303. 弾む太陽、揺れる月
それは、一握りの太陽だった。
「受け取って欲しいって……これって」
フェレシーラが発してきた言葉を確かめながらも、俺は自身の胸元へと真っ直ぐに差し出されてきた、金色のブローチに目を奪われていた。
小指の先の半分ほどの厚みを持つ、金の真円。
純金のそれよりも幾分鈍いその輝きを見るに、用いられている素材は呪金だろう。
以前フェレシーラが影人調査の報酬用に用意してくれた呪金のオーブも、かなり純度の高い代物ではあったが……
今度のそれは、明らかにレベルが違う。
余程高度な精錬法で生み出されたのだろう。
ブローチが纏う光沢には澱みが一切なく、全体に刻まれた細やかな幾何学模様が、まるで見る物に目が眩むかのような錯覚すら与えてくる。
もしかしたら俺たちの知らない、未知の技術で作成されている可能性すらあるのでは……
そう思ってしまうほどの逸品だ。
サイズこそ女性の掌にすっぽりと収まる程度ではあるが、芸術品としての相当な価値を秘めた品だということは、素人目にもわかる。
同時にそれが、フェレシーラの胸元で輝く銀の三日月と対になる、雌雄一対の品だということも。
「ちょっと訳ありの品で。今までは使わずに持ち歩いていたのだけど……」
そこまで口にして、彼女は口籠る様子をみせてきた。
うん?
これを持ち歩いていたってことは……
「え。もしかしてその霊銀のブローチもなのか? 見た感じ、ペアって感じのサイズとデザインだけど」
「う、うん……」
こちらが疑問を口にすると、フェレシーラが視線を逸らしながらの肯定を行ってきた。
彼女にしては珍しいリアクションだ。
うん。
どうやらこれは、あまり深く事情を追及するべき話ではないらしい。
なんとなくの、勘でしかないのだが……
フェレシーラは、きっとそれなり以上の決心をした上で、俺にこのブローチを預けに来ている気がする。
先程までのやり取りの最中でも、これを納めていたであろう木製のケースを気にしている素振りが見受けられた。
そしてこちらの切り出した『俺を頼ってくれ』という願いに応えるかのようにして、彼女はこのブローチを差し出してきたのだ。
その行動にはきっと意味がある。
あの時、試合場で彼女とぶつかりあった時の様に……必ず意味がある。
「わかった、フェレシーラ。責任を持って預かるよ。それと一応、聞いちゃうけどさ。これって俺を頼りにしてくれてのことだって、思っていいんだよな?」
「……うん」
そう思い手を差し伸べると、そこに少女の掌が折り重なってきた。
微かな震えが伝えてくる、確かな熱。
やがてそこに、ズシリとした重みが加わる。
何故だかそれがなんとも心地よく、俺はそのまま彼女の手を取り小さなアーチを描いてしまう。
「ピ? キュピピピピ……ピィ―♪」
それに気づいたホムラが、喜びの羽ばたきで拍子を打ち鳴らす。
シャンと伸ばしたネクタイにブローチを宛がうと、フェレシーラの指が伸びてきて、おっかなびっくりながらも留め具を合わせてくれた。
首から胸にかけてグンと重みが増すも、不思議なほどに体は軽い。
自然、ゆっくりと右手が上がり、口が開いていた。
「踊ろう、フェレシーラ」
少女の瞳が驚きに見開かれる。
まあ、それも当然だろう。
生まれてこの方、ダンスどころかステップの一つも刻んだことのない男から、いきなり誘いを受けたのだ。
しかし俺は、伸ばした手を引っ込めたりはしない。
その理由は単純だ。一つしかない。
「お前と踊りたいんだ、フェレシーラ。俺はやっぱり、お前がいい」
「……まったく、ほんといつも貴方ってそればかりね。そう言ってジーっと見つめてくれば、私が許すと思ってるんでしょ」
その要求に、フェレシーラが小さく溜息つく。
しかしその表情は穏やかで、故に俺は迷わず尋ねかける。
