306. 『戸惑い』
男性用のドレスルームは、女性用のものと比べるとスペース自体は広い。
だが、衣装棚と備品の数ではまったく及ばない。
男女の差。
常日頃目にしてきた筈の、あって然りで些細な違い。
それが今は、まったくの別種の生物の差であるかのように思えてならなかった。
手持ち無沙汰さから椅子に腰かけてはいたが、どうにも時間の感覚がおかしかった。
あれから一体、どれだけの時が過ぎたのかが判然としない。
両膝の前でだらりと組ませていた掌へと、俺は視線を落とす。
そこにガチャリという、扉のノブが回る音がやってきた。
「オーッス! フラムっち! 元気してたかなー?」
両側内開きの扉のど真ん中を勢いよく開け放ち、姿を現したのはティオだった。
知らずの内に、組みっぱなしにしていた両の掌に息がこぼれる。
「あれま。人の顔を見るなり溜息とは感心しないね」
「今のは安心したからだよ。ありがとう、ティオ。助かった」
「いやぁ、どういたしまして。友人として当然のことをしたまでだよ」
向かい側にある女性用のドレスルームからやってきたであろう少女に礼を述べると、朗らかな笑みがスタスタとこちらに向かってきた。
「……と言って、済ませてあげられたらいいんだけどねぇ」
その歩みが、こちらの目の前でピタリと止まる。
鎖の音はしない。
イコールそれは、彼女の持つ牙が獲物へと標的を定めているという、証左だ。
「ボクの咎人の鎖ってさ。初めて使った時に、彼女にあっさりと壊されちゃってたんだよね」
不意にティオが、話の筋から随分と逸れたことを口にしてきた。
「なんだよ、いきなり」
「まあ、いいから聞きなって。完全に無関係ってワケでもないからさ」
黄銅色の鎖の先端、槍の穂先にも似た鎌首と金色の瞳をこちらに向けて、彼女は続ける。
「まあ、完全おニューで使い慣れてなかったっていうのもあったんだけど。そこに関しては、フェレシーラだって初見の戦術具で特性も把握出来てなかったから、トントンってことにしてもだ。結論、何が言いたいかっていうとね」
スゥ、と目を細めて、青蛇の神官は言った。
「今の彼女なら、丸腰でも余裕で殺れるなと。そういう話だよ」
「……それって結局、話が明後日に飛んでいったままじゃないか?」
「そうでもない。とどのつまり、『なにやってんだよ、キミは』って話に戻るからね」
なるほど、と思い俺は押し黙る。
今のフェレシーラは、戦えないほど弱ってしまっている。
そしてその原因と責任はフラム・アルバレット、即ち俺にある。
ティオが言いたいのは、そういうことだろう。
そしてそれに対して、俺は何も言えない。
何故なら彼女は、あれからフェレシーラの為に手を尽くしてくれていたからだ。
「領主様を通して家令が使用人をつけてくれている。無理にあの恰好でいる必要もないから、大した手間ではないよ。警護の責任者にも、ちょっとしたアクシデントで実害なしと伝達済み。晩餐会の参加者は、いきなりぶっ倒れたキミの容態含めて気にしていたけど、まあそこも大丈夫。それとちなみに、査察団のメンバーはドルメ以外神殿に戻ったよ」
「そっか。何から何まで、ありがとう。どうすればいいのか、全然わかんなくて……正直助かった」
「なにいってんだかね。わかんなくて困ったのはこっちだよ。というかボク、それを聞きに来たんだけど?」
「……ですよね」
こちらに向けて肩を竦めてきたティオの言葉に、俺は再び押し黙ってしまう。
何から……いや、何処まで話していいのだろうかと、迷う。
気付けば無意識の内に翔玉石の腕輪を撫でてしまっていた。
この『白霧の館』を訪れてからも、ジングが起きてくる気配はない。
それに軽い引っ掛かりを感じつつも、俺は肚を決めた。
