288. 田舎者、さっぱりな状況に陥る
目の細かい砂利を迷わず踏みしめてゆく、ハンサとパトリース。
その背中を目印に夜の庭園を進み続けると、巨大な広場とその奥に鎮座する白い石造りの建造物が見えてきた。
「中央の広場はちょっとしたパレードや催し物を行う為のものですので。外賓を迎える時以外は特に使われていませんね」
「なるほど……じゃあ、あの馬鹿デカい館みたいなのが迎賓館ですか?」
「ええ。大きいといっても二階建てで中庭もありますので、案外シンプルな作りですが」
相も変わらず『案内人』モードのハンサだが、その解説はわかりやすく、非常に助かるものだった。
なにせこちらは、こうした場所にくるのは始めてなのだ。
ミストピアの神殿を訪れたときは、『影人討伐を目前に控えての特訓に挑む』という目的があったので、その威容に呑まれることなく、只管戦うことに集中していた。
そんな経緯があったので、気付いたときには滞在するが普通のこと、みたいになっていたのだが……
ぶっちゃけジングのヤツがいきなり沸いて出てきたので、場所がどうとか気にする余裕も吹き飛んでいたってのも大きかったのだろう。
そしてそれがちょっと落ち着いたと思ったら、今度は今度で神殿に緊急の査察が入るということで、ちょっぴり、ほんのちょーーーーーーっぴり、後ろめたいことが重なっていたので、万が一に備えてその対応に追われていたわけでして。
『てーか、考えてみれば大体お前のせいなんだよな。日数的にも気持ち的にも余裕がなくなったのって。おいジング、聞いてんのか? 神殿を出てからも、ずーっとダンマリだけどさ』
『んぁ……? うるせぇな……おれぁちょいと眠てぇんだよ……あのダイリセン、ってヤツが終わってから妙に……クアァ……ッ』
『あっ、おい! 人の話を――』
先をゆくパトリースの白いワンピースを目印に歩を進める中、ジングに『声』を送りつけてみるも、結果はこの有様。
いつもは喧しいほどに五月蠅いジングだが、こんな時であれば緊張もほぐれるかと思って話しかけてみたってのに、肝心なときに役に立たないヤツである。
とはいえ代理戦ではまあまあ、そこそこ、ほんのすこーしはお世話になったので、ここは無理に起こさず寝かせておいてやるとしよう。
「しかし……二階建てにしては、ここって随分高さもありますね。神殿にあった会議棟は四階建てでしたけど、そこよりも高いし」
「西側の奥には吹き抜け構造のダンスフロアが設けられていますので。間違っても窮屈な印象を与えないように、との理由からですね。そちらでは立食も可能ですが、本日の晩餐会は東側の食堂でご用意をさせて頂いております」
「なるほど……よかった。それは安心ですね」
「? いったいなにが安心なのですか、フラムさま」
「あ、いやさ。いきなりダンスフロアとか言われたから、もしかして俺もダンスとかしないといけないのかなーって……!」
「それはないですね」
「それはないですよ」
聞くだけでもド派手そうな場所に行かずに済むとあり安堵の溜息をつき、その理由をパトリースに説明すると、何故だかハンサと揃っての首振りが返されてきた。
二人して息ぴったりで、なんなの。
というか派手云々の話ならば、既に相当なことになっている。
矢鱈と高価そうな赤い絨毯が敷き詰められたロビーからして、これまたお高そうな彫像だったり絵画だったりが陳列されていたし、いま現在歩いている広々とした廊下にも壁掛けのレリーフがずらりと並べられている。
チラッと見た感じでは、魔人との戦い、その勝利の華々しさを描いたものが多いようだが……いまはそれを悠長に眺めている余裕もないので、本当にチラ見止まりな感じだ。
ちなみに蒼鉄の短剣はホルダーごとハンサに預かってもらっている。
当然ながらそういう場所なので、武具の所持が赦されるのは一部の人間のみ、というわけである。
「先ずはフラム様を理容室に案内いたします。その後はドレスルームで御着替えを済ませて頂き、会食に臨んでもらう……という運びになりますね」
「理容室に、ドレスルームですか……?」
「……あの、フラムさま。ドレスルームといっても、フラムさまはドレスには着替えませんからね?」
「わ、わわわわ、わかってるよパトリース! それぐらい、俺にだって……!」
「声が大きい」
「声が大きい」
「……サーセン」
なんてやり取りをしつつも、その理容室とやらに向かう途中――
「ん……? これって――」
俺は通路の曲がり角に置かれた、あるレリーフの前で足を止めてしまっていた。
「なにか、気になる物がおありでしたか。フラム様」
「あ、いえ。あの……ハンサさん。このレリーフ版に掘られているのって、アレですよね?」
「ああ。なるほど、な」
こちらの様子を気にかけてきたハンサに問いかけてみると、ニヤリとした笑みが返されてきた。
どうやら、こちらの言わんとすることが伝わってくれたようだ。
「あら? 二人してどうされたのですか? 理容室はすぐそこ――あっ!?」
「いやな。フラムのヤツに説明してやろうかとおもってな」
「い、いらないでしょ、そんなの! それよりも今は、着替えるのが先でしょ……っ!」
壁掛けのレリーフにチラと視線をくれてのハンサの返答を受けて、今度はパトリースが声を大きくしてこちらを急かしてきた。
「やれやれ。仕方ない……先を急ぎましょうか、フラム様。お嬢の言うとおり、あまり待たせては良くない相手ではありますからね」
「ですね。ほんと、時間があればじっくり拝見しておきたかったですけど」
プンプンといったご様子で廊下を進み始めた少女を前に、俺はハンサと頷きを交わす。
そうしながらも、目にしたばかりのレリーフの、その内容を思い出す。
レリーフ版に掘られていたのは、地に臥せた巨大な竜と、剣を掲げた一人の騎士……そして翼もつ乙女の姿だった。
タイトルの記されていないその一枚の画が、そこに描かれた天より舞い落ちる無数の羽根が……何故だか妙に、俺の脳裏に焼き付き離れてはくれなかった。
「一階部分は、後は厨房が二つ。片方は詰所の兵士の食堂も兼ねています。手洗いはともかくとして、会議室や給仕室に用はないでしょう」
チョキチョキ、パタパタ……またチョキチョキと。
「二階にはカジノやビリヤード場等の遊興施設。バーもありますが、そちらは明日の予定もありますので……失敬。それ以前に年齢的にアウトでしたね」
「たしかに。それはたしかになんですけど……ハンサさん」
「おっと。お喋りは結構ですが、首は動かさないように。手元が狂ってザックリといきかねません。ああ、それと二階には貴賓室がありますので。本日は皆様、そちらに泊まっていくように、とのことでした」
「いやいやいや……!」
色々とツッコミが追いつかない。
そんな気持ちからせめてと声だけで口を挟むと、白衣姿のハンサが「ん?」と首を傾げてきた。
ジョキンッ、というハサミが見事に髪を切り落とす音と共にだが。
口を挟んだらハサミが返されてきたってか。
というか理容室って聞いていたから理容師さんが待ってるのを想像したてのに、なんで貴方がボクの髪をチョキチョキ切ってるんですかね?
状況がサッパリ掴めないところに、髪もサッパリってか。
いや大変結構なお手前ですけども。
そこ含めてツッコミが追いつかないんですが。
そして理容室自体、十席もあるのに貸し切り状態だし。
何から何まで広すぎでしょ、迎賓館!