281. 迫る刻限
両の眼を見開くも、在るのは、闇、闇、闇――
「な、なんだ、急になにも――おい、お前ら! 返事をしろ! 無事か! 無事なのか!?」
「おう! ここにいるぞ! が、なにも見えん! なんだこれは!」
「魔術に決まっているだろう。とりあえず、無闇に剣を振り回すなよ。同士討ちは勘弁だからな」
一切の光を拒む真の暗闇の中、男たちの声が行き交う。
『おい、小僧! 聞こえてやがるんなら、返事ぐらいしやがれ! こっちは真っ暗でなにも見えねぇんだ! テメェがやったことだろ! どうすんだよ、このあとは!』
「おれが、やったこと――」
頭の中で響く『声』の一部を口にしたところで、一気に記憶が蘇ってきた。
そうだ。
思い出した。
ここは試合場。
レゼノーヴァ公国、ミストピアの神殿内にある……
「――ぐっ!?」
光の刺さぬ目の奥側を突き抜けた、ズキリとした痛み。
一度きりのことであった拘わらず、激しい疼痛に思わず手が顔を覆い、指が蟀谷を押さえつける。
『なんだ!? どうした!? なんか喰らったのか!? クッソ……なんもみえねぇ! おい、ボケっとすんな! これもずっと続くわけじゃねぇんだろ! はよ動け、バカチン!』
「……ああ、わかってる。大丈夫だ、ジン、グ……!」
ぎゃあぎゃあと消魂しく騒ぎ立てるそいつの『声』を受けて、俺は完全に思い出す。
が、細かいことは必要ない。
いまは未だ戦いの最中。
俺自身が『暗闇』魔術で以て生み出した無明の闇が消え失せる前に、決着をつける。
いま俺が必要としているのは、それだけだ。
「ふぁ……なんですか、あの真っ黒い、ドームみたいなのって。もしかして、師匠がやったんですか? あれが出てくる直前に、陣術の刻印みたいなのが床に広がっていたみたいですけど」
「ふむ。効果から察するに、『暗闇』の魔術のようだが……これまた規模と密度が桁違いだね。そういえば彼、フェレシーラ嬢とやりあった時にも小規模な魔法陣を展開して、そこから『熱線』を放っていたと記憶しているが。これも同様の手順を踏んでいるのかな?」
「んー……私はちょっと魔術については疎いし、よくわからないけど。そんな感じかも?」
「相変わらず、教官はとぼけ方が下手ですな。しかしこれまた、地味だか派手だかわからんですね。査察団の連中からしてみれば、大混乱といったところでしょうが……お手並み拝見といったところか」
近くから、がやがやとした声と気配だけが伝ってくるが、誰がなにを喋っているのかもわかる。
パトリースに、セレン、フェレシーラに、ハンサ。
唯一ホムラだけが静かにしているが、きっと試合場だけが突然真っ暗になっていたので、驚かせてしまったのだろう。
微かに残る頭痛に顔を顰めつつも、俺は安堵する。
どうやら術法式の制御に失敗して、皆を巻き込んだりはしていなかったようだ。
一瞬、意識が飛んでいた理由はわからない。
にも関わらず『暗闇』の効果が持続してくれていたのは、恐らくは精神領域で組み上げた術法式を不定術で抜き出して、疑似的な陣術として作動させていたからだろう。
効果範囲の視力を確実に奪えるようにと、魔法陣そのもののサイズを拡張したことが吉と出た、と言いたいところだが……
ぶっちゃけそんな事を試したせいで無用な反動が発生して、気を失ってしまったのかもしれない。
なので、その点に関しては反省しなければならないだろう。
ちなみに審判として場内にいたティオは、こちらが魔法陣を展開した時点でしれっと観客席側に退避していたのが見えていた。
まあそこに関しては、変に巻き込むと咎人の鎖がカウンターでぶっ飛んできたいた可能性もあるのでむしろ感謝しかないけど。
それならそれで、審判介入で無効試合に持ち込めていたかもしれない……が。
『とりま今はそれどころじゃないな。サンキュー、ジング。正直助かった。あのままぼさっとしていたら、術効が切れた瞬間にタコ殴りにされてるところだった』
