293. 飛べないホムラは
何か言うべきことはないか。
フェレシーラが発してきたその言葉の意味を、俺は考える。
彼女の手によってやや遠ざけられたテーブル上のランチボックスをみるに、『発言次第でご飯抜き』という厳罰が下されるのだろう。
それはいい。
いや、今日は査察についていって昼からずっと何も食っていなかったので、いいという事はないのだが。
客人をもてなす席でいきなりぶっ倒れた俺の面倒をみる羽目になった上に、食事の手配までしてくれたフェレシーラに、文句をいうつもりなど毛頭ない。
ただ、そんな彼女がわざわざこんな真似をしてくるからには、それなりの理由があるのは確かだった。
「そういえば、控室でも言ってたもんな。なにか一言ないのか、って」
「ええ、言いましたね。あの時は晩餐会が始まるまで、ずっと立ち尽くされていましたが」
「それはお前が――」
反射的に言葉を返しかけて、そこでふと思い出した。
肩紐の無い真っ白な……いわゆるストラップレスのドレスに身を包み、普段以上に背筋を伸ばして背凭れ付きの椅子に座した少女を前にして、俺は思い出す。
自分があの時、控室に突然現れた『お姫様』をみてどう思ったのかを。
そしてその直前に、彼女が俺になんと言葉をかけてくれていたのかを、思い出していた。
「フェレシーラ」
その呼びかけに彼女が視線で応じてくる。
寝台の上で体を起こしていた俺へと向けて、やや俯き加減にした顔に拗ねたような上目遣いを見せてくる。
「ごめん、言うのが遅くなった。ドレス、似合ってるよ。めちゃくちゃ可愛い。真っ白な薔薇みたいですごく綺麗だ。最初見たとき、どこのお姫様だろうって思った」
「――」
驚き、喜び、戸惑い、恥じらい……そして最後に、何故だか少し泣きそうな表情で。
一言一言、こちらが思っていたことを口に昇らせるたびに、目の前にいた少女がなにごとかを口にしかけては思い留まり、また口を動かしかけては顔を俯かせてを繰り返してきた。
「あ、わるい。一言っていわれたのについ……あの後もちょいちょいお前のこと考えててさ。どれか一つに絞った方が良かったか?」
「な、なんでそこでフラムが謝られるのですか……べつにわたしは、そこまで言えとは……」
そんなフェレシーラの反応に思わず尋ねかけてみると、ぷいとそっぽを向かれてしまった。
「み、見ないでください! そんなにじろじろとレディの顔を……無作法ですよ!」
「見るなってお前……え? いきなりどうしたんだよ。大丈夫か? 顔、めちゃくちゃ真っ赤だぞ?」
「――! だから、見るなと言っているでしょう! 控えなさい!」
おっと。
今度は話している最中に、体ごと横を向かれてしまった。
それでもなにか気になるのか、チラチラと横目でこちらの様子を窺ってきてはいるようだが……
もしかしてコイツ、恥ずかしがってるんだろうか。
いやまあ、晩餐会に招待されたからとはいえ、折角時間もかけて準備したんだろうから、ドレス姿を褒めて欲しいっていうのは、考えてみたらわかるんだけど。
うん。
ここで間違っても『そろそろお腹が減って限界です』とかいったら、危険ですねコレは。
幸いあれほど喧しかった腹の虫も、ホムラに延々と嘴アタックされまくっていたお陰か、今は鳴りやんでるのでちょっとぐらいは我慢出来そうだけど。
マジでちょっとだけならだけど。
というかさっきの俺の台詞、フェレシーラからしたらおちょくってる感じに聞こえてしまった可能性もあるな。
一言っていわれてたのに、ついつい思ったことを並べ立ててしまっていたが、逆効果だったかもしれない。
思い返してみればフェレシーラは、タキシード姿で控室に現れた俺に向けて「衣装がとても似合っていますね」とだけ言ってきていたわけだし。
