274. 奇襲、思惑、入り乱れ
一人ずつだとか、一組ずつだとか、そんな相手側が決めた暗黙の了解など、知ったことではない。
「ねえ」
そう言わんばかりの宣言を経て、正真正銘の多数戦、8対1の試合に移行しようかというタイミングで、中高音の呟きが俺の耳へと飛び込んできた。
「誰? いま、あそこにいる子って」
「突然どうされたのですか、教官。誰がみてもフラムっちですが」
「かっこいいです、師匠……! あ、ちょっとハンサ、椅子の上に鎧置かないでよ。邪魔よ、じゃーまー」
「はっはっは。順に当たるだけでも厳しいところなのに、全員で一気にかかってこいとは中々盛り上げてくれるね、フラムくんも」
「ピ! キュピピピピ……!」
「うーん。結局全員、フラムっちにベットするとはね……もしかしてコレ、ボクのお財布結構ヤバい状況? ていうかなにサラッと給金三月分以上ブッ込んでるんだよ、この白羽根様は。相変わらず金銭感覚おかしいな?」
丁度こちらの背後に置かれていた観戦用の長椅子より、やってきたのはそんなお声の団体さん。
状況が状況だけに、全員の顔を確認する余裕はないが……
まあ大凡どんな様子か見当はつくというか、めちゃくちゃリラックスしまくっているのだけはたしかだろう。
そんな観客席の面々とは対照的に、円陣を組みこちらを包囲し続けていた査察団のメンバーは、皆一様に真剣な面持ちで武器を構えていた。
「アロン、ツェヴ、グライ。まずは俺が崩す。お前たちは後に続け」
「護衛長、さすがにそれは……ここはまずは私どものペアだけで」
「ならん。貴公とて、ゼヌルのやられようは見ていただろう」
「……! 了解、です……!」
「うむ。皆も、見た目に騙されるな。後衛はアトマ光波での狙い撃ちを警戒! 前衛はカバーを優先!」
護衛長と呼ばれた年嵩の男が、逸る同僚を制しながらも指示を飛ばす。
早々に脱落者を出したことによる動揺を収めつつ、自らが先導を買って出る。
その手慣れた動き、手腕からも実力が窺える。
だが、そのやり方は――
『おーおー、あんな挑発にあっさりのっちまってまぁ……イチナン去ってまたイチナン、ってヤツかねこりゃ。カカカ』
『おい、ジング。なんでお前そんなに嬉しそうなんだよ。それと無理して難しい言葉、使わなくていいからな?』
『べ、べつに無理なんかしてぬぇーし! これぐれえ、ジナンサンナンぐらいまでヨユーですし!?』
『……うん、まあ。了解』
とりまいきなり喋り倒してくるジングくんは、まあ平常運転だとしてだ。
ティオとドルメが揉めたことを皮切りに、唐突に始まったこの代理戦。
状況としては理解し難いものではあれど、こうして戦いの場に立ってみると意外なほどに気持ちの面では落ち着いていた。
明確な取り決め、ルールや線引きもなく、ただ実力で結果を示すなどという渾沌とした状況下にありながらも、自分自身、驚くほどに落ち着いていられた。
その結果が先ほどの、先鋒としてこちらに挑んできた――おそらくはゼヌルという名の――神殿従士に対する切り返し、早期の決着だ。
想定外の戦いからの、想定外の勝利。
そしてそこから更に待ち受ける、8対1という絶望的としか思えない戦い。
それらの事実をゆっくりと気息を整えつつ、頭の中でまとめてみる。
この理不尽の塊としか言えぬ戦いを、心の何処かで楽しんでいる自分がいることを、認めてみる。
「まったく。もうちょっとぐらい慌てふためいてみてもいいでしょうに……いつの間にやら、随分と可愛げがなくなってきたものね」
呆れたようでいて、達観したような……しかしそれでいて、どこか嬉しげにも満足げにも感ぜられる。