『ケッ! ようやく正気に戻りやがったか。べつに礼なんざ欲しかねぇよ。オメェが万が一くたばりでもしたら俺様も困るってだけの話だからな……んなコトよりも、とっとと動きやがれ! さっきからなんも見えねぇから、こっちが気が気じゃぬぇーんだヨ!』
『へいへい。ま、一応考えはあるからさ。落ち着けって』
いつもの調子で捲し立ててきたジングに返事を行いつつも、俺は心の中でもう一度感謝をしておく。
もしもの話……
ジングが『声』で俺の意識を引き戻してくれなかったら、かなり不味いというか、はっきりいって俺は敗北していただろう。
魔法陣に籠められたアトマにも術法式の持続時間にも、限りというものはある。
当然その術効が失われればアウトだし、そうでなくても気配なり術法なりを頼りにして、こちらの位置を察知されても即終了。
パニック状態から破れかぶれの攻撃に出られていたとしても、結果は似たようなものだったろう。
「く……まずは落ちついて、防御に徹しろ! 相手も条件は同じだ! ここからは無闇に声は出さずに出方を探れ! 後衛は術法で対抗! 奴を探し当てろ!」
「りょ、了解です……『照明』で可能な限り辺りを照らしてみますっ」
「ではこちらは『暗闇』の解呪に。皆様、御武運を」
「おう! 来るなら気やがれ!」
「声がデカイ。それと剣はとっとと捨てろ。近づかれたら組みついて動きを止めるぞ。トドメは誰かにやらせればいい。以降、我は沈黙に移る。しーん」
闇に包まれた場内にて、神殿従士と神官たちが連携を図る。
ご指摘の通り、視界条件は同じ。
依然として5対1であることにも、変わりはない。
だが――
「……おい、まだ灯りは容易出来ないのかっ」
息を殺してこちらの出方を伺う中、いつまでも光を取り戻せずにいたことに痺れを切らしたのだろう。
「そ、それが……さっきから『照明』を使っているのですが、まったく効果がなくって……! あ、む、無詠唱をやめてみます! それならきっと――」
副護衛長と呼ばれていた者と思しき男に急かされて、女性の神官が『照明』の詠唱へと入る。
己だけが声を発して動き、狙われるかもしれないという恐怖心を、得られる筈の術効が齎されないことへの動揺が上回ったのだろう。
暗闇の中、彼女は朗々とした呪文を場に響かせてゆく。
「照らすはの汝の塒、灯すは子らの燭台……揺蕩う光、安寧の輝きよ!」
呪文の詠唱が完成する。
光が宙空に瞬く。
瞬き、そして消える。
「……え? な、なん――あがっ!?」
くぐもった悲鳴に続き、ジャラン、ガシャンという錫杖が地に転がる音が響く。
「出力不足だよ。単純にさ」
がら空きとなっていた腹部へと遠慮のない肘鉄を深々と沈み込ませた、その結果。
どさり音を立てて標的が崩れ落ちたタイミングで、俺はその場を離れにかかる。
遅れて何者かが突進してくるも、捕まる筈もない。
声を出したのもそこを狙わせる為だ。抜かりはない。
随分と間隔は空いてしまったが……なにはともあれ、これで四つ。
残る数も同じとなった。
「な、なんだ……誰かやられたのか!? おい、解呪はどうなった! ちゃんとやっているのか」
「五月蠅い。今やっているから騒がないで。ちょっと術法式が複雑だけど、時間をかければ……」
陽の光を断たれたことで、じわじわと熱を失い始めた戦場に二つの声が響く。
今しがた『照明』が打ち消されたこともあり、残る一人の神官も『解呪』に際して慎重な動きを見せているのが伝わってきた。
解呪を進めるにあたり、効果の増強を狙わない限り呪文の詠唱は必須とされない。
故に、気配を頼りにする以外に闇に乗じて攻めることは難しい。
そういう判断を彼女は下したのだろう。
その間近にて更に一つ……ガシャリという音を立てて、誰かが崩れ落ちた。
女性が息を呑む気配と共に、俺は指折り数える。
残るは三つ。
タイムリミットである、夕暮れまであと僅か。
決着の刻が迫っていた。