「皆には黙っていて欲しい」
「オッケー。口裏は後で合わせるけど、キミに任せるとボロが出るからね。そこはボクに任せていい。ただ、何かの拍子で誰かにポロっといく可能性はあるってのは、お忘れなく」
「わかった。それを踏まえて話す」
「うんむ。ドンときたまえ若人よ」
「いやいや……お前と俺じゃ大して歳の差ないだろ。経験の差があるのはわかるけどさ」
ティオのストレートな物言いを受けて、俺は言葉を選び、事の顛末を話し始めた。
暫しの間、部屋の中にこちらの呟きだけが響く。
医務室でのフェレシーラとのやり取りは、一応ブローチの件は伏せつつ。
ダンスフロアでのアクシデントに関しては、具体的な表現は可能な限り控えて。
お姫様抱っこで彼女をドレスルームまで移動させたことも口には出せず、俺はティオへの説明を終えた。
「おい」
「はい」
「伏せすぎだろ」
「言えないだろ」
「言えよな」
「なんでだ」
「そんなの決まってるだろ。いまキミに聞いた程度のことで、彼女があそこまでショック受けるわけないだろ。ぜっーーーーーーーたい、まだ何か隠してるだろ。色々と! ていうかこっちはもう一部、あの子から聞いてるんだからな! そっちが隠したかった部分、バレバレなんだよ! このスケコマシ!」
「スケ……!? って、もう聞いてるってなんだそりゃ! お前、そういう事は普通先に言うもんだろ! もう信用ゼロだぞ! むしろマイナスだ、マイナス! 絶対皆に言いふらすだろ! この不良神官! ていうかお前、あの滅茶苦茶な代理戦はなんだったんだよ! 皆して俺に賭けてたけど、ちゃんと配当金出してるんだろうな!」
「うるさいよっ! あんなの査察団側に賭けた人がいなくて不成立に決まってるだろ! 完全に予想外だよ! どうなってんだよ、ここの連中のキミへの評価は! 9対1だよ? なんで全員迷わず大金賭けるかな!?」
「知るか、んなコト! 結果的に的中させたんだから、なんか奢るなりしろよな!」
気付けば俺は椅子から立ち上がり、ティオと真っ向から睨み合ってしまっていた。
いやマジでなんなんだ、コイツは。
珍しく真面目な感じで押してきたから、曲がりなりにも事情を説明したっていうのに……
あろうことか、既にフェレシーラから話を聞いていただとか、反則にも程がある。
ていうか、フェレシーラもフェレシーラだ。
俺が話したことより色々喋ってるって、一体どういうことだよ。
そりゃあティオのヤツの方が、俺よりも付き合いが長いから、気心が知れていて話しやすいっていうか、信頼してるんだろうけどさ。
そこは流石に伏せておいて欲しいっていうか、なんていうか……
ああ、くそっ。
なんかあれこれ考えていたら、ムカついてきたぞ。
大体なんなんだよ。
晩餐会だとか、祝宴だとか。
こっちは全然ついていけてないし、気付いたら飲まされてぶっ倒れてるし。
せめて俺たちなりに楽しむぐらい、別にいいだろと言いたい。
「はぁ……どうにもガキだね、キミは」
「悪かったな、ガキで」
「そう不貞腐れるなって。そうだね……いまの発言は謝罪する。こっちはお願いする立場だしね。済まなかった。この晩餐会の手引きもしていたからね。そこは詫びさせてもらうよ」
こちらが不貞腐れていると、ティオがすんなりと頭を下げてきた。
言うだけ言い合って、スッキリしたというわけでもないが……
取り敢えず、文句ばかり言っていても仕方がない。
なんにせよ手助けしてもらった身に違いはない。
それにコイツからは、代理戦の件について話を聞いておきたい。
一度大きく息を吸い込み、胸に留める。
「どういうことだよ。その、お願いする立場っていうのは」
そしてそれをゆっくりと吐き下ろしながら、俺はティオに問いかけていた。