299. 視線の先と、伸ばされる指先と
「やはりお似合いですよ。そのタキシード」
「ん?」
寝台から立ち上がり上着を羽織っていると、フェレシーラが声をかけてきた。
「ああ、これか。実をいうと俺、長上着の方が魔術士ぽくて好きなんだけどな。タキシードって、わりと最近流行り始めた衣装だよな?」
「そうですね。そちらのものは、おそらくノーザレノスからの舶来品かと思われます」
「ノーザレノス……たしか、レゼノーヴァの西にある大陸の国だっけか」
「はい。ノーザグラン連合王国の、南側を治める大国ですね。いまノーザレノスでは公国製の術具が人気で、交易が盛んに行われているとかで。公国ではあちらから衣類関連の品を多く輸入しているようです」
「へぇ……詳しいんだな」
「はい。これでも一応女の子ですので」
「一応だなんて微塵も思っちゃいないけどさ」
こちらが身だしなみを整える間を取り持つような、ゆったりとした少女の言葉。
それに耳を傾けつつも、俺は寝台の上に作られていた毛布の巣を指で「ちょん、ちょん」と軽く突く。
「おーい、ホムラ。そろそろいくぞー? ここで待ってても案内の人、こないぽいからなー?」
「……そこに関しては、予想が外れてしまい申し訳ありません。この感じだと、どうやら領主様たちもお酒が入り過ぎて、そちらに人手を取られていそうですね……まったく、あの人達ときたら」
「そのお陰で、こっちはゆっくり休憩できて良かったけどな。正直なところ、いきなり『晩餐会を開くので参加するように』なんて言われても、どうしていいかわかんなかったし」
「まあ、それはそうなのですが……そう言われるわりには、領主様の前でも案外とリラックスされていましたね。こちらは貴方が緊張でガチガチになって、なにかやらかさないかと心配していたのですよ?」
「ああ、そこはな。たぶん一周回って、ってヤツだ。緊張しすぎて逆に無心になっていたというか、諦めの境地に達していたといいますか……こーら、ホムラ。おーきーろー」
「ピ? プキュ?」
鳥類特有の薄い瞼――いわゆる瞬膜というヤツを瞬かせながら、お目ざめになるホムラさん。
一瞬、ここがどこだかわからない、といった風に首を傾げて寝台の上をぐるぐるとするも、それも束の間のこと。
「ピピピピ……ピィ♪」
赤茶の羽根を大きくバサリと打ち鳴らして風のアトマを身に纏うと、次の瞬間にはこちらの頭上にまで飛び上がっていた。
「おぉ……すごいですね。先程までは飛び上がることも出来なかったのに、一瞬でこんなところにまで。だいぶアトマを操るのにも慣れてきたようですね」
「たしかに。にしてもコイツ……更にでっかくなってないか?」
「ピ? ……ピピィ♪」
「言われてみれば、ですね。とくにこの、手足のぶっとさはプニプニを通り越しているといいますか……」
「ああ。ぶっちゃけ腹も出てるしな。最近食い過ぎぽいし、ちょっと飯減らすか」
「それが良さそうですね。肥満のグリフォンとか、イメージ的にもヤですし」
「ピ!?」
等と今後の予定も決めていきつつも……
「よし、こっちはオーケーだ。おまたせ、フェレシーラ」
俺はやや幅広のネクタイを、着替えを手伝ってくれたお姉様方の見よう見まねで締め直して、フェレシーラへと向き直った。
「ありゃ。お前も結構、ドレスが乱れちゃったな」
「いえいえ。これぐらい平気です――よっと」
言うなり、何を思ったのかフェレシーラがその場で腕を広げて、身を捻る。
「え――」
突然のことに呆気に取られるこちらを余所に、くるん、くるんっ、とターンが打たれてゆく。
「ピ! ピピィ♪」
そこにいち早く反応したホムラが、くるくると回る白薔薇の外周を飛び始める。
しばらくの間、それは俺だけを観客として演じられてゆき――
「はい。これで大丈夫です」
ピタリとこちらと正対するタイミングで動きを止めたフェレシーラが、にっこりと微笑んできた。
「元通り……とはいきませんが、気にならないぐらいにはなりましたよね?」
「……なるほど。回る勢いでシワを伸ばしたのか。まあ、理屈ではあるけどさ。ドレスの扱いとかマナー的に、ありなのか、それ……?」
「さぁ、どうでしょうね。そういうことを教わる前に、社交界とは無縁になっていましたので。あまりよくわかりませんが……とくに咎められることもありませんよ」
あっけらかんとしたその物言いに、俺はついつい苦笑してしまう。
あれからこの医務室で、俺とフェレシーラは色んなことを話していた。
初めて『隠者の森』で出会い、こちらを魔物と思い込んだ彼女に追いかけ回されたときのこと。
それから二人で影人と呼ばれる魔物を見つけ出して撃退し、ホムラと共に森を後にしたときのこと。
フェレシーラの愛馬フレンと共に、薫風吹き抜ける草原を皆で駆け抜けたときのこと。
霧の街ミストピアに立ち寄り、そこから様々な出会いと学びを得たこと。
すべて、フェレシーラとの出会いがなければ巡り合えなかったことばかりだ。
「ありがとう、フェレシーラ。ここまで来れたのはお前のお陰だ」
気付けば、感謝の言葉が口を衝いてでていた。
そんな俺に向けて、フェレシーラがペコリと頭を下げる。
彼女の振る舞いが作法として正しいのかは、正直俺にはわからない。
わからままに、俺も気取った仕草で右手を上着の前に添えて、深々と頭を垂れる。
「――あれ?」
そうしてゆっくりと顔をあげてみると、ふと、ある事に気が付いた。
「? どうかなされたのですか? 突然、不思議そうな顔でじっと胸をみられて……」
「へ? ――あっ! い、いや、今のはそこを見てたんじゃないぞ!? 今のはだな……っ!」
「ピィ……?」
やや怪訝そうな表情で体の向きをかえたフェレシーラに、俺は慌てて手を振り釈明するも、ドレスの裾先にいたホムラまでもが首を傾げてきた。
やめてください、フェレシーラさん、ホムラさん。
二人してそんな、不審者を見る様な目でみつめてくるのはマジで勘弁して欲しい。
「そこじゃない、って。では一体、何を見られていたというのですか」
「何ってそりゃあ……」
尚も半眼となり問い詰めてくる少女に、俺は慎重に言葉を選び返事を行う。
「その、ドレスにつけてる金色のブローチさ」
「ああ……なるほど。そちらでしたか」
特定の部位を指すことを避けての発言に、フェレシーラはすぐに反応してきた。
彼女が纏う純白のドレスの胸元を飾る、金木犀を模したブローチ。
そこに再びおっかなびっくりで視線を運ばせると、意外なほどあっさりとブローチの花弁がこちらに向けられてきた。
「これが、どうかされましたか?」
「あ、ああ。それさ……なんか、真ん中の部分が妙に空いてるっていうか……」
「いうか、なんですか? はっきりと仰られてくださいませ」
「うん……何かデザイン的に、意図的に造られた隙間なのかなって、ふと思ってさ」
若干棘のある口調で、しかし表情そのものは何かを期待するような少女の急かしを受けて、俺は感じたままの疑問を口に上らせてゆく。
青い瞳がじっとこちらをみつめていたかと思うと、その瞼がゆっくりと閉ざされていった。
「――ふむ」
フェレシーラが、不意に体の向きをかえて腕を動かす。
その先には、彼女が俺の為に運んできてくれたランチボックスと水筒。
そしてもう一つ……未だ開封されていなかった、木製のケースが置かれていた。