314. 泰然たる願い出
「なんと……もう退席されるといわれるのですか」
ややオレンジがかった色合いへと切り替えられていた水晶灯の輝きの元、深みを増した真紅のカーペット。
「まだ夜も更け始めたばかり。フラシーラ殿も、もう少し楽しまれていっては」
「お誘い、ありがとうございます。ですが明日には影人の討伐が控えているので……それと、私の名前はフェレシーラです」
「おお、これは失礼をば。ではフェレム殿だけでも、ゆっくりとされていかれてはどうでしょうか」
「あ、いえ……自分もフェレシーラと一緒に冒険者ギルドの依頼をこなさないといけないので。あと、俺の名前はフラムです」
「まあまあ、そういわずに。二人ともこちら。ペスカザントから取り寄せた質の良い蒸留酒があるのですよ」
そのカーペットの色合いにも負けぬほどに、顔を赤くしたおっさん――
もとい、ミストピア領主エキュム・スルスが大食堂の上座より、俺とフェレシーラに声をかけてきた。
「いま、丁度ハンナくんから君たち二人のことを聞いていたのですよ。ミストピアの神殿に来てからというもの、中々の面白いものを見せてもらっているとかで。ねえ、ハンパくん」
「自分はハンサです。というか一度喋る間に二度も間違えないでください」
エキュムから一番近い席につき、淡々とした口振りでツッコミをいれているのはハンサさん。
既に夕食の皿は片付けられている。
閑散とした、食堂に残っていたのは二人と家令のおじいちゃん、そして護衛の兵士たちだけだ。
どうやら晩餐会に招かれたいた他の皆は、床に就くために貴賓室へ向かったか、ミストピアの神殿へ戻ったか、という状況なのだろうが……
どうにもこの領主様、口調こそ素面だが完全に酔っぱらってしまっている。
さっきからハンサの名前を「ハンク」やら「ハント」やら「ハンス」やらと。
どんだけバリエーションを増やすつもりなんだといいたくなるほど、口を開くたびに間違えまくっている。
ちなみにその横でグラスに注がれたワインをパカパカと空けているハンサは、大して顔も赤くなっておらず、普段通りといった感じだ。
お酒が飲めない身としては、彼の飲み方の良し悪しはわからないけど……
多分こうしてハンサがずっとエキュムに付き合っているから、他の皆は退席出来たのでは、という感じがしてならない。
しかしエキュムも折角戻ってきた俺とフェレシーラを、簡単に部屋に戻すつもりはないのだろう。
やんわりとした口調ではあるが、退室しようとするこちらを引き留めまくってきている。
無論、そこに悪意は感じられない。
ただ純粋に、酒の席で面白い話が聞きたいだけ、といった様子だ。
それだけに、ズバッと断りのみ入れてこの場を去る、というのも難しい状況なのだが。
「どうする? フェレシーラ。この調子だとマジで明日に響く気はするぞ」
「そうね。街への移動もあるし、強引にいきましょう。この場はハンサに任せて、後日また」
「お。ここにいたんだ、お二人さん」
小声となってフェレシーラと相談していたところに、背後からの聞き覚えのある声がやってきた。
二人して反射的にその場を振り向く。
すると、そこにいたの青蛇神官ことティオだった。
「まあまあ、二人とも座りなよ。領主様も話したいことがあるんだろうしさ」
「いやいや。お前だって知ってるだろ? 明日からこっちも忙しいだから、ここでズルズルいくのわけには」
「わかるよ、キミの言いたいことは。でもボクは、ここで強引にお誘いを断った結果……明日の帰りの馬車が用意されていなかった、なんて事態を想定しちゃうけどね。言いたいことを言わせておかないと、こういう人達はなにかと面倒だよ。どれだけ人が良さそうに見えてもね」
「う……」
「ちょっと、ティオ。声が大きい。まあでも、貴女のいうことも一理あるか。一旦座りましょう、フラム」
