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265. そして今、この時へと

「丁度今から、1年ほど前だったな。このお転婆が湖賊の連中に捕まったのは」

「1年……わりと最近の出来事だったんですね」


 衝撃の事実を伝えてきたハンサに、俺はそう聞き返すのがやっとの有様だった。

 貪竜湖に巣食う、湖賊。

 彼らがどのような存在であるのか……

 

 いや。

 そもそも俺は、主である邪竜ギリシュを失った貪竜湖自体が、どんな状態にあるのかもしらない。

 なのでこうして、パトリースがミストピアの神殿従士を引き連れて向かった湖賊の縄張りが、どの程度の規模であるのかも把握出来ていなかったのだが……

 

「貪竜湖は、端から端で最長1000kmにも及ぶ巨大な湖だ。元はミストピア周辺の山々から伸びる河川により形成されていた大湿原地帯を、ギリシュが呑み喰らったことで一繋がりの大穴と化し、そこに時をかけて山水が流れ込み生まれた淡水湖。それがあの巨大な湖の正体だね」

「……セレンさん」

 

 これ以上話が長引いては不味いかと、ハンサに質問しあぐねていた俺に向けて声をかけてきたのは、木箱の上に腰かけたセレンだった。

 みれば彼女はホムラを膝の上に住まわせて、ゆったりとした手つきで喉をさすっていた。

 

 見ようによってはその動きは、吟遊詩人が弾き語りに興じているように見えないでもない。

 さしずめホムラは、ちょっと小さめの竪琴とったところか。

 時折聞こえてくる喉鳴りの音は、可愛らし過ぎて戯曲的とは言えなかったけど。

 

「なに、どちらにせよフラムくんは影人討伐で貪竜湖に向かうのだろう? それならば、予備知識の一つや二つ、あって損ではないかと思ってね」

「それは……こちらとしては、助かりますけど。でも、今はフェレシーラを待たせているかもだし、時間が」

「それならば気にせんでいい。ドルメ殿たちも、そろそろまた休憩をとるはずだ。こちらは少し早めに入った、という形でそう問題はなかろう。正直、俺も少々肩が凝ったことだしな」

「う――お、お疲れ様です、副従士長……」


 セレンとのやり取りに加わってきたハンサに対して、俺は思わず頭を下げてしまう。 

 鎧に身を包んだまま、ごきごきと肩を鳴らす姿から疲れ具合が窺える。

 

 そういやこの人、しばらく一人で査察団に対応していたんだもんな。

 始めの内はちょいちょい資料を届けに来ていた神殿の人とかもいたけど、特訓場には姿をみせてはいなかったみたいだし、セレンとパトリースが駆けつけてくるまでは完全に一人だった可能性もある。

 

「そういうことでしたら……少し詳しく聞かせていただいてもいいですか。たしかに、影人討伐の際にその湖賊に出くわさないとも限りませんので」

「うむ。心得たよ」 

「ピ!」


 セレンの頷きにあわせるかのようにして、ホムラが鳴き声をあげてきた。

 こちらは先ほどまで会議棟でぐっすりと眠りこけていただけあって、元気いっぱいといった様子だ。

 

 ちなみにパトリースはといえば、腕組みをして仁王立ちとなったハンサにもたれかかるようにして……というか、完全に寄りかかってブチブチと恨み言を口にしている。

 まあ、これに関しては仕方ない。

 ここまでの話を聞く限りでは、完全に自業自得だしな。

 

 というか、よくこの子も無事でいたもんだ。

 湖賊という名前からには、相手はとても紳士的な連中とは思えないし、そこはやはりミストピア領主の娘、という触れ込みが効いていたのだろうか。

 事の顛末を極一部の人間しか知らないってのなら、街の人が気付くほど、滅茶苦茶派手にドンパチやりあったってわけでもないんだろうけど……

 

 そこら辺、まだまだ不明な点が多いな。

 

「貪竜と呼ばれただけあって、ギリシュの食欲は凄まじいものがあってね。彼が呑みこんだ村落は両手ではとても足りなかったし、中にはそれなりの規模の街も存在していた」 

 

 ついついそちらに思考を巡らせていると、セレンが語り始めていた。

 その口振りは、まるでその光景を己の目で見たきたようでありながらも、感情の色を感じさせない。

 思わず、俺は居ずまいを正して彼女の話を聞き入る。

 

「勇者ジンがギリシュを討ち果たしてからは、急激な湖の拡大は収まっていたがね。それでも、一度生み出された流れというものは、そうそう容易く治まりはしなかった。端的に言えば、そこに住んでいた人々は戻ってはこれず、王国の文明圏に収まらなくなってしまったわけだが……」


 そこで一旦言葉を区切り、彼女は皮肉げに口元を歪めてみせてきた。


「ラグメレス王国時代の聖伐教団は、湖そのものを勇者ジンが成し得た勝利の証、聖域として扱うことでそれを誤魔化そうとした。要は復興作業に手が回らない王家の面子を立てるために、一役買って出たわけだね。結果そうして、立ち入り禁止となった貪竜湖はふたたび魔物が巣食う、人外の領域と逆戻りしてしまった……というのが、彼らが残した結果だ」


 セレンのいう、王国時代の話。

 更にいえば、その頃の聖伐教団の話にもなるのだが……

 

「すみません、セレンさん。話に割り込んでしまいますが……『貪竜の花嫁と異国の騎士』の内容を聞かせてもらった時も思ったんですけど。その頃の聖伐教団って、なんだか領主や騎士からの扱いが悪いというか。下に見られている感じがするのは気のせいでしょうか?」

「いいや。気のせいではなく、その通りだよ」


 おっと。

 もしかしたら思い違いかとも考えたのだが、どうやら推測が当たっていたらしい。

 

 こちらの疑念をあっさり認めると、セレンは言葉を続けてきた。

 

「千年王国とも呼ばれていた当時のラグメレスでは、王侯貴族とそれに仕える騎士の力が非常に強くてね。聖伐教団は魔人に対抗するための戦力として扱われることが専らで、王国民の心の支えとなるアーマ教の伝播……布教活動に関してはあまりいい顔をされてはいなかった、というのが実情だったよ」

「なるほど。それはまた、今とはかなり状況というか、立ち位置が違う感じですね」

「ああ。結局はその戦力のみをあてにされていた聖伐教団も、魔人王との戦いの後に姿を現した魔人将に、勇者ジン共々、敗れ去ってしまったわけだが……」


 魔人王の出現による、王国対魔人の軍勢の戦い。

 遷神暦にして、百二十五年の出来事。

 これに関しては、勇者ジンと聖伐教団の活躍により王国は難を逃れたとされている。

 

 しかしその僅か12年後。

 遷神暦百四十四年に再び姿を現した魔人将とその配下の魔人たちにより、王国は滅亡に追い込まれた。

 それまでは50年ほどの時をおいてしか、人々の前に姿を現さなかった魔人の軍勢が、だ。

 

「その後の流れに関しては、君も知っているだろう。聖伐教団との親交が深かったレゼノーヴァ公の台頭による、公国初の聖戦。『第一次魔人聖伐行』に至るまでの運びも……」

 

 飽くまでも淡々とした口調を保つセレンの言葉が、俺の記憶を呼び起こす。


「そして、新たなる聖伐の勇者。『煌炎の魔女』マルゼス・フレイミングの登場も……フラムくん。君のよく知るところだろう」


 その名を前にして、否応なしにこちらの脳裏を掠めた真紅の礼装に……

 嘗ての師の姿に、俺は知らずの内に深々と息を吐き下ろしていた。



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