276. 閃影、黒き瞬きと共に
「ふむふむ……査察団のみなさーん。ちょおぉっと、ごめんねー」
わいわいがやがやと盛り上がり始めた観客席の脇から、ひょいとティオが身を乗り出してきた。
「護衛長は脳震盪。あとの二人は打撲……うん、ちょっときつそうだけど、場外に出てから自力で治しておいてねー。それと……ハンサムくんだっけ? そこのお兄さん」
「……俺のことを言われてるのでしたら、ハンサ・ランクーガーという名前がありますが。なにか御用でしょうか、青蛇殿」
試合場に転がる負傷者たちへの診断を開始し始めたティオに呼びかけを受けて、ハンサが観客席より立ち上がってくる。
「あ、そうそう、そんな名前だったね。ごめんね、ハンサ副従士長。ごめんついでに、この護衛長をそっちに運び出してくれるかな? 試合の邪魔だからさ」
「了解しました」
謝罪の言葉を口にしつつもまったく悪びれない様子をみせるティオに、ハンサが一礼を行い要請に応じる。
2人の神官がフラフラとした足取りで試合場を離れ、護衛長がズルズルとハンサに引き摺られて退場してゆくのを、俺は『さも当然』といった態度で見守っていた。
そういやティオのヤツ、この試合の審判役を買って出ていたんだったな。
多人数を相手して立ち回るのに必死で、すっかり忘れていたけど……
突然こちらに代理戦なんていう、わけのわからないモノを押し付けてきただけでは飽きたらず。
挙げ句ジャッジを下す側に回るだとか、一体どういう神経をしているんだよ、コイツは。
しかもチラッと耳に入った感じでは賭け試合の開催までし始めていて、俺が勝てば赤字コース確定の、胴元の意味ってなに? みたいな状況に陥っていたクセして、平然と対戦相手を負傷扱いで退場にしてくるし……
いや、ちょっとティオについて考えるのはやめておこう。
やる事なす事予測がつかな過ぎて、こっちの頭が混乱しかねない。
それより今は、残る神殿従士3人と神官2人を相手にどう戦うかが重要だ。
幸いティオの裁定に口を挟む者はおらず、数的な負担は大分軽くなってはいる。
一か八かの不定術を用いての限定的な目眩ましによる崩し。
そこから一気に護衛長と神官2人をダウンへと追い込めたのは、僥倖というより他にない。
『ケケッ……いいねぇ。どいつもこいつも、ちょいと出し抜かれた程度でビビり散らかしてやがる。こんなプライドチキンのハッタリくん相手によ』
そんな俺の内心も知らずに、ジングが『声』をあげてきた。
その口調は随分とご機嫌といった様子で、翔玉石の腕輪に浮き出た瞳もニヤけたように薄く見開かれている。
『おい、調子に乗るなよジング。言っとくけどここから先は、あんな簡単には倒せないからな』
『んぁ? なんでだよ、そりゃ。またさっきのビカーッ! って光るヤツで動きを止めちまえば楽勝だろぅがよ、この程度の連中はよぉ』
『はぁ……ほんとアホなんだな、お前って。そんな簡単にいくわけないだろ』
『あァん!? どぅあーれが、アホだ! この糞餓鬼!』
『いいから、ちょっと黙って聞けって』
いつもであればそこそこで会話を切り上げるところだが、今回ばかりはそうもいかない。
ヒートアップしかけたジングに、俺はちょっとした種明かしを行うことにした。
『さっきの目潰し……『閃光』の魔術はな。くるってわかっていれば、対策は簡単なんだよ。なにせ片手で顔を覆うだけで効果が激減するからな。しかも溜めが必要だから不意打ち以外には使いにくいし。ついでにいうと、全方位に撃つと光量そのものが不足してそもそも意味がない。つまり……囲まれた状況で誰かしらに向けて撃ったところで、それ以外のヤツにバッサリいかれる可能性が高すぎるんだよ。それに間違っても、ホムラを巻き込むわけには』
『だぁっ! なげぇよ! 長すぎんだよ、テメェの説明はよ! そっちが使えねぇのは、よーくわかったからよッ!』
うむ。
すんなりとわかってくれて俺は嬉しいよ、ジングくん。
ちなみにこの目潰しの術自体、以前修行時代の俺にマルゼスさんが見せてくれた『エネルギーを純粋な光として放つ』魔術の独自解釈再構成版。
