286. 田舎者、慌てる
夕陽を背負い、馬車は進む。
カッポカッポ、するすると、ミストピアの街を抜け出るようにして、なだらかな道へとさしかかる。
「この先の山岳地帯は領主様の私有地となっています。なので、警備の兵を除いて一般の者は立ち入り禁止。迎賓館である『白霧の館』はその麓にございます」
刈り込まれた芝生を縫うようにして、ゆるやかなカーブを描く街道を進む最中、対面の席よりハンサが案内を行ってきた。
「とりあえずですね……その畏まった口調は勘弁してもらえませんか。ハンサ副従士長」
「申し訳ございませんが、そういうわけにも参りません。今日の貴方は、我が主が直々に招かれた賓客ですゆえ。神殿従士ではなく、案内人として側仕えを仰せつかっております」
「そう言われても、調子が狂うんですが。それと、案内はとても嬉しいし助かるんですけど。俺がその『白霧の館』とかいう建物に招待される理由についても、そろそろ教えて欲しいかなぁと……!」
やわらかなクッションの上にて我ながらみっともないほどにソワソワとしつつも、俺は『案内人』を自称してきたハンサに追加の説明を求める。
ちなみにもう一人の同行者にして、俺をミストピアの神殿から連れ出した張本人でもあるパトリースはといえば。
辺りに人気がなくなったのを見計らうようにして馬車の窓を開け放ち、身を乗り出して茜色に染まる野山の景色を満喫している真っ最中だった。
そんな彼女の振る舞いをハンサはやわらかな物言いで軽く窘めてから、こちらの質問に返答を行ってきた。
「そこはあれですよ。たしか、代理戦と呼んでいたようですが……あの一戦でのフラム様の戦いぶりに、ドルメ助祭を始めとした方々がいたく感じ入ったということでして。今宵の会合の場をどうにか祝宴を兼ねたものに出来ないかと、領主様への打診が行われたようです」
ようです、って……
え?
迎賓館って、余所の国の外交官とかお偉いさんを歓待する為の、なんか立派な建物なんですよね?
平時から使っている物じゃないから、そこを聖伐教団の本部である大教殿からやってきた人たちへのおもてなしに使うっていうのは、わかるけど……
「本来であれば貴方をお招きするのも、領主様からの使いの者に任せるべきなのですが。お嬢がどうしても、というので。必ず説得してみせるとお父上に啖呵を切ってしまった手前、私めも同行を仰せつかった次第でした」
尚も戸惑いを隠せずにいたこちらへと、ハンサが『俺が招待された理由』と彼らがやってきた顛末を明かしてくれた。
相も変わらず淡々とした口振りだが、彼も日中、カーニン従士長の代理として慣れぬ査察への対応に追われていた身だ。
落ち着き払った所作からは微塵も疲労の色は窺えないが、それ相応にストレスも溜っているだろう。
「それは……なんていうか、めちゃくちゃお疲れ様です……!」
「いえいえ」
そんなハンサに敬意を込めて労いの言葉と共に頭をさげると、なんとも言えない響きの返事が返されてきた。
不思議に思い、俺は顔をあげる。
するとそこには、ニヤリとした笑みを浮かべる男の姿があった。
「良いものを見せていただきましたので、疲れも吹き飛びました」
「……それって、代理戦のことですか?」
「勿論」
神殿での一戦以外、心当たりのある出来事もなかったことから尋ねてみると、ハンサは笑みを深めて言葉を続けてきた。
「男子、三日会わざれば刮目して見よ、といいますが。あれだけの神殿従士と神官を相手取り、見事な勝利。どうやら特訓は上手くいったようですね」
「そんな……」
おだてる風でもなく、サラリとした物言いを行ってきた自称案内人に、俺は思わず否定の言葉を口にしかけるも、なんとか思い留まる。
「いえ。ありがとうございます。ミストピア神殿の皆さんの協力で、やれるだけのことはやれました。今日、特訓の成果が出ているように見えていたのなら……それはそのお陰です」
「ふむ」
どこか嬉しげに目を細めていたハンサに真正面から答えると、同じく真っ向から黒い瞳がこちらを見つめ返してきた。
「あ、でも、喰らったらそこで終わり、みたいな戦い方は何とかしないとですね。今日みたいな対人戦だと、ハッタリが通じれば様子見もしてくるかもですけど……魔物相手なんかだと、数に任せて襲い掛かってくるでしょうから。そうなると……そうだな」
「おいおい。あれだけ派手にやっておいて、まだ満足していないのか? ギリシュも真っ青の貪欲さだな」
「あ……いえ! そういうわけじゃなくてですね……! そ、そういえばですよ!」
話の流れからついつい異なるパターンの多数戦を想定しまったことで、呆れを誘ってしまったのだろう。
普段の口調に戻ってきたハンサに、俺は思わず手を振り話題を逸らしにかかる。
しかしそうしてみるも、何を話すべきかがスルッと出てきてくれない。
暫し、俺は真剣に考え込み……
そしてある事実に突き当たった。
「そういえば、ですね」
「ふむ?」
やや、道の舗装があまくなってきたのだろうか。
いつの間にか車輪の音をゴロゴロと大きく響かせ始めた馬車の中にて、俺はゴクリと唾を飲み込んでから、再び口を開きにかかった。
「そういえば、俺……その、晩餐会だかに出られるような服とか、一着も持ってないんですけど!?」
「ああ。そんなことですか」
「そんなことって……え? それって流石に不味くないですか!? 皆、ハンサさんみたいにカッコいい服とか、パトリースみたいな綺麗な服とか着てくるんですよね!?」
「だから師匠……じゃないや、フラムさま。これは正装じゃありませんってば。迎賓館についたらちゃんとした物に着替えますよ」
おそるべき事実に声をあげると、横からヒョイっとパトリースが会話に入ってきた。
今の今まで緑豊かな山景と湖畔の交わりを眺め楽しんでいた彼女だが、どうやらそれにも飽きが来てしまったらしい。
慣れた手つきで硝子の窓を閉め切ると、彼女はハンサの隣の席にちょこんと収まりこちらに向き直ってきた。
「え、正装じゃないって……マジで?」
「あれ? 馬車に乗る前に言ってませんでしたっけ。この後、迎賓館についたら着替えをして会食に備える手筈になっているって」
「う……そういや、何か色々言ってたような気もするけど……すみません、ちょっとバタバタしていて聞き逃していたかも……!」
「あー。たしかにいきなりでしたもんね。ではあらためて、この後フラムさまにもお召し替えをして頂きますから。そこについてはご安心を」
「……マジですか」
「? マジですよ? 流石にその恰好では、参加して下さった皆さんドン引きですから」
はい。
ですよね。
俺もそう思っていたところなんですが……
なんていいますか、パトリースさんのこの落ち着きようというか、「それぐらい普通ですが、何か?」と言わんばかりのご様子。
今まであまり彼女に対してそういうイメージがなかったけど……何だかんだで本当に領主様の娘なんだなと、今更ながら再確認でございます。
というかハンサさんや。
さっきから吹き出しそうになっているのを堪えているようですが、申し訳ないことに全然隠せていませんからね?
肩めっちゃプルプル震えてるし。
ああもう、なんなんだ、この状況は。
曲がりなりにもあんな無茶振りもいいとこな戦いを制して、のんびり一息つこうって思ってたのに……
着替えだとか会食だとか、こんな田舎者を皆して、いったい何に巻き込むつもりなんですかね!
何処にいるのかしらないけど、助けてフェレシーラさん!
まあ予想としてはとっくに準備を済ませて、こっちを待ち構えていそうですけれどぉ!