明日、ミストピアの街へと向かう馬車を出してもらえない可能性がある。
もしそんな事が起こり得るとしたら、それは多分、嫌がらせでもなんでもないのだろう。
領主であるエキュムが、伝えたい事を伝えられていないから、それが終わるまでは相手を帰さない。
それがこの街の道理に則った行いであるというのは、考えるまでもないことだった。
同時に、彼の機嫌を損ねるのも不味い、というのもわかる。
主に忠告をしてくれたティオのお陰ではあるが。
フェレシーラがティオの提案に乗ったことを鑑みても、『面倒事は先に済ませておく』のが無難だろう。
まずはフェレシーラがエキュムの一番近くに。
そしてその横の席に、俺とティオが着座した。
「うぇ……なんだよこの安酒。香りは薄いし、味は単調。アルコールばっかりキツくて、酷いなコレ」
「え。それってさっき、領主様がペスカザントから取り寄せたお酒だっていってたぞ」
席に着くなりグラスを傾けて酒の品評に及び始めたティオに、ツッコミを入れる俺。
当然飲めるわけでもないので、縦長のグラスに盛られていた細長い焼き菓子っぽいものに手を伸ばす。
なんかポリポリしてて、結構ウマイなこれ。
程よく塩が効いているからか、優しい甘みがある。
「ペスカザントっていえば、竜人の国で酒造りもわりと盛んな方なんだろ? そこの酒がそんなに酷いとかあるのか? しかもこんな場所で飲むヤツがさ」
「馬鹿言っちゃいけないよ。確かにこれはペスカザント産の蒸留酒だけど……二流品にも及ばない粗悪品だね。こんなモノを卸してたら国の格が下がるぞ、まったく」
「そこまで文句言うんなら、飲むのやめろよな……ていうかお前、未成年だろ!」
「細かいことは気にしない、気にしない。あ、お酒に関しては細かくないので悪しからず、ってことで!」
「二人とも静かに。エキュム様からお話があるそうよ」
会話の最中、フェレシーラから窘めの声が飛んできた。
それを受けて、俺は椅子の上で背筋をピンと伸ばして、姿勢を正す。
横目で探ってみると、ティオも一応はグラスを置き、居ずまいを正しているようだった。
「うんうん。若い者は元気があっていいね。そういえば君たちも今日、神殿で一戦交えたとか。魔幻従士殿から話は聞いているよ。あのペルゼルート殿の愛弟子と、噂の少年の戦い。間近で見てみたかったものだね。なあ、フラグくん」
「あ、はい……領主様にそこまで言っていただき、恐縮です」
「ありがたきお言葉を賜り、光栄です。ま、ボクの完勝だったけどね」
お前は一々一言多いよ、ティオ。
しかし、この領主様……
ペルゼルート元将軍の名前は間違わないあたり、この言い間違え、わざとなんじゃなかろうか。
ティオの口振りでは、何かこちらに言いたいことがあるようだけど、いまいちキャラってヤツが掴めない。
「そう堅くならずとも善いよ。パトリースも君には世話になったようだしね」
チン、といつの間にか空となっていたグラスの縁が、指先で弾かれた。
真っ白いテーブルクロスの上に、両肘がつかれる。
「聞けばフラムくんは、公都を目指しているらしいが」
きた、と思った。
しかしそれは直感でもなんでもない。
倒れるか倒れないかでギリギリ踏みとどまった空のグラス、それを打ち鳴らされた時点で、自然耳が彼の発する言葉に聞き入ってしまっただけだ。
言ってしまえば、それは一つの技術なのだろう。
対話において、駆け引きにおいて、どれだけ容易に主導権を握るか。
泰然とした所作と飄々とした言葉の端々に、そうしたものを潜ませながら――
「どうだい? 君さえよければ、このままこのミストピアに滞在して……我がスルス家の、支えとなってはくれまいか」
ミストピアの領主、エキュム・スルスはそんな『お願い』をこちらに叩きつけてきた。