296. でっかい子犬、再び
彼女は言った。
「変わられましたね」
ふわりとした笑みで、フェレシーラが続けてきた。
「あの森にいた頃の貴方は……いえ、この街にくるまでのフラムは、どこか後ろ向きなところがあったように思います。当然といえば、当然なのですが」
何故、それが当然であるのかまでは口にせずに、しかし言葉は一つ一つ選んでいる。
そんな印象の語り口。
「それが、いつ頃からでしょうね。やれることを一歩ずつ……少しずつ前向きになっていたと思います。最近は貴方を見ていて、楽しそうだなと思うことも増えました」
諭すでもなく、宥めるでもなく。
強くなってなどいない、という想いを吐露した俺に向けて、フェレシーラはただ静かに語りかけてきた。
「……ええと」
ぽりぽりと指で頬を掻きつつ、俺は医務室の天井を見上げる。
「そんなにうじうじしてたかな、俺」
「はい。特にシュクサ村から影人捜索に向かった直後などは、顕著でしたね」
「……やっと村の名前、覚えたんだな」
「はい。貴方が覚えていてくれたおかげです」
「そりゃ村長の名前と同じだったからな。忘れようもないよ」
「そうですか? 私は結構色々と忘れてしまうほうなので、助かっていますよ。というか、よく覚えていますよね。フラムは色んなことを」
「ん……まあな。記憶力はかなりいいほうだって、マルゼスさんにも褒められていたからな」
会話の最中ふたたび視線を落とすと、彼女が「むぅ」と口に出して頬を軽く膨らませてきた。
フェレシーラさん、最近その表情になること多いですね。
てかなんで、いきなりご不満な様子なんですか。
いま何か、怒らせるようなこと言いましたっけ?
しかし……
「楽しそう、か」
そう言われて、俺は思い返す。
生まれ育った『隠者の塔』から出て、バーゼルや影人なる魔物と遭遇し、ホムラを連れて森から旅立ったこと。
宿場町セブでスリの被害にあいかけて、アレクさんに助けられたこと。
湖畔の街ミストピアへとやってきて、影人討伐に乗り出す運びとなったこと。
その為に聖伐教団の神殿を訪れてからは、ハンサたちとの模擬戦を経て、パトリースやセレンとも知己を得て、特訓を開始したこと。
フェレシーラと、出会ってからすべてのこと。
「うん。そうだな……なんか短い間に、とんでもなく色んなことがあった気がするけど」
今更ながらにそれらすべてを思い出し、俺はようやく自分の言いたい言葉を見つけていた。
「お前のいうとおり、最近は結構楽しいよ。お前と逢えてから色んなことを一緒して、楽しいよ。フェレシーラ」
「――」
たしかめるようにそれを口にしてみると、亜麻色の髪が微かに揺れて、青い瞳がこちらをみつめてきた。
暫しの沈黙、静寂。
それになんとも言えないこそばゆさを覚えて、俺は視線を逸らしそうになる。
だがしかし、ここはグッと我慢。
先に目を逸らしたら負け。
よくわかんないけど、いま俺がそう決めた。
とはいえ、このままずっとだんまりというのも考え物だ。
「あの塔にいた頃のことが、全部楽しくなかったかっていうと。そんなこともないし、楽しいことも沢山あった気がするけど。そうだな……」
つらつらと取り留めもなく、気付けば俺は話し始めていた。
「なんで報われないんだろう、って思ってたよ」
「報われない……ですか?」
「ああ。いつ頃だったかな。マルゼスさんに、15歳の誕生日を迎えるまでに魔術を使えるようにならないと、破門だって言われてさ。それからずっと、自分では死に物狂いで勉強して、訓練して……でも、全然ダメダメだったからさ――って」
オウム返しを行ってきた少女に、そこまで言って思い出す。
「あれ? なんかこの話、前にもしてたよな。どこで言ったっけか……」
「子犬を拾った場所です」
「へ……?」
唐突すぎる……というか、意味不明の指摘に間の抜けた声があがる。
見ればフェレシーラが、ぽかんと口を空けた俺の顔を「じーーーーっ」とみつめてきていた。
「子犬って……え?」
「覚えていないのですか? 私がでっかい子犬を拾った、あの洞窟で話されていたことを」
「は? 洞窟って……」
洞窟。
そしてでっかい子犬。
その二つの言葉が、俺の記憶の中よりとある場所での出来事を呼び覚ます。
「まさか……まさかお前――霊銀の鉱床があった、あの洞窟のこといってんのかよ!?」
「それ以外に何処があるというのですか。というか、ついこの間のことですよ。記憶力、褒められていたのでは?」
「ぐ……っ! あ、あれは初めて『熱線』を撃ったあとで、ちょっとぼーっとしてたからであってだな……っ」
「なるほど。ではその後、私になにかされようとしていたのも、ぼーっとされていたからですか?」
「おま……お前なぁ! ホントいい加減、怒るぞ!?」
「しっ――お静かに」
影人とグリフォンとが争っていた滝の奥、霊銀の鉱床が眠る洞窟での一幕。
俺が初めて、フェレシーラをその腕の中に抱き、魔術を発動させた場所。
こちらを『でっかい子犬』呼ばわりしてきたどころか、そこでの行いを掘り返してきた少女に対して堪らず大声をあげると、彼女の人差し指が荒ぶる唇をそっと押し留めてきた。
「そんなに大声を出されては、せっかく寝ついてくれたホムラが起きてしまいますよ。それとも――あの時の仕返しをされたいですか?」
「……!」
にっこりとした、しかし何処かからかうような笑みを浮かべてきた少女に、俺は何も言い返せない。
毛布の巣にくるまったホムラは、相も変わらず可愛らしい寝息を立てている。
別に邪魔されただなんて思ってない。
ぼーっとしていたから、何かしようとしていたわけじゃない。
そもそも俺はでっかい子犬なんかじゃない。
色々と口にでかけるも、結局全部、どれ一つとして形にならない。
そんな中、ふと思う。
これがそうなのだと俺は思う。
「そうだな……って、仕返しをしたいってことじゃなくて」
「ええ。わかりますよ。多分ですけどね」
「そう思うなら最後まで言わせろって」
「はい。それでは、どうぞ」
からかうような響きはそのままに、亜麻色の髪の少女が笑って先を促してくる。
半ば呆れつつも、俺はそれに応じることにした。
「もう、何をしても報われないだなんて……思わなくなったと思う。戦い方とか、強くなる為にはとか、そんなに考えたこともなかったけど。不謹慎なのかもだけど、いまはそういう事に挑戦していくのも、楽しいよ」
「そうですか。では、手応えもしっかりと感じてくださいませ。もっともっと、報われることもあるのだと、知ってくださいませ」
素直な気持ちを口にすると、にこやかな笑みが返されてきた。
待ってましたとばかりのその笑顔に、溜息が出てしまう。
どうやら、ちいさなちいさな俺の悩みなど、彼女にはお見通しだったらしい。
それが一体どんな悩みだったのか、自分でも言葉にすることは難しいが……
「それとですね」
「ん? まだなにかあるのか?」
「ええ。まだというか、むしろそちらが本題です」
なんだろう。
なんだか憑き物が落ちたような感じですっきりとしてしまい、フェレシーラが言わんとすることにまで気が回らない。
なので今度は、こちらも「どうぞ」の一言で先を促してみる。
すると彼女は「では、失礼して」と前置きの咳払いをうち――
「それと……それと私に、もっと貴方のことを褒めさせてくださいませ。私もそれが楽しいので」
そう言われては、俺としてもその要求を断るわけにもいかなかった。