316. 戦士の貌
「今回はちょっと相手が悪かったみたいね、ティオ」
「フン……! なら、キミだったらどうするって言うんだい。白羽根フェレシーラ」
領主エキュムとの、俺を巡る(?)交渉の結果。
聖伐教団の狙いと後ろ盾を前面に出しつつも、その悉くを躱されたティオが不貞腐れた顔で、一度は閉じた酒瓶の蓋を開けていた。
「そもそも魂胆が透けて見えすぎなんだよ。美味しい餌で世間知らずの男の子を釣りあげておいて、上手く料理しようって肚だろ。コイツをスルス家の子飼いにした上で教団の勧誘にオーケーを出せば、それだけで大教殿の上層部に恩も売れるし、ミストピアの戦力として外に出さずに済む。ほんと、わかりやすい一石二鳥狙いだよね」
自身が安酒と断じていた透明な液体でグラスを満たしつつ、不良神官が管を巻く。
エキュムに関する話でもあるのに、既に敬語の欠片も見当たらない口調である。
なんだかんだ、コイツ酔っぱらってるな。
まあエキュムをそんなティオを咎める風でも腹を立てる風でもないので、酒の席の無礼講、という奴なのかもしれないが。
でもこれは多分、エキュムが大らかすぎるだけだろう。
「ていうかさっきから、そこの副従士長もなんで黙って飲んでるんだよ。そっちだって自分のいる神殿より先にコイツを取られちゃダメだろ。どんだけタダで世話焼いてやるつもりだよ。カーニンのおっさんに説教くらうぞ。聞いてんのかエセ執事」
「お気遣い感謝いたします、青蛇殿。しかしながら我が父、ランクーガー家当主ガドム・ランクーガーは、魔人戦争の折よりエキュム様に仕え続ける身。親父殿の意向を確かめぬ内に、というわけにはいきませんので。ここは静観させて頂きます」
「あー、出たよ出たよ。騎士崩れの家のダブルスタンダードが。神殿の連中って、何かにつけてそんな感じで領主と教団の間を行ったり来たりするよね。ぶっちゃけ、この国の領主制もいつまで続くかわかんないっていうのにさ。それはそうと、そのオールバック似合ってるよ」
「ありがとうございます」
「それぐらいにしておきなさい、ティオ。幾ら『解毒』があるからって、飲み過ぎよ。自前で使えなくなっても面倒見てあげないからね」
突如ティオに絡まれたハンサが嫌味なく頭を下げたかと思うと、そこにフェレシーラが口を挟んできた。
「なんだよ、それぐらいにしておけって。じゃあキミならどうするんだよ。コイツを持ってかれて一番困るのはキミだろ」
「それもうさっき聞いたから。というか……私はこの件については嘴を突っ込めないし」
「はあ? なんでだよ。いつもの白羽根様なら、自慢の戦鎚突きつけてでも黙らせてるだろ」
「そんなどこかの蛮族みたいな真似、いつもするわけないじゃない。あと、横槍を入れないのは単純にいまはエキュム様に頭が上がらないだけよ。ちょっとした借りがあるから」
「借りぃ? 一体なんの借りだよ。どうせまた、勢い余ってなんかぶっ壊しちゃったとかだろうけどさ」
「いい加減にしないと、いつもの方法とやらで黙らせるわよ? 借りっていうのは……その」
そこまで言って、フェレシーラはグダる親友との会話を途切れさせた。
……と思ったら、何故だかちょっと困ったような顔をして、こちらを見ている。
「ん? なんだよフェレシーラ。その借りっていうのは、たしかに気になるけど……あれ? もしかして、なんか俺に関係している話なのか?」
「ええ、まあ……そうね。この際だし、ちゃんと話しておきしょうか。当のエキュム様もいらっしゃることだし。よろしいですか、エキュム様」
「私は構いませんよ。もっともその話をしてしまうと、教団的には不利になるとは思いますが」
「そこは構いませんので……それでは、失礼をして」
コホンいうとわざとらしい咳払いと共に、フェレシーラがこちらに向き直ってきた。
「呪金。あったじゃない。フラムの名義でミストピアの教会に、影人の調査依頼を申請したときに。報酬として用意した奴が」
「ああ、あったなそういえば。たしか元は美術品って言ってたけど――って」
え。
ちょっと待って。
ここまでの話の流れから必然的に、俺は以前、フェレシーラが口にしていた言葉を思い出す。
「まさか、あの呪金の宝玉……この街の知り合いに頼んで工面してもらったって、まさか、領主様に頼んで譲ってもらってたってことか!?」
「ピンポーン。大正解。フラムくん、大変良くできました。相変わらずいい記憶力してるわねぇ」
「感心してる場合か! ああ、でも、たしかにそうだよな……!」
術具式の呼び鈴の音を真似てニッコリと微笑んできた少女を前にして、反射的に頭を掻き毟る。
考えてみれば、という感じではあった。
あれほどの呪金の宝玉。
幾らフェレシーラが公国内で顔が効く存在だとしても、譲ってくれと頼んだところでポンと提供できる者などそうそういる筈もない。
いたとすれば、それはそもそも相当に暮らしに余裕があるか、もしくはフェレシーラに大きな借りがあるか……或いはその両方という、前提条件が付くだろう。
「それが領主様だったってわけか……どうりで……!」
「白羽根殿には、以前この街を襲ってきた魔物を撃退してもらったことがありましてね」
こちらの想像の余白を埋めるようにして、エキュムが口を開いてきた。
それは当然、神殿従士としての務めではあったのだろう。
「本来であれば、公国軍と教団員とで連携した上で時間を挑まねばならぬ、それほどの脅威でした。生半可な戦力で対応したところで、死人の山を築くのみでしたので。そこに白羽根殿が現れ……単身で立ち向かい、見事撃退にまで漕ぎつけた。正に『聖伐の戦姫』……『白羽根の聖女』の名に相応しい、力戦ぶりでした」
「下手に前線に立つ者を増やしても危険、というだけの話です。噂としてはそういう事になっていても、後方から神官や魔術士の支援は受けていましたから」
「謙遜ですね。まあ、あれの尾撃を受けたときはヒヤッとさせられたのも事実ではありますが。事実こうして貴女は生きてここにいる。脱帽です」
傾けたグラスの奥より琥珀色の液体を通して、彼は『白羽根の聖女』を語る。
「思い返してみれば、『光弾の担い手』の渾名が広まったのもあれからでしたか。天をも貫くと讃えられた一撃、お見事でした。あれほどの『光弾』は、魔人どもとの戦いでも記憶になかったですね」
嘗てこの地で巻き起こった、魔人との戦い。
それを懐かしむエキュムの顔は領主のそれではなく、戦士の貌だった。
そうか。
そうだよな。
のんびりした雰囲気に騙されていた、ってわけじゃないけど……
昔はこの人も、マルゼスさんが斃した魔人たちと戦ってきたんだもんな。
領主ということもあって、ティオがやり込められたように思えていたけど、そうじゃないんだ。
そもそも己の力で大乱の時を生き残り、領主という地位を得た人なのだ。
それを理解すると同時に、俺はそういう人より誘いを受けていたのだとも、自覚する。
「さて……昔話になると、どうしても年寄りは話が長くなってしまいますからね」
クイ、と軽く酒を呷り、彼は言ってきた。
「返事を聞かせてもらいましょうか。フラム・アルバレット。勿論、その為の条件を聞いてもらってからね」
事の順序を入れ替えつつの要求に対して、俺は居ずまいを正し、頷きで返していた。