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305. 許容出来ぬリスク

 目的の場所は、迎賓館内の西側。

 ダンスフロアから伸びる南通路に面した、女性用のドレスルーム。


「ええと、たしか男用の部屋には……お、あったあった」


 そこに辿り着くと、俺は巨大な衣装棚の側面に吊り下げられていた掛札を手に取っていた。

 掛札に書かれた文字を確認して、部屋の入口へと舞い戻る。

 

 間近には人の気配はない。

 出来るだけそっと、音を立てぬようにして両開きのドアを押し開ける。


 通路に響く足音と話声は、そう大きくない。

 それを確認すると、俺は手にした掛札を通路側のノブに引っ掛けて、素早く閉扉へいひを行った。


 入れ替わるようにして、足音が一人分、大きさを増してきた。

 程なくしてそれはドレスルームの前で立ち止まったのがわかった。

 扉のノブが一度だけゆっくりと捻られて、開くことを試みたことも。

 

「おい、そっちに怪しい奴はいたか!」 


 そこに響いてくる、大きな男の声。

 

「あ、ああ……」

 

 扉の前にいた誰かが、それに答える。


「どうした。何かあったのか」

「いや……なんでもない! 南側に、不審な形跡はなかった!」

「そうか。となると、残るは二階部分だな。ダンスフロアから女の叫び声がしてきたということは、吹き抜けを伝ってきたのかもしれん。いくぞ!」

「お、おう!」


 それはこの『白霧の館』に詰めていた警備の兵士の内の、一人だったのだろう。

 一瞬の躊躇いを見せたのちに、そいつは同僚と思しき者と共にドレスルームの前を通り過ぎていった。


「ふぅ……」


 事の顛末を見届けならぬ聞き終えて、俺は安堵の息を吐き漏らした。

 掛札に書かれた文字は『現在使用中』。

 極々ありふれた内容の物だが、場所が場所だけに効果は覿面な様だった。

 

 それも当然だろうと思う。

 

 迎賓館を警護する兵士にとって、不審者を探し捕えること。

 その痕跡を求めて、館中を走り回ること。

 大事なことだろう。

 

 しかし彼ら兵士の出自は、その殆どが一般の公国民となっている。

 つまり、元は市井の人間。いわゆる平民だ。

 

 そして、ここは迎賓館。

 原則的には国内外を問わず、それなり以上の地位にある者が招かれる場所だ。

 そんな場所で一兵士でしかない者が、『賊がいたかもしれない』という理由で『使用中のドレスルームに踏み入る』というのは、中々にリスキーな行為と言えるだろう。

 

 もしもそこで着替え中の貴人の女性と鉢合わせでもすれば、クビが飛びかねない。

 それも下手をすれば二重の意味で、だ。

 

 職務を優先すれば、女性の悲鳴を聞きつけてやってきた胸を部屋の前から伝えて、中にいる者への警告と安否確認を兼ねるべきだが……そこも人次第、やれないヤツはやれない。

 そして先ほどの兵士は、目の前のリスクを許容できないタイプだった。

 一度は扉を開けようと試みて、鍵がかかっていた時点で引いてしまった辺り、わかりやすい。

 

 もっとも、声をかけてきたら声をかけてきたで、何とかフェレシーラに着替えの真っ最中であると答えてもらい、追い返してもらうつもりではあったが。

 

「取りあえず、やり過ごせたな」

「ピ」 

 

 その事実を確かめるようにこっそりと口にしてみると、ホムラが小さく囀ってきた。

 ダンスフロアでのアクシデントから、コイツはずっと慌てず騒がず俺たちについてきてくれている。

 

 以前から度々感じてはいたが、やはりホムラとは、かなり意思の疎通が取れている気がする。

 おそらくそはホムラ自身の賢さに加えて、バーゼルが結んでくれた血の契約による、副次的効果に拠るものだとは思われるが……

 

 お陰でこうしてスムーズに事が運んでくれている。

 なんにせよ、有難い話だった。

 

「んー……やっぱり衣装棚には鍵がかかってるか。ま、部屋自体に鍵がされていなかっただけでも、御の字ってヤツだな。化粧直しでも使うから当たり前なんだろうけど」


 言いつつ衣装棚を一通りチェックしてみるが、空いてる棚は殆どない。

 二つほど開きはしたが、中身は空っぽ。

 目当てにしていた、フェレシーラに羽織らせてよいものは見当たらなかった。

 

