317. 二つの餞別
「ハンサくん。例の物をここに」
「御意にございます」
パチンと音を立てて、とエキュムの指が芝居がかった動きで打ち鳴らされる。
それに従い、向かいの席にいたハンサが立ち上がってきた。
一体いままで、何処に隠していたのだろうか。
その手の中には筒状に丸められた羊皮紙が納まっており、それが俺の目の前のテーブルへと広げられてきた。
「こちらに御目通しくださいませ、フラム殿」
「あ……はい」
言われるまま、羊皮紙を覗き込む。
おそらくは羽根ペンとインクでもって、横書きで認められた書面だ。
外周は幾何学模様に縁どられており、若干目に痛い。
「そこに書いてあるのが私の裁量で提示できる条件だ。すべてを通すとなると、多少時間はかかってしまうがね」
エキュムの声に促される形で、羊皮紙に書き記された文言を読み進める。
内容はこうだった。
レゼノーヴァ公国の正式な住人であることを示す、公民権の獲得。
公国内でのグリフォンを含む幻獣の所有を合法の物とする、第二等幻獣保持証の発行。
それに加えて、月ごとに与えられる俸禄といった待遇等々……
フラム・アルバレットがスルス家に仕えた際に発生する様々な権利が、そこに記されていた。
「うっわ、なんだこれ。盛りまくりもいいとこな条件じゃん。青田買いにしてはやりすぎでしょ」
「へぇ……流石によく調べさせているわね。これならここで暮らしていく分には不自由はないかな」
そう言ってこちらの両脇から書面を覗き込んできたのは、ティオとフェレシーラだ。
俺に対する勧誘の条件を目にして、ああだこうだと好き勝手に感想を口にしていく二人だが……
当たり前なのかは知らないが、この書状。
下側に記されている『レゼノーヴァ公国ミストピア領主エキュム・スルス』の署名の部分に、押印がされていない。
加えていえば、一番下の部分にちっちゃい字でこちらが果たすべき責務に関してびっしりと書き込まれている。
幾何学模様の縁の部分に溶け込むような配置にしてある辺り、作為的なものがある。
とはいえ、これが破格の条件であることに変わりはない。
既にセレンの助力を得て申請してある公民権については、審査が通るかわからない。
ホムラと生活する上での諸問題をクリア可能な幻獣保持証も、喉から手が出るほど欲しい代物だ。
給金に関しても、相当弾んでいることがわかる。
ティオが言っているように先物買いもいいところな条件だし、フェレシーラの言うとおりに何の不自由もなく、ミストピアで生活してゆけるだろう。
「さて。この話、受けてもらえますか?」
都合三度、書面の内容を見返し終えたところエキュムが尋ねてきた。
その口調は穏やかではあるものの、こちらに向けられた視線は熱を帯びている。
如何に無礼講とはいえ、酒の席での戯れではないことは明白だ。
それに対して俺は瞼を閉じて、深呼吸を行う。
自分でも緊張しているのがわかった。
その理由もわかっている。
返すべき内容は単純だ。決まりきっている。
だが、切り出し方が難しい。
しかしいつまでも返事に及ばないのも、礼を欠く行為だろう。
「エキュム様」
瞳を見開くと同時にその名を口にして、そのまま一気に俺は告げた。
「この度は身に余る評価をいただき、光栄です。ですがこの話、お断りさせてもらいます」
溜息が一つ、吐き漏らされた。
一領主にそれをさせる。
正直にいって、生きた心地がしないが……こればかりは譲れなかった。
「理由を聞かせてくれないかな。ああ、それについてあれこれ手を回すつもりはないよ。単純に、フラれてしまったわけが知りたいだけだからね」
「はい。公都アレイザに向かい、まともに術法が使えない原因を探り、それを克服したいと考えています」
「なるほど。報告には規格外の魔術を行使する、ともあったが……そこも訳ありということだね。その為に白羽根殿も同行していると」
「お察しの通りです」
「ふむ……ではもう一つ。君の師があの『煌炎の魔女』マルゼス・フレイミングだという噂については?」
エキュムの発した淀みない問いかけに、俺は一瞬、息を詰まらせてしまう。
だがしかし、それは飽くまでも一瞬のことだった。
「嘗てはそうでした。今は破門された身なので、あの人を師と呼ぶことはありません」
「フラム」
答えを返すと、横から声がきた。
フェレシーラだ。
見れば彼女は、心配げな眼差しでこちらを見つめてきていた。
「大丈夫だ、フェレシーラ。もう……大丈夫になってたみたいだ。ありがとう」
「……それならいいけど。エキュム様、割って入ってしまい、ございませんでした」
「構いませんよ。それよりもフラムくん。立ち入ったことを聞いてしまい、私こそ申し訳なかった。答えてくれたことに感謝するよ」
深々と頭を垂れたフェレシーラには鷹揚な頷きで、そして俺に対してはしっかりと頭を下げてから、彼は続けてきた。
「ハンサくん。あれを」
「御意にございます」
エキュムの呼びかけに、沈黙を保っていたハンサが再び動く。
その手には黒い小さな箱が乗せられており、それが音もなく俺の目の前に置かれた。
……え?
