302. 複雑な想い
腕の中より、白薔薇を模したドレスがすり抜けてゆく。
「……ピ?」
寄せた波が還るようにして白い天蓋が去ったあとに、残るは首を傾げた幻獣の雛。
そういやそこにいましたね、ホムラさん。
暫く静かにしてたんで、すっかり忘れていましたよ。
というかコイツ、フェレシーラのドレスの下でグースカピーしてたな?
人が真面目な話をしていたというのに、能天気なヤツである。
「俺を頼ってくれ、ね……」
パタタタ……と小刻みに羽根を動かして目覚めのルーティンを行うホムラの姿を眺めていると、声がやってきた。
フェレシーラの声。
それも俺が初めて出会ったときの、勝気で自信家の彼女の声だ。
「ほんと、あの泣き虫の男の子が。随分と大きくでたものね」
「言うなって。実力不足なのは自分でもわかってるよ」
「ふぅん? その割には断られたと思って下を向いちゃってたみたいだけど?」
「ぐ……そ、それはホムラがいたから、気を取られていただけであっただな……!」
「そう。じゃあ、そういうことにしておくとして」
カタンと、テーブルの上より何かが音を立ててきた。
だが、その何かの正体はわからない。
こちらに背を向けたフェレシーラの姿が、木製のケースに手を伸ばしたことだけはわかっていたが……
ていうかフェレシーラさん、今更ながらそのドレス随分と背中がお留守な感じですね。
なんか正面姿ばかりに気を取られていたけど、普段着代わりにしている法衣よりも大分露出が多いデザインだ。
まあコイツの場合しっかりと体を鍛えているからか、肩甲骨が綺麗だなー、って感想が真っ先にくるんだけど。
「この前、私と貴方でやり合ったじゃない。パトリースが『防壁』の陣術を初めて使ったとき」
「あー……うん。あったな。二人してバチバチやり合ってから術法で撃ち合って。その後、セレンさんにめちゃくちゃ怒られたヤツ」
「そうそう。ああいう風に誰かに叱られたのも、久しぶりだったけど」
そこで言葉を区切って、彼女は振り返ってきた。
その手の中には何かが納まっている。
おそらくはケースの中から取り出された『何か』がそこにある。
その存在を仄めかしながらも、フェレシーラが言ってきた。
「あれね。私、結構本気だったの。貴方が突然『白羽根の傍にあり続ける』だなんて……生意気なこと口にしてきたから。ちょっとわからせてあげようとおもって。今になっておもえば、すぐに同格になるつもりだって意味じゃなかった、ってことなんでしょうけど」
「なるほど。まあそこは、俺も言葉足らずだったしな……」
彼女の言葉に答えつつも、こちらが気もそぞろ、といったところだ。
そんな俺の足元を、ホムラが軽快なステップで跳ねまわっている。
どうやらこちらの履いている、黒革の靴が珍しくて仕方がないらしい。
「それで……結局は私、あんな体たらくだったでしょ。パワー勝負の攻撃術法で貴方と張り合って、押し負けそうになって。挙句ダウンしちゃうだなんて、ほんと、どっちが思い上がっていたんだかって感じよね」
「いやいや……あれはお前がわざとそういう流れに持っていったからだろ。わざわざ避けるのは難しい状態に追い込んでいたし。それに『光弾』の使い方だってさ。得意の無詠唱ラッシュで攻め手くれば、こっちは切り返す余裕なんて全然なかったし」
「流石ね。よくわかってるじゃない」
過度な賛辞の言葉は用いずに、フェレシーラが続けてきた。
「物理戦と術法戦。攻撃と防御。総合力という観点からみれば……私を超える使い手は、公国広しといえどザラにはいないでしょうね。はっきり言って自慢だけど」
「自分で言うのかよ……いや、わかるけどさ」
そこまで誇るでもない風に言ってのける彼女に、俺はツッコミながらも同意を示す。
実際のところ、だ。
フェレシーラを相手取り圧倒出来る人間が、そうそういるとは思えない。
世の中のことをろくに知らない俺ではあるが、こと『強さ』という指標に関してのみならば、これ以上ないほどの『本物』をこの目でみてきたからだ。
