか、フェレシーラが淡々と告げてきた。
その表情に色はなく、感情の揺らぎも感じられない。
伝えるべきことを伝える。
それに専心しているようにみえるが、何処か他人事のようにも思えてしまう。
「以上が、私が教皇聖下より授かった御言葉よ。まず話せることはここまでね。加えて言うのなら、一般の教団員も依頼で向かう以外、『隠者の森』への立ち寄りは禁止されているから。もし森に踏み入っても、その時は教会を通して誰が動いたか把握済みって仕組みね」
「なるほど。その一般の者、ってラインに迷う感じはするけど……確かにその内容なら、俺はギリギリセーフで見逃してもらえていた、ってことなのか?」
「いやいや……ギリギリセーフより、ギリギリアウトって感じなんだけどね。大教殿の連中からしたら」
フェレシーラの言葉を受けてこちらが感想を述べると、それまで沈黙を保ってきていたティオが、唐突に口を開いていた。
「大教殿の皆して、マジで驚いてたからね。ま、いきなり白羽根様から『隠者の森に大規模な地下霊銀層を確認。未確認ながら、マルゼス・フレイミングは隠者の塔に不在との情報もあり』なんて報告があがってきたんだから、それも無理のない話なんだけどさ。リファのヤツの慌てっぷりとか、半端なかったからねー。いま思い出してもアレは面白かったなぁ」
「あのねぇ、ティオ。貴女どの口でそんなこと言ってるのよ。元はといえば、貴女が『骨休めにどおー?』とかいってあの依頼を回してきたから、こんな状況になっているんですけど?」
「あっはっは。ごめんごめん。まさか場所があの『煌炎の魔女』の縄張りだったなんてねー。なんか全然聞いたこともない村の名前で、細かいことまでわかってなくてさー。たしか、サクシュ村とか――」
「シュクサ村な」
「シュクサ村よ」
「って、はやっ! 二人してツッコミ速くない!?」
「まあ、そこはともかくとして、だ。なんでマルゼスさんに教団が接触してきていなかったのかは、納得がいったよ。そういうことなら、不干渉を命じられていたフェレシーラなら問題は起こしにくい、ってことでシュクサ村の依頼を受理できたのも、理屈だしな」
驚愕の声をあげるティオへと向けて、俺は一先ず得心の頷きを繰り返す。
そうしながらも、思い返してゆくのは嘗ての師であった人の言葉。
「これはあの人からの聞き齧りったやつだけどさ。マルゼスさんは元々教団員でもなければ、ラグメレス王国にもレゼノーヴァ公国にも仕えていなかったって話だったし。魔人将を追い払った褒美をくれるっていうからあの森の一部を要求したら、なんか知らない間に全部自分の物ってことになってたって。そう聞かされていたけど……」
「あー、そこら辺の話は皆フツーに知ってるね。なんでも彼女が移り住むまでは、あそこら辺って魔の森だとか還らずの森だとか言われていたんだっけ。古種階級の魔物がうじゃうじゃしてて、人っ子一人寄りつかない魔境扱いのさ」
「だな。まあそういう危険すぎる魔物や魔獣は、マルゼスさんが早めに倒していたみたいだし、後々は術具も使って森から追い払う、って形になってたな」
「なるほろ……なんか聞けば聞くほど規格外だね。そりゃ聖下も関わるなって言うよなぁ……素直に従ってくれるんならともかくさ」
情報通のイメージがあったティオだけに、流石にここらの話は既知のものだったらしい。
まあコイツの場合、お喋り大好きってのが一番の理由なんだろうけど。
ところでティオさん。
そろそろ寝台を返還してくれてもいいんですよ?
一夜限りとはいえ、そこは俺の領土なので。
出血大サービスでホムラの横で寝てもいい権利を差し上げてくれようか。
なんてしょうもないことを考えつつも、更なる質問を行うべく思案を巡らせる。
そうしている内に、自然、フェレシーラと視線が交わった。
「そういやさ……話せないことっていうのは、何なんだ?」
「あら。それ、私に聞いちゃうの?」
「勿論だ。ぶっちゃけお前には聞いておきたいこと、山ほどあるからな。機会があれば全部聞きたいってのが本音だぞ」
「ふぅん。なるほどねぇ……」
こちらの言葉を受けて、フェレシーラが俺の周囲を回る形でゆっくりと歩きだした。