284. 聞き覚えなき足音、二つ
それはフェレシーラからの呼び出しを待ちながら、心地よい疲労感に任せて寝台でのごろ寝を満喫していた時のこと。
『そういや一つ、気になってたんだがよ』
ふと思い出したといった風に、ジングがこちらに問いかけてきた。
それを受けて俺は仰向けの体勢で腕を頭上に翳す。
艶の無い黒い腕輪が水晶灯の輝きを遮ったところで、再び『声』がやってきた。
『オメェ、あの『暗闇』を出したあとに突然動かなくなってたろ。あんときゃ流石の俺様も焦ったが……なんでいきなり、バトってる真っ最中にボサッと突っ立ってたんだよ』
「え――」
ジングの問いかけに、俺は思わず肉声で返してしまう。
そして言われて思い出す。
試合場全域を使い捨ての魔法陣で隈なく覆い、『暗闇』の魔術を履行した直後……
「そういや、そんな事があったっけか……」
『あったっけか……じゃぬぇーよ! てゆーか、まさか今の今まで忘れちまってたのかよ!』
『どうもそうみたいだな。うーん』
独り言では済まなくなったきた呟きを『声』に変えて、その時の出来事を振り返る。
振り返ろうとするが……
『駄目だ。魔術を使ったあと、お前に呼ばれたことしか思い出せないや。アレってどれぐらいの間だったのかな。わりと一瞬だったような気もするんだけど』
『どれぐらいって言われてもな。ちと俺様も慌てちまってよくわかんねえぞ。でもまあ、あれで術が途切れでもしていたら、ブッた斬られてお終いだったのは確かだな』
『マジか。そこまでヤバい状態だったんだな。なんだろ……術法の規模と効果を引き上げすぎて、発動は出来たけど反動で意識がとんでた、とかかな。それか相手の神官が密かに『睡眠』を仕掛けてきていて、抵抗出来ずにくらってたとか』
『さあな。そこらは俺様にはわかんねえよ。まぁ理由のわかんねぇことを考えたところで仕方もねぇが……次はヘマ撃つんじゃねえぞ』
言うだけ言ってスッキリしたのだろう。
ジングはそれきり黙り込み、俺もまた頷きのみで返す。
何故あの時、『暗闇』の魔術が途切れずに済んでいたのか。
その理由、仕組み自体は至極単純だった。
未だ原因は不明ではあるが、そもそも俺は普通に術法を発動することは出来ない。
最近になって、ほんのちょーーーーーーっぴりと術効が現れるようにはなっていたが、ハッキリ言って素のまんま使用したところで何の役にも立たないレベルなので、使えないのも同然だ。
そんな俺がまともに術効を得る為には、フェレシーラが貸与してくれている霊銀盤で『不定術法』と呼ばれる術法モドキを用いて、『己の体内で組んだ術法式を、魔法陣として体外に抜き出した上でアトマを流し込む』という、もって回った手法を取らねばならないのだ。
そのやり方自体、『異なる二つの術具・術法式を同時に扱える』という俺の特性を利用したものなのだが……
「うん。やっぱコレやると、結構疲れるな……アトマ欠乏症を起こすほどじゃないにしても、同時に術具と術法を、ってのが不味いのか。でもこうしないと、今のところまともに魔術が使えないし。地道に修行して、ちょっとずつでも改善していくしかないかぁ……」
もしもの話。
もし俺が、この欠点を克服出来れば。
それこそ術具や不定術を扱っている時のように、『全力で動き回りながら術法も使える』という、若干インチキじみた行動も取れる筈なのだ。
それ故、是が非でも不定術抜きでの術法発動を可能にしたいという思いは、このミストピア神殿にやってきてからというもの……
フェレシーラの横に並び立つために強くあらねばと、そう心に決めてからというもの、その想いが日に日に強まってゆく自覚があった。
「しかしそうなると、今度はそれ以外の攻め手がなぁ。現状、体術とアトマ光波で近中距離戦をこなすとしても……やっぱ短剣の『蓄積』が使えるように直してもらわないと、接近戦の決め手にかけるか」
初めてとなる多対一の戦い。
以前、『隠者の森』でも増殖した影人と出くわしたことはあったが、あの時はフェレシーラが一手に引き受ける形だったので、俺としては今回の代理戦が初、といった認識だ。
その戦いにおいて確認出来たこと、収穫は多いにあった。
まず、ここ暫くフェレシーラとの手合わせで用いていた『探知』の術具活用。
これは予想はしていたが、まともに使う暇はなかった。
もっといえば、囲まれている状況では不向きなことが良くわかった。
アトマ視による術法を始めとした行動察知効果は、強力ではあるものの、流石に包囲状態で常にリソースを割けるほど万能ではない。
どう足掻いたところで、自分の目を介して視る必要があるので『探知』を発動したところで、背後の敵にまで対応できるわけではないのだ。
そこで今回は、ジングの『眼』のサポートを受けて、『避けられる筈のない、もしくは非常に避けづらい攻撃』を無駄のない動きで避けにかかり、相手の動揺を誘いにいった、という具合だ。
しかし最終的には、『暗闇』の魔術で一気に全員の視界を継続的に奪いにいきつつ、こちらは『探知』による索敵からの各個撃破を成功させていたので、しっかりとお世話になっている。
「もしかしたら『右』も使う機会があるかもって思ってたけど……やっぱりこっちは一対一向けか。本当なら今日、フェレシーラとの〆の一戦で使うつもりだったけど。どちらかというと、術士向けだもんなぁ」
ついつい普段の癖で独り言を繰り返すも、ジングが絡んでくる気配はない。
どうやら一足先に眠りに入ってしまったらしい。
魔人容疑のかかっているジングくんだが、その生態に関しては謎が多い。
そもそも魂だけの存在である筈なのに、やたらと寝ていることが多い。
なんならこれまで殆ど俺の中で眠りについていたのでは、という疑いまである。
他にも気になる点は盛沢山ではあるが、現状、無理に聞き出そうとしたところで、それは叶わないのは目にみえている。
それよりは、タイミングを見計らって世間話を装って聞いてみたりとか、口喧嘩からの引っ掛けで喋らせてみたりだとか……そういう、ある種適当ともいえるやり方の方が、コイツには効果的だろう。
アホだから絶対どこかでポロッといきそうだし。
アホだから。
「でも、意識を失ってる間も術効が途切れなかった、か。これってもしかしたら、上手くすれば――っと」
思考がドンドンと脇道に逸れ始めたところで、コンコン、という物音が響いてきた。
扉がノックされる音。
それを聞きつけて、寝台から素早く身を起こす。
廊下を誰かが歩いてきている気配は、先ほどから伝わってきていた。
だがそれは、特段俺が集中していたから気付けたというわけではない。
単純に、何者かの足音が石造りの廊下に響き渡っていたからだ。
恐らくだが、部屋を尋ねてきたのはフェレシーラでもティオでもない。
一応念の為に、霊銀盤を仕込んだ合皮の手甲は身に付けておくことにした。
「どうぞ。空いてますよ」
こちらの促しに対して返されたきたのは、カツン、コツンという靴音が二つ。
それは今まで、俺が聞いたことのない足音だった。