まだ何かあるんですか?
なんか流れ的に、これでお終い感が凄かったんですけど。
というかハンサさん。
貴方どれだけ色んな物、隠し持ってるんですか。
なんかこの場で暗殺者とかが襲ってきても、普通に武器引っぱり出して応戦しそうだなこの人。
まあこの面子を相手にそんな真似に及んでくる命知らずがいたら、それはそれでお目に掛かりたい気もするけど。
って、今はそんなこと考えてる場合じゃなかった。
「あの、これって」
「うんうん。開けてみるといいよ」
ニコニコとした笑みを浮かべるエキュムに戸惑いつつも、その勧めに従い、箱の蓋に手をかける。
艶のある黒塗りの箱の蓋に、留め具の類は見当たらなかった。
どうやら単純に上蓋が被せられているだけのようだが……
緊張しつつも、蓋を外してテーブルの上に置く。
「ん? なにこれ。これって……カード?」
「みたいだけど。あ、二枚あるわね」
中を覗き込もうとすると、またも両脇からティオとフェレシーラが身を乗り出してきた。
ハッキリいって邪魔である。
幾らなんでも窮屈すぎるからやめて?
ていうかティオさん、酒臭すぎますよ?
フェレシーラさんはいい匂いですが、こっちはこっちでなんか照れ臭いから困る。
「ああ、これって公民権の仮取得証じゃん」
「もう一枚は……幻獣保持証ね。期限は半年で、鳥獣種のみが対象の……ってことは、ホムラはグリフォンだし。当面はこれでオーケーな奴か」
「え? マジでか? というかお前ら、まず俺に見せろって……あとちょっと離れてろ! ちゃんと受け取らないと、領主様に失礼だろ! あ、というかコレ、頂いちゃってもいいのでしょうか……!」
「勿論、構わないよ。私からの餞別だ。未来ある若者へのね」
どたばたとし始めた招待客たちを、主賓の男がにこやかな笑みで見守る。
餞別というには、大きすぎる贈り物だ。
流石に裏があるのではと感じてしまうが……
変に遠慮して逃してしまうには、あまりに勿体ない代物なのも確かだ。
「ふぅん。わざわざこんな物を用意していたってことは、最初から誘いを断られると思っていたってわけか。その上で恩を売りにいくだなんて。フラムっちのこと、随分と高く買ったもんだね」
「いやぁ……それが実は、断られるとはまったくおもっていなくてね。取り敢えずの御褒美にと考えていただけだよ。ま、なんにせよハンサくんがベタ褒めしてきた若者だ。どうせ発行させた物だし、それならかけられる粉としてかけておくのが得策というものでしょう? はっはっは」
「なるほど。たしかにこの手の許可証は、むしろ取り消しのほうが面倒ですものね。そういうことなら、遠慮なく活用させてもらいましょ」
「エキュム様……その話は他言無用と頼んでおいた筈ですが」
うん。
本当に、こちらへの評価とお気持ちは嬉しいです。
嬉しいんですけどね?
ちょっとビシッとお礼を言わせて欲しいので、一度全員、席についてくれませんかね?
それとその許可証二枚、ボクまだ触れてもいないのですが!