マルゼス・フレイミング。
元、俺の師匠であり『聖伐の勇者』として魔人将を撃退したとされる、稀代の魔術士。
いまは『煌炎の魔女』の二つ名で知られる彼女が振るう、数々の魔術。
それを俺は、時には憧れの眼差しで、時には身をもって味わいながら、学んできたのだ。
故に彼女が持つ力を、それなり以上に理解しているという自負がある。
絶対の強者。
不落の流星。
あとなんかカッコいい表現ないかな……って、今はそんな事に拘っている場合じゃなかった。
とにかく、俺の中での『強さ』の頂点はあの人しかありえない。
それほどまでに心の深い位置に根差している。
しかし俺はフェレシーラに出会ってしまった。
衝撃だった。
主に物理的な意味で。
魔術こそ至高。アトマこそ万能。師匠こそ最強。
それまでずっとそう思い生きてきたのに、出会って速攻、影人容疑で戦鎚のフルスイング。
顎から上を吹き飛ばしにきた『白羽根の聖女』様のインパクトたるや……
断言しておくが、あれがシュクサ村だかの森に住む一般人相手であれば、間違いなく即死していただろう。
最もフェレシーラにしてみれば、俺が事前に入手していた影人の情報と合致する外見且つ、被害の出ていた森のど真ん中をうろついていたから、という先制攻撃に踏み切った理由はあるのだが。
ともあれ、そこから彼女と共に影人の調査に乗り出して、更なる実力を目にしてゆく内に、俺の中に一つの疑問が湧きあがってきていた。
『フェレシーラってもしかして、マルゼスさんともいい勝負が出来るのでは』
これは確か、以前にも思っていたことだ。
つまり、俺の中で彼女はマルゼスさんに次ぐ『強さ』の持ち主。
いわば『準最強』。
殴って良し。撃って良し。殴って良し。守って良し。殴って良し。回復して良し。
本人も言っているように、総合的には非常に高水準で崩れにくい。
なんか偏りある気がするけど、そこは個性ということで。
マルゼスさん相手にも、遠中距離での術法攻めを凌いで懐に飛び込めば、或いは……と想像してしまうのは、仕方のないことだろう。
フェレシーラの実力は、それほどまでの高みにあると言えた。
更に付け加えるとすれば……
「私にも、まだフラムに見せていない奥の手はあるから。惜しみなくそれを使えば、例え貴方が全力万全の攻撃術を仕掛けても……押しのける自信はある」
まるでこちらの思考に合わせるようにして、フェレシーラが「けれど」と言葉を繋いできた。
「そこまでやらざるを得ないってことは、それってもう貴方は私と同格、ってことなのよね。大して本気で戦闘訓練もしてこなかったっぽい人相手に、それを認めるのは正直癪なのだけど」
「同格って。さすがにそれはないだろ。たしかに、『時間をかけてフルパワーで』なんて前提なら、いい勝負にはなるかもだけど。正直、お前相手に一対一でその状況に持っていくこと自体、現状不可能に近いと思うぞ」
「そうね。でもそれって……何らかの理由で隙が生まれたり、そうでもなくても単純に、あと一人足手纏いにならないレベルの使い手からサポートが受けられれば。容易に実現できるってことなのよ。それこそ現状でもね」
こちらが本気の攻撃術に絞って勝負を仕掛けていけば、フェレシーラといえど、決して手は抜けない。
そんな彼女の発言に一応の抗弁染みたことを口にするも、返されてきたのはそんな言葉だった。
それに対して、俺は押し黙ってしまう。
一分野とはいえ、フェレシーラに実力を認められたことは素直に嬉しい。
だがしかし、それは彼女が俺に与えてくれた不定術あってのことだ。
そして彼女に、俺の全力を凌ぎ切れる自信があるということは……
それ即ちフェレシーラであれば、あの『煌炎の魔女』が操る炎術すら押しのけて、一撃を叩き込める可能性もあるという話になってくる。
なんとも形容しがたい想いを抱えて、俺は足元でじゃれつくホムラへと視線を向けた。
「フラム。貴方にこれを受け取って欲しいの」
そこにフェレシーラが、手を伸ばしてきた。