そんな彼女の声を背に受け鞘付きの短剣を握りしめると、体の奥から力が湧いてくるのがわかった。
護衛長が、こちらとの間合いをじりじりと詰めてくる。
舌の根が乾くほどの緊張感が思考を研ぎ澄ましながらも、血潮に巡りゆく闘争心に火をつけてゆく。
「しかし思い切りましたな。ここで全員を相手取るとは……まだ一組二組なら、行儀よく挑んできてくれたでしょうに」
「えー、その手のお話でもよくあるやつだし、カッコよくていいじゃない。あ、アンタも今度、皆で野外戦するときに『貴様ら全員、纏めてかかってこい。このハンサ・ランクーガーが相手をしてやる!』……とか、言ってみてよ。気が向いたら応援して……って、だからなんで鎧を間に置こうとするのよ! 今日まだお手入れしてあげてないんだから、汗臭いんだってばー!」
「……なあホムラくん。ちょっとそろそろ、私もいい人を見つけたくなって来たのだがね。もし心当たりがあれば、誰か一匹紹介してくれないかな? 出来れば弄り甲斐のある幻獣種優先で」
「ピピ!?」
……若干というには、少々騒々しさを増しすぎた観客席に、思わずジト目を飛ばしたその瞬間。
その真逆から、石床を蹴りつける音が響いてきた。
「隙あり!」
護衛長の右手に位置していた男が、剣を大上段に突進してくる。
一見して、抜け駆けに思える奇襲の一撃。
しかし――
『ジング!』
『おうよ』
猛進を開始した男に目線を定めたまま思念を飛ばすと、鷲兜が即座に応じてきた。
『どっちからだ!?』
『左に決まってんだろ、クソボケ!』
左。
その言葉だけを拾い、前へと踏み出す。
「なっ……!?」
当然そこにいたのは、長剣を構えて『こちらに仕掛けるフリ』をしていた護衛長。
「うおっ!?」
「チッ――」
背後からは、驚きの声に入り混じり微かな舌打ちが響いてきた。
『カカ――ざまぁねぇなぁ。正義の神殿従士サマどもがよぉ。不意打ち失敗、かあっこわるぅ! クカカカカッ!』
そこにジングが無音のせせら笑いを浴びせかける。
おそらくは寸でのところで激突を逃れたのだろう。
背後で交差する、二つの気配があった。
右手側、剣を振り上げて派手に襲い掛かってきた男も、護衛長と同じく囮。
本命は俺が対応するであろう相手の、その真逆。
護衛長を迎え撃つ構えを見せていれば、当然背後に控えた神殿従士からの奇襲。
そうでなければ、左右からの挟み撃ち。
そうした動きを予見した上での、最速最短の頭潰し――
即ち、『指揮を担う護衛長が、いの一番に交戦を宣言』する等という、矛盾だらけの指示を飛ばした食わせ者こそを、俺は標的としていた。
「くっ!」
「悪いな!」
二段構えのつもりでいた護衛長に向けて、短剣を振りかぶる。
アトマ光波による、リーチの外からの先制攻撃。
それが未だ、彼の脳裏に焼きついていたのだろう。
長剣による受けの動作をとってきた男の眼前で、俺は大きく屈み込んだ。
「……!?」
避けることよりも、防御を選択する。
それは『己が動けば、背後に控えたペア役の神官が危険に晒される』故の判断だ。
間違ってはいない。
ただしそれは……俺が『光波しか飛び道具をもたない』場合の話だった。
「起きよ――」
石床に沈み込むようにして屈んだ下肢に力を籠める。
「承けよ――」
握りしめた両の拳、それを包み込む手甲に意識を集中する。
不定術式の構築が進むその最中、飛蝗の如くしてその身を宙に躍らせる。
ダンッ、と石床を蹴る音があり、護衛長が、そしておそらくはその場にいた者すべてが天を仰ぐ。
……いや。
唯一、青蛇の神官だけが舌をペロリと出して手で顔を覆っていた事を見届けながら――
「結実せよ!」
俺は上空より下方に向けて、アトマの光を解き放っていた。