295. 成長の意味
「まずは突然の代理戦、お疲れ様でした。そして……完勝、おめでとうございます」
椅子の軋む音一つ立てずに、フェレシーラが恭しくこちらに頭を下げてきた。
晩餐会に招かれた者たちが、各々に用意された寝室に案内されるまでの、その暇つぶし。
「完勝っていっても、反省点は多かったけどな。それに」
半ば反射的に返事をしつつも、俺はそこで一度、口を閉ざす、
「いや。ありがとう、フェレシーラ。嬉しいよ。あの条件で勝てたこともだけど……それ以上に、今日はミストピア神殿にやってきてから、お前との特訓で培ったことを活かせたと自分では思ってるから。それが何より、俺は嬉しいよ」
「そうですね」
二人で代理戦の話をしようと、彼女に持ちかけられたこと。
それを思い返して自分の素直な気持ちを口にすると、フェレシーラが瞳を伏せて同意を示してきた。
それを見て、俺は寝台の上で掻いていた胡坐のど真ん中から、「ピィ……スピィ……」と可愛らしい寝息を立て始めていたホムラをそっと抱き上げて、毛布で作った巣の中へと横たえてやる。
昼間、修練場の中庭で思うさま暴れまわった上に、ご飯もたっぷりと食べさせてもらい、もうすっかりおねむの時間といったところだ。
むしろいつもより、寝つくのが遅いぐらいかもしれない。
「いつの間にか、というわけではありませんけれど。成長の早さに驚かされています」
「だな」
少しずつ立派になってきた羽根をぽふぽふと撫でつけていると、フェレシーラが苦笑を浮かべてきた。
二人きりでいるときの彼女にしては、珍しい仕草だ。
「その子もですが、今のは貴方の話ですよ。フラム」
その反応に首を捻っていると、少女がそんな注釈の言葉を口にしてきた。
「成長が早いって……そんなに短期間で劇的に変わるもんかな。特訓中もジングのこととかあって、結構バタバタしていた気がするし」
「はい、変わりました。見違えるほどに」
「そうかな……」
ミグ、イアンニ……そてハンサとの模擬戦。
そこから始まった、フェレシーラとの本格的な特訓と激突。
突如現れたジングとの攻防と、一旦の決着。
その他、メルアレナの来訪や、アレクさんからの手紙の一件等々……
ここ五日間の出来事を振り返りながら、俺は気の無い返事を返してしまっていた。
他ならぬフェレシーラの言葉だ。
疑うわけではないが、それでも自分が成長したという実感が、そこまでないのも確かだった。
確かに結果だけみれば、曲がりなりにも大教殿所属の教団員9名を相手取り、降参にまで持ち込めたというのは、素晴らしい戦果だと言えるだろう。
すごいことだと思う。
だがそれで、『俺自身が強くなれたのか』というと……それこそ首を捻ってしまう部分が多々ある。
むしろ彼らと戦ったことで、浮き彫りになってきたのは己の弱さ、未熟さだ。
「なあ、フェレシーラ」
代理戦を終えて、勝利の余韻に浮かれた頭を水風呂へと突っ込んでから、一人思っていたこと。
「お前だったらさ。あの代理戦、どう戦っていた?」
「――ふむ」
それを口に昇らせてみると、青い瞳がまっすぐにこちらをみつめてきた。
フェレシーラにしてみればやや予想外の、しかし答え自体は当然持っていたであろうその質問に、彼女は応えてきてくれた。
「初手は『爆裂光弾』で巻き込めるだけ巻き込んで崩し狙い。神官の方々のフォローがあっても無傷では済ませませんので。そこから立て直してくる前に、再度『爆裂光弾』。強引に攻めてくるのであれば、無詠唱の『光弾』で個別にカウンター。数を減らした後は、接近戦で片を付けます。『防壁』等の支援があったとしても、私との打撃戦を制せるほどの猛者は不在でしたので」
「だよな」
「ええ。攻撃神術での中距離戦、もしくは自己強化からの接近戦主体でも押し切れるとは思いますが。固まって守りに入られた際には時間がかかるので、そんなところですね」
「ですよね」
スラスラとした、淀みというものを一切感じさせぬその回答に、俺は続けて頷きで返す。
時間がかかるか、かからないか。
フェレシーラにとっては、それだけが問題なのだ。
負けはありえない。
聖伐教団で唯一人、白羽根の称号を冠する最強の神殿従士……フェレシーラ・シェットフレンにとって、勝ち方の際はあれど、敗北などしようもない。
それぐらいの強さが、彼女にはあった。
「一応聞いておきますが……まさか、御自分と比較するおつもりではありませんよね」
「それこそまさかだよ。今の質問は単なる確認さ」
「確認……ですか?」
「ああ。もし俺が、お前ぐらいに強かったらって前提だけど……きっと同じような戦い方を選んでいたと思うからさ」
こちらの返しに小首を傾げてきた少女に、俺は尚も続ける。
「ここに来る前に、ハンサさんとも少し話したんだけど。一対一なら前に『鈍足化』を弾いたときみたいなアグレッシブな返しとか、アトマを集中しての防御法もいけると思うんだけど。今日みたいな多数戦となると、動きを止めた隙を突かれちゃうから、命取りになるだろ?」
「それは……そうですね。ですがフラムにはフラムの」
「まあ、ちょっと聞けって。別に悲観してるわけでもないからさ」
何事かを口に仕掛けたフェレシーラを、俺は人差し指をピンと立てて押し留める。
少し、吐き出しておきたい気分だった。
「不定術の『閃光』っていう、制御難度の割りに術効自体は控えめな札を上手く使って、そこから警戒して引いた相手を、術効は抜群でも下準備必須の『暗闇』の魔術をまんまと嵌めることが出来た」
代理戦の流れ……というか、『俺がやりたかったこと』は、つまりそういうことだった。
ティオとのやり取りを利用して、相手に必要以上に警戒心を抱かせる。
戦いの最中も常に余裕の姿勢を崩さず、動揺を誘うことに徹する。
その上で、ジングという見えない協力者の助力を得て、有利な状況を作り上げてゆく。
対人戦の妙、駆け引きで相手を上回ったといえば、聞こえはいいだろう。
持てる術を駆使して最上の結果を得たという点では、文句なしの大戦果だろう。
「だけどさ。それって結局、賭けが上手くいったってだけの話なんじゃないかって思ってさ。あそこで誰か一人でも、俺のハッタリが通用しない相手がいたら……ボロ負けなんてものじゃ済まない終わり方しかなかったよ」
高望みをし過ぎている。
それはわかっていた。
フェレシーラと俺では、そもそもの実力も戦い方も、差がありすぎる。
それも身をもって知ることが出来ていた。
晩餐会の席で今日の勝利を讃えられて、嬉しかったのは事実だし、態度には出ないようにと心掛けていたものの、正直いって浮かれてもいた。
だけどそれでも思うのだ。
別に俺は、あの塔にいた頃から然程強くもなっていなければ――
「そうですね。そちらが言いたいことは何となくわかります」
いつの間にか思考の渦に呑まれかけていたところに、声がきた。
「ですがこちらにも、言いたいことはありますので。言い方を変えます」
その毅然とした声に引き戻されるようにして、俺は顔をあげる。
目の前には、射る様な視線でこちらを見据えてくるフェレシーラの姿。
「フラム。貴方は『隠者の森』を出てから、成長したというよりは……」