つまりはアレンジバージョンの魔術だ。
まああの人の場合だと、目潰しになるほどに光量を引き上げると『森の小川の一部が干上がってしまう』ほどの滅茶苦茶危険な代物と化していたけど……
それも術法式の組み方次第、使い方次第かと思い、新たな手札の一つとして練習を重ねていたのだ。
術法を放つ掌に鏡の役割を果たす効果を付与した上で、それを操り放つ光の射角の調整と収束を同時に行う。
その上で、殺傷力を持たぬ程度のエネルギーを生み出すに留めることで、扱いの難しい不定術でも十分にコントロール可能なレベルの術法として完成させる。
純粋に破壊力のみを求める『熱線』等とは違い、細やかな調整が求められる補助的な術法の類は、総じて制御難度が高くなる傾向があるのだが……
今回の『閃光』の魔術に関しても、それと同じことが言える。
『まあとにかくだ。使うにしても『閃光』は状況を見てになるからな。一応布石も兼ねてるし。というわけで……ここから先は頼むぞ、ジング』
『ハッ! やーなこったね! ぬぁんでこの俺様が、テメェなんぞに顎で使われねぇとなんねーのよ!』
なんだかんだで一蓮托生という繋がりを頼りにジングに頼む込むと、思っていた以上の反発が返ってきた。
ティオはといえば、既に試合場の開始円に立ち、戦闘の再開を告げようとしている。
正直言って、あまりよろしくない状況だ。
一度はジングの加勢も得られていたので、このまま流れに乗せていける思っていたが、どうやら少しばかり楽観しすぎていたようだ。
参ったな、こりゃ。
まあ今回こそ、本当に意地を張っても意味のない戦いとも言えるわけだし――
『……と、言いたいところだが』
後は如何に負傷を押さえて上手く負けるかと考えていたところに、ジングが勿体つけた口振りで前言を翻しにきた。
『テメェがボコられるのを眺めるのも、まぁそうわるくはねぇがよ。この様子じゃ、まーだこのボンクラ共は気付いてねぇみてぇだなぁ……カカカカカ』
『……かもしれないな』
気付いていない。
その言葉を受けて、俺は周囲を見回す。
残る神殿従士の男たちは、三方に散りこちらを取り囲んでいる。
神官の女性二人は、アトマ光波を警戒してか先ほどよりもかなり遠目の位置に待機。
二人の距離に違いがあるところを見ると、おそらくは術法によるカバー範囲の差がそのまま表れているのだろう。
『さっきのアレは良かったぜ。オメェが連中の不意打ちを躱して、逆にブチのめしてやったあとの、ヤツらの顔ときたらよ』
『なるほどな』
その口振りから察するに、どうやらジングもその気になってくれたようだ。
こちらはそんなモノをじっくりと眺める余裕はなかったし、そこまでの興味もないが……コイツらしいといえば、コイツらしい理由だ。
少なくとも、合わせてみるのもそう悪くないと思えた。
「さて……そろそろ、試合再開しちゃうよー? あ、皆は引き続き遠慮なくフラムっちに斬りかかっていいからねー。治せる傷は治すし……不幸な事故ってヤツが起こり得るのはお互い様だ。てなわけで、ここで死んじゃうヤツはアーマ様への信心不足だったと上には報告するんで! 気合いいれてこー♪」
なにやら物騒なことを口にしつつも、ティオが右腕を高々と差し上げる。
戦闘再開の合図。
それを皮切りに、こちらを取り巻く気配が動き始める。
もう大した手札もない、いたいけな少年を相手にご苦労なことである。
幾ら仕事、命じられた事とはいえ、年長者としてのプライドとかないんですかね?
煽りに煽った俺が言えた立場ではないかもだけど。
とにかくここはやるしかない、という割り切りと共に、いい加減にあちらの強引なやり口に理不尽さを覚えてしまい、『吠え面の一つぐらい掻かせてやりたい』という気持ちにもなり始めているのも、確かだった。
となれば――
『もう一度、お前に見せてやるとするか。その面白い顔ってヤツをさ』
頼るべき者へと『声』を投げかけてみると、獲物を狙う猛禽の眼差しがこちらに返されてきた。