「駄目か?」
「あのねぇ。言わないと、わからない? こういう時は黙ってエスコートに徹するものよ」
「へーい」
「だーかーらー。黙って、引っ張ってく!」
「あだっ!? ちょ、おま――脛蹴るなって! これ借り物なんだぞ!? お前のドレスだってそうだろ!?」
「ざーんねん。私、公国の大きな街や都市で教団関連の祝い事があるたびに、白羽根としてお呼びがかかりますので。殆どの神殿で正装が用意されてまーす」
「……マジか」
一応は正論で返せたと思ったところに、やってきたのはサラリとした、しかし予想を遥かに超えた返答。
思わず俺はその場で固まってしまう。
「こんなことで嘘ついてどうするのよ。それよりも、歩く歩くっ」
「わーったよ、たく……いや、だからケツを叩くな! ケツを! お前こそ、シュクサ村の頃からやること変わってねーじゃねーかっ!」
「……!」
「あっ、だぁッ!? ちょ、ランチボックスと水筒、持ってかないとだろ!? あ、ホムラ! 咥えて飛ぶな! 危ないだろっ!」
「ピ? ピピーッ♪」
結局、ムードもへったくれもないまま、急遽ダンスホールを目指すこととなり……
俺たちは、揃って仲良く医務室を後にしていた。
思えば、である。
「そうそう。その調子よ。やっぱりやれば出来るじゃない、フラムって」
「いや、まあ……お前の教え方が上手いだけだろ」
思えば俺は『何かをして遊ぶ』という意識がないヤツだったのだと。
必要最小限の水晶灯が燈された、広々としたダンスフロアにフェレシーラと二人きり。
ホムラだけを観客として、初めて挑むワルツのステップに熱中しつつも、俺はそんなことを考えていた。
「なるほどな……まずは基本の姿勢、背筋と頭はまっすぐをキープ。足の裏でフロアを感じながら、呼吸は一定に。脚運びもだけど、動きが変化してもリズムを乱さないフォームが要なんだな、ダンスって」
「それもだけど。喋ってばかりいないで、ちゃんとパートナーを見ておく……のは、まあ、出来てるみたいね……ていうか」
合間のおしゃべりを音楽代わりとして、赤い絨毯の上にステップを刻むその最中、フェレシーラが怪訝な面持ちをみせてきた。
「ちょっと、フラム。貴方、幾らなんでも上達早過ぎじゃないっ!?」
「いやいや。なんでそこでキレ気味になるんだよ。出来の良い生徒だって喜べよ。てか、こっちに寄ってくる時はもうちょいリラックスしてろって。お前さっきからそのタイミングで、妙にガチガチになってるぞ?」
「う、うるさいわね……昔、先生に教わってから、ちょっと久しぶりすぎなだけよ……!」
「ふーん。という事は、ドレスは着慣れていてもダンスは経験不足ってワケか。なーるほどなぁ」
「な、なによその顔……あ、きゃっ!?」
若干の余裕も出てきたところで少し調子に乗ってみると、突然、彼女がビクンと身を仰け反らせてきた。
互いの胸に乗せた太陽と月とを、行ったり来たりとさせながらの慎ましいダンスが、惜しくもそこで中断となる。
「え、なんだよ。どうした、フェレシーラ? もしかして、足、攣っちゃったとかか?」
「あ、や、そうじゃなくって……その」
「ピ?」
「あっ、ホムラ! ダメっ! それ、つついちゃ……!」
もしかしたら調子に乗り過ぎて、フェレシーラに怪我をさせてしまったのかもしれない。
そう思い彼女を支えながら足元を覗き込んでみると、そこには何かを見つけて嘴を動かすホムラの姿があり……
「ご、ごめんなさい、フラム……ちょっと、預けてたドレスのサイズ……合わなくなっちゃってたみたい……」
視線をあげると、涙目となって片腕でずり落ちそうになる欠けた月を隠す、フェレシーラの姿があった。
……え?
は?
それってちょっと……ヤバくないですか、フェレシーラさんっ!?