となればここは一つ、こちらも一点に絞って言い直しておくべきだろう。
……なんて一々意識するとこっちまで恥ずかしくなってくるけど、そこを気にしている場合ではない感じがするし。
フェレシーラだって、意地悪したくてご飯を盾にしているわけじゃないことぐらい、俺にだってわかる。
つきましては――
「こっち向いてくれよ、フェレシーラ」
「……何故ですか」
「そりゃ決まってるだろ。お前がおめかししてるとこ、もう一度見せて欲しいからさ。ダメか?」
「誰も駄目だなどとは……そこまでフラムがおっしゃるのでしたら、赦して差し上げますが……」
面と向かってのこちらの要求に、渋々ながらといった様子でフェレシーラが付き合ってくる。
その表情は相変わらず拗ねた風で、ほっぺもまだかるく膨らんだままだ。
本気で怒っているわけでも、臍を曲げているとかでもない。
なんというべきか……
「お前ってさ。そういう顔していても可愛いよな」
「な……っ!?」
「ああ、ほら。正にいまみたいにしていてもさ。なんか……最近どんどん可愛くなってないか? 元から美人だとは思ってたけど。ちょっと幼くなってきたっていうか」
「か、かわ――びじ……お、幼いって、あのですね!?」
「うん、バランスよくなってきた――って言い方は失礼か。てか、ダメだな。一言じゃちょっと言い表せないぞ。最近はちょっとしたことで、ころころ表情も変わるしさ……って、いってぇ!? おまって、なにいきなり人のこと叩いてきてんだよっ!?」
「――っ!」
会話の途中、突然こちらをばんばんと叩きにきた少女の掌を、俺はなんとか両手でもって防ごうと試みる。
ちょっといきなりなんなんですか、フェレシーラさん。
そんなに乱暴な真似したら、長手袋がダメになっちゃいますよ?
たぶんそれ、借りものでしょ!
「ピ? グルゥ……ピピッ!」
あ、やば。
俺とフェレシーラがじゃれ合ってると思ったのか、ホムラの興味がお腹の虫から頭上の攻防戦に移ってしまった。
このままじゃ、取っ組み合いになったところにホムラが飛び……込ん……で?
「ピ! プピピピピ……キュピ!?」
「――おい」
「……はい」
バサバサ、バタバタと赤茶の羽根とぶっとい脚を動かすホムラを、俺とフェレシーラが両手同士の攻防戦を中断して見下ろしにかかる。
ぶわりと風のアトマが下から上に吹き抜けるも、ホムラの位置は変わらない。
先ほどからの定位置であった、俺のお腹の隣。
即ち寝台の上から懸命に羽ばたき飛び上がろうとするも、ホムラの体は殆ど浮かび上がってはいなかった。
「ちっとも飛べてないな」
「欠片も飛べてませんね」
「ピ!?」
殆ど同時のツッコミを受けて、シーツの上にお尻から撃沈するホムラさん。
明らかな異常事態に、しかし俺とフェレシーラは動じない。
「食い過ぎだろ、お前」
「食べさせ過ぎですね」
「ピィー……」
どうやら俺たちの知らぬまに、ペットルームでたらふく飯を貪っていたらしい。
よくよく見れば、随分とお腹が膨れているし……目を覚ましたあと、なんかずっしりしてるなと思えばこのザマである。
「ったく。人が腹空かせてるってのに、幸せなヤツだな」
「ほんとですね。いつもと違って飛ばずについてきているな、とは思っていましたけど」
呆れ半分、安心半分で溜息をつくと、腕の向こうにクスリとした笑みが見えた。
それが合図であったかのようにして、二人ともに手を離して落ち着く。
「お待たせしてしまいましたね。遅くなりましたが、ご飯にしましょうか」
そう言ってランチボックスに手を伸ばした少女へと、俺は大きく頷き返していた。