301. 臆病者の取引
「気づかれましたか?」
「ああ、いや」
フェレシーラの声に、俺は肯定とも否定ともつかない言葉を返していた。
彼女の体は、未だこちらの腕の中。
しなだれかかるようにして身を預けてきていることもあり、亜麻色の髪は目線の下にある。
ていうかコイツ、案外軽いんだな。
手首なんかも思っていた以上に細い。
この体格で何をどうすれば、あんな重そうな戦鎚をブン回してドぎつい連撃を繰り出してこれるのか……
ちょっとどころではなく不思議なんですが。
「少し、伸びましたか?」
「ん? あ……わりぃ。ちょっと考え事してた。何がだ?」
「むぅ。こんな時に考え事とは、レディーに対して失礼ですよ」
「いやー。なんていうか、こんな時だから、って感じでさ。お前のことだよ。考えていたのはさ」
ぷぅ、と頬を膨らませてきたフェレシーラに対して、俺は詳しい説明は避けて釈明を行う。
すると、少女の青い瞳がまんまるに見開かれてきた。
水晶灯の輝きを映すその瞳を覗き込んでみると、今度はプイとそっぽを向かれてしまう。
「ズルいです。いまのは」
機嫌を損ねてしまったかと思いきや、彼女はそんなことを口にしてきた。
一応、こちらへの批難の言葉ではあるが……
なんだろ。
フェイントみたいになったのがマズかったかな。
でもその割には怒ってる感じじゃないし……どちらかと言えば、軽く拗ねちゃってる感じだ。
よくよく見れば、頬がちょっと赤くなってる気もする。
もしかしてコイツも、晩餐会の席でこっそりお酒を飲んでたりしたんだろうか。
それにしては酒臭さもないし、むしろいい匂いしかしないけど。
そういやレゼノーヴァ公国って、飲酒は何歳から許されているんだろ。
寒さの厳しい国や、世界的な寒波が押し寄せてきていた時代だと、比較的若年層でも身体を温めて寒さを凌ぐために、アルコールの類が飲まれていたとは本で見たことはあるんだけど。
フェレシーラに聞けばすぐにわかる話だが、それだとまた拗ねちゃうかもだしな。
むずかしいお年頃、というヤツだろうか。
「背ですよ。いまのは身長のお話です」
「へ? 身長って……うん? そんなに伸びるもんかな。お前と出会ってから、まだ十日ぐらいだよな?」
「そうですね。でも、伸びたと思います」
「マジか。実はお前がちっちゃくなったとかじゃなくてか?」
「なにを馬鹿なことを……」
「あ、いま馬鹿って言ったな。お前、さっきそれで怒ってたくせに。そういうのはズルいですよ?」
「あのですねぇ」
こちらのささやかな揚げ足取りに、彼女が「はぁ」と溜息をつく。
あまりに幼稚な返しで、呆れさせてしまったのかもしれない。
ちょっとだけ反省していると、フェレシーラが不意に笑みをみせてきた。
「そうかもしれませんね」
「そうかもって。ちっちゃくなったのか、馬鹿になったのか、どっちの話だよ」
「さあ」
不確かな返事と共に、フェレシーラが笑う。
自嘲とも安堵のそれともつかない、彼女にしては弱々しい笑みだ。
自然、ドレスを支える腕に力が入るのがわかった。
しっかりと支えていないと、目の前の少女が崩れ落ちてしまいそうな気がしたからだ。
「なあ。やっぱりまだ、疲れが残っているんじゃないのか?」
「いえ。急性アトマ欠乏症は、後遺症の残りにくい病ですので。慢性化しない限りは平気ですよ」
「そうならいいんだけどさ。それにしたって気疲れとかもあるだろ。お前って教団のエースを張ってるだなんて割りに、大教殿ってとこの人達ともあんまり折り合いが良くなさそうにみえるし」
「それは……色々あるとしか言えませんが」
儚げとなっていた笑みを苦笑に変じさせて、フェレシーラが答えを濁してきた。
本当に難しい反応だ。
フェレシーラはその立場上、おいそれとこちらに明かせない事がある。
会議棟でのティオとのやり取りも、その一つだろう。
それに関しては不服もないし、納得はしている。
しては、いるが……
「フェレシーラ」
意を決して、俺はその名を呼ぶ。
「はい」
「話した方が、お前が楽になることがあるなら、俺に話してくれ」
返事自体は短く、しかし面持ちは真剣そのもので返してきた彼女に、俺は言葉を重ねる。
「俺はもう、必要以上に自分を卑下したりしない。お前のお陰で、そうせずに済む。だから、だ」
頭で考えが纏まるよりも早く、言葉が口を衝いてでる。
迷いがないわけではない。
むしろ怖い。俺なんかが、という言葉がどうしても頭を掠めてはゆく。
それを振り払うようにして、願う。
「だから、フェレシーラ。だからお前が必要な時は、俺を頼ってくれ。お前の為だけじゃなく、俺自身、自分の脚で立ち続ける為に……お前を支えさせて欲しいんだ」
フェレシーラに向けた、自身への言葉。
それは未だ意気地のない己に対する反発の現れであると同時に、手応えを求めてのものだった。
言い換えれば、それは取引のようなものだ。
フェレシーラは俺に自信を持てといってきた。
だから俺は彼女に頼ってくれと願った。
結果の伴わない自信など、ただの己惚れ、ハリボテだ。
俺が欲しいものはそんな上辺だけの代物ではない。
そしてそんなモノだけ持ち合わせていたところで、彼女の力になれる筈もない。
自分でも、わかってはいたのだ。
今日の代理戦。
端からみれば、9対1という圧倒的な数的不利を覆しての、大勝利。
だがしかし、俺は一人で戦ったわけではない。
あれはジングの力、協力があってこその結果だ。
一人ではどうしようもなかったと断言出来る。
そのジングは、元はと言えば俺の体を乗っ取ろうと企てていたようなヤツだ。
今現在、セレンらの協力もあり、力関係的にはこちらが優位に立っているとはいえ……
今後もどこまで信用していいかはわからないし、安易にするべきでもない。
それを承知で、俺はジングを頼った。
ミストピア神殿での特訓最終日。
期せずして訪れた、鍛錬の成果を示す機会。
俺はそこで結果を出したかった。
危なくなれば棄権で構わないだなんてのは、予防線でしかなかったと今ではわかる。
俺は本来、臆病者だ。
自覚はあるし、別にそれを短所だとも長所だとも思ってはいない。
一つの事に熱中しすぎて、すぐに周りが見えなくなるのは欠点だとは思うが……
ともあれ、そんな俺が今日は衝動からではなく、心底勝ちたかった。
何としても、石にかじりついてでも。
ジングだろうと、魔人の力だろうと。
何でもいいから、使えるものはすべて使って勝ち切りたかったのだ。
その結果が、一方的とも言える代理戦での勝利だ。
皆に実情を知られれば、批難されるどころでは済まないだろう。
最悪、聖伐教団に捕えられて獄中生活を送る羽目になってもおかしくはない。
この国で暮らすのであれば、不満や文句はあっても避けることはできない。
そんな戦い方を俺は選んだのだ。
そしてそれは、フェレシーラにしてもわかっていた事だろう。
「だから、だ。フェレシーラ」
それらすべてを呑み込んで、俺は尚も願う。
「だから俺を頼ってくれ。俺にそれを、誇らせてくれ」
フェレシーラの視線が、開かれたままのケースへと注がれた。