298. 『逆効果』
「ええと……なんでいきなり、『俺なんか』っていうのはなしって。そんな話になるんだ?」
「それこそ子犬を拾った時の話ですよ。フラムが言われていましたので」
「だからその例えはやめ――ん? あの時って、『隠者の森』で影人を倒した時のことだよな……待てよ、ちょっと真面目に思い出すからさ」
その言葉にこちらの眼前にまで迫っていたフェレシーラが、こくりと首を縦に振り着席する。
正直言って助かります。
なんだか最近、コイツが近くにいすぎると妙に焦って考えがまとまらないんだよな……
それがイヤってわけでもないし、むしろ嬉しいとも思うんだが、こういう時はちょっと困る。
嬉しいんだけど。
とりあえず、今は思い出すのが先だ。
俺がでっかい子犬呼ばわりされたのは、以前、暴風の渦を生み出した影人をフェレシーラと共に撃退した後の出来事……
天より降り注ぐ陽光で煌めく霊銀の洞窟にて、戦いを終えて二人で交わした言葉を、俺は思い出す。
「ああ……」
知らずの内に、声が洩れていた。
同時にすべてを俺は思い出す。
あの時、グリフォンの母親の血を取り込み変容した影人を。
フェレシーラ渾身の『浄化』により頭部を完全に破壊されながらも、尚その身を風の暴威へと変じて荒れ狂い続けた影人を。
一撃の元に跡形もなく消し飛ばした、俺の『熱線』――
否。
正確には『煌炎の魔女』マルゼス・フレイミング直伝の独想術『熱線崩撃』が齎した、堅く分厚い洞窟の岩盤をも容易く灼き貫く力を……
その理外の力が己が眼前にて発露する様を、俺ははっきりと思い出していた。
「そういやあの時も、お前、褒めてくれてたもんな。あんなに綺麗な魔法陣は初めてみたって」
「はい」
「そんでもって……なんか言いかけてた気もするけど。たしか、不定術との併用で俺が魔術を使えるのなら、マルゼスさんもわかっていた筈だからって……」
記憶の糸を掴み手繰り寄せる間、フェレシーラは必要最低限しか言葉を挟んではこなかった。
ただじっと、俺自身がそこに至るの瞬間を待ち構えている。
心待ちにしてくれているのが、わかった。
不定術を併用しさえすれば、俺が術法を使えるのなら。
己がアトマを、自身の精神領域で構築した術法式へと流し込めるのであれば。
それを赦していいのだとしたら。
マルゼスさんは、とっくの昔に俺が魔術を使えるようにと、同様のアプローチを試みていた筈だと……そうフェレシーラは言ってきたのだ。
そしてそれを避けていたことには、必ず理由はあった筈だとも。
「そっか。だからか。あの霊銀の手甲を俺に与えてくれたのが、お前だったから……あの人がやらせなかったことを、『私なんかが』その場の思い付きで出来るようにさせちゃいけなかった、お前が言ったから。俺、なんか頭がぐちゃぐちゃってなっちゃって……」
「はい。その通りです。そのお話であっていますよ、フラム」
思い出し、その時のことを口にしてみるも、結局は上手く言葉に出来ない俺に向けて、フェレシーラがにっこりと微笑みかけてきた。
「まあ、私はこんなですから。基本的には自分を卑下することはありませんし、あの時の言葉も同じです。言葉の綾といいますか……そうですね。単純に、幼い頃から貴方のことを見続けていたマルゼス様に対しても軽率な行いをしてしまったなと。そう思った上での発言でしたね。多分ですが」
「そこまで言って、たぶん、なのかよ……いや、言いたいことはわかる気もするけど。てかそこからだったか、子犬云々発言は」
「はい。長くなってしまい申し訳ありませんが、そういうことですね」
「ふぅん……」
そこまで話し終えてから、なんとはなしに手持ち無沙汰な感覚を覚えてしまい、俺は医務室の天井を見上げた。
そしてそのまま返すべき……いや、返したい言葉を探し求めて、硝子戸つきの棚へと視線を巡らせてゆく。
瓶詰の薬や巻物の類が収めれた収納具の数々からしても、医務室然とした部屋ではあるが……
いつの間にか、辺りに漂っていた薬品臭は随分と薄れてきている。
そのことに若干の疑問を抱きながらも、俺は口を開いていた。
「つまりアレか。お前に……フェレシーラに『私なんて』って言うなよって俺も言ってたし。今度はお前が『俺なんて』言うのはナシってこと……なのか?」
「半分はそうですね。でも、残り半分は違います」
半分は違う。
そんなフェレシーラの返答は、むしろ納得のゆくものだった。
同時に、彼女の言うところの『残りの半分』の理由を聞かせて欲しいとも思う。
「自信を持ってください、フラム」