 仕方なく、俺は彼女が座る椅子の、後ろ側につく。

 肘掛け付きの椅子は豪奢な造りながら、どこか冷たく寂しい印象に包まれていた。

 

「わるい、フェレシーラ。今はちょっとこれで我慢していてくれ」


 顔は伏せたまま、コクンと頷きだけが返されてきたところに、タキシードの上着を羽織らせる。

 ダンスフロアで渡されていた金のブローチは目立つ感じがしたので、ポケットにしまっておいた。


 ドレスの破損により身動きの取れなくなっていたフェレシーラだが、状況はある意味で悪化してしまっている。

 なにせ俺は、ダンスフロアでしゃがみ込んでしまった彼女を強引に抱きかかえて、このドレスルームに駆けこんできたのだ。


 その結果、フェレシーラ着ていたドレスがどうなったのかは、言うまでもない。

 正しくは、言いたくもない、だが。

 

「よし。それじゃ俺は誰か人を呼んでくるよ。鍵はかけておくから、少し待っていてくれ。ホムラ、フェレシーラを頼んだぞ」

「ピ!」 

「ぁ……」


 二人に伝え終えると、振り返る事なくドレスルームを後にする。

 正直言って、罪悪感で胸がいっぱいだ。

 

 自分から彼女を誘っておいて、置き去りにしてしまうようで心苦しいなんてもんじゃない。

 アクシデントに見舞われたとはいえ、ホムラがついてくれてるとはいえ……

 このまま大声で助けを呼んで、フェレシーラの傍にいたかった。

 それが本音だ。

 

 しかしそれは出来ない。

 ドレスルームを出て、扉を締め切り、鍵をかけて、俺はそこでようやく息を思い切り吐き下ろす。

 通路の壁に背を預けると、背中がずりずりと下がっていった。

 

「クッソ……なんだよ、コレ……」

 

 ついにはペタンと床に尻餅をついてしまうが、一度緊張から解放された体を動かすことは敵わない。

 もしもこんな状態で誰かに攻撃されでもしたら、と考えてしまうのは、我ながら戦いのことばかり考えすぎとしかいえない。

 

 まあ、それが今の俺を支えてくれているという自覚はある。

 魔術士を目指すという目的から、何をもってしても強くなる、ということに目標を切り替えてからというものの……


 手応えのない、報われない、先が見えない。

 破門の身となり、フェレシーラと出会ってからは、そうした日々からは既に解放されていた。

 もっともそれは、自分自身が望んでいた事だ。

 なので文句をいえた義理ではない。

 それはわかっている。

 

 そしていま、確かな手応えを感じ取り、着実に前に進めることにのめり込みつつあるという事も、自覚していた。

 若さゆえの万能感というヤツであろうか。

 自分がどこまでも、際限なく強くなれるのではという、子供染みた夢想すら抱きつつある。

 

 それはいい。

 他者という壁にぶち当たったのならともかく、自らの可能性に蓋をする必要はない。

 そんな物はもう沢山だ。

 魔術士になれなかったことを……あの人の元で誓いを果たせなかったことを延々と引き摺っているよりは、前を向いていた方がいいに決まっている。

 

 しかし、今の俺はそんな自身の意識の変革とは、まったく異なる変化に心を乱されてしまっていた。

 

「くそ……」

 

 目を閉じても尚、フェレシーラの姿が瞼の裏に焼き付いて離れない。

 こんなところでへたり込んでいる場合ではない。

 とっとと人を呼びにいって、彼女をみてもらえ。

 

 そう思い顔を両手で覆うも、腕の中でワルツを刻んでいた少女の笑顔が……その先に起きた出来事が、何をどうしても頭の中から消えてくれない。

 

「なにやってんだ、俺は……!」

 

 柏手を打つようにして、自らの頬を強く叩く。

 辺りに乾いた音が響き、耳朶その奥がジンと痺れるも、効果はない。

 

 あのままフェレシーラの近くにいたら、自分が何を口にしていたか。

 一体、何をしでかしていたか……考えるだに恐ろしかった。

 

「おいおい」


 そこに声がやってきた。

 聞き覚えのあるその声に、じゃらりと鎖の鳴る音が続く。

 

 反射的に顔をあげると、そこにあったのは襟付きの黒い外套に身を包み、金縁の鍔付き帽をかぶった少女の姿。

 

「なにやってんだよ、キミは」


 普段と変わらぬ出で立ちで、しかし初めてみせる呆れ顔を浮かべた、青蛇の神官。

 ティオ・マーカス・フェテスカッツが、俺の目の前にいた。



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