そんなこちらの気持ちを察したかのように、目の前の少女が告げてきた。
自然、寝台の上にいながらも、自分の背筋が伸びるのを感じた。
「あの森から旅立ち、このミストピアにきて……貴方は強くなりました。これまで塔で培ってきたものを活かし、外の世界の人々との出会いを経て、見違えるほど成長しました」
「そ、そうかな……」
「はい」
どこかしんみりとした響きのある……そんなフェレシーラの言葉に、思わず鼻の頭を指先で描いたところにやってきたのは、更なる肯定の声。
それに続けて、いたずらっぽい笑みとからかうような眼差しがこちらに向けられてきた。
「ことあるごとに、縋りついてぐずっていた子が……あんなに泣き虫だった男の子が、いまではこんなに立派になられてしまって。嘘のようです。ふふ」
「ぐ……っ! おま、そのネタまじで引っ張るよな……っ!」
「それは勿論。私にとっては、すべて忘れがたい思い出ですので。あ……もしかして、フラムにとってはそうでもありませんでしたか?」
「――!」
ふわりと白薔薇を模したドレスが揺れて、あっという間にこちらを追い詰めてくる。
それだけのことで、俺は何も言えなくなる。
頬が異常なまでに熱い。
額も、いや、耳までもが熱い。
「あら? どうされたのですか? 急に黙り込んでしまって……お顔が真っ赤ですよ? まだお酒、抜けきっていませんでしたか?」
「お前なぁ……わかってんだろ、一々言わなくても……っ!」
「いいえ、わかりませんよ。ちゃんと答えてくださらないと、駄目ですよ」
小首を傾げてこちらの顔を覗き込んでくる少女から必死で視線を逸らそうとするも、あちらは追撃の手を緩めてこない。
もはや一体、二人して何の話をしていたのかすらもよくわからない。
だがしかし、このままやられっ放しでいる俺ではない。
仮にも9対1の戦いを制した男だ。
あと一人、ドルメのおっさんが参加してくれてたら二桁いってたなとかおもってないもん。
それだと負けてた可能性あるかもだけど、おっさん狙ったら絶対もっと相手が崩れてたしな!
「あの……いま、なにか他のこと考えていますよね?」
「へ――? あ、いや……そんなことないぞ!? って、シーツの上に乗ってくるな! せっかくのドレスがぐしゃぐしゃになるだろ!」
「べつにこれぐらいは、どうという事もありませんが……それよりも、です。私の質問に答えてくださいませ」
寝台への侵略者に批難の声で応戦するも、効果は薄い。
余計なことを考えていた所為でこの有様である。
観念して、俺は両手をあげて『降参』の意志を示した。
「わかった。ちゃんと言う。だから言ったら離れろよな?」
「それはフラムの言葉次第ですね。確約は出来かねます」
どうやら、何としても俺に答えを言わせたいらしい。
何故だか「フフン」と形の良い鼻を鳴らして勝ち誇ってきたフェレシーラに、俺は「善処します」と前置きを行い、覚悟を決めた。
「俺にとっても大事だよ」
まず一言、はっきりと。
「フェレシーラとの思い出は全部大事で、忘れようもない。だからもう、俺なんてとか言わない……のは、まだ難しいかもだけど。自分を卑下しないよう、自信を持っていくよ。なんてったって、お前のお墨付きだからさ」
「――」
自分自身でも、なにが「だからもう」なのかもわからなかったが……
思ったままの言葉を口にすると、フェレシーラがじっとこちらを見つめてきた。
ちょっと照れくさかったので、後ろの方は微妙に早口になっていた気もするけど。
「とにかく、ちゃんと俺も言っ――ぶほぉ!?」
言葉の途中、不意にお腹の部分に衝撃がきた。
そしてそのまま、視界が亜麻色に染まる。
長くやわらかな髪に続き、反射的に伸ばしていた手にたしかな重みがやってくる。
「ちょ――お前、なにして……!」
「うれしいです」
思わず口を衝いて出た言葉の欠片が、穏やかな声に包まれる。
やや見下ろす形となった視線の先には、青い瞳。
仕方なく、俺はシャツでドレスを受け止めたまま、溜息をもらす。
「ま、言葉次第とは言ってたもんな。正直、反則気味だとはおもうけど」
「だまされる方がわるいのです。それと、世の中には逆効果というものもありますので」
「なるほど……勉強になります、お姫様」
既にしわくちゃとなっていたシャツへと満足げに頬を寄せてくる少女に、俺は正しくお手上げ状態となり、ようやくのことでそんな言葉を返していた。
まあ、この位置関係ならこっちの顔も見えにくい筈だ。
ホムラも寝ついてるし、暫く休憩ってことで問題ないだろう。
めでたしめでたし……だよな?




