264. 謀略の花嫁、水面に消ゆ
アレイザから帰還して、街を挙げての歓待ムードに舞い上がったパトリースさんが、何をやらかしたかと言えば……
護衛を命じられていたハンサに頼み込み、まずはミストピア神殿に参殿をキメて。
そこで自分の父親、つまりは領主に近しい神殿従士にチヤホヤされつつ街の話を色々と聞いて周り。
貪竜湖に巣食う湖賊による被害に住民が頭を悩ませていながら、管轄的に神殿従士たちが手を出せずにいることを知ると。
公都の屋敷で読み漁っていた本の中にあった『貪竜の花嫁と異国の騎士』のお話を思い出し、それに倣って行動を開始した……という話だった。
「勇者ジンの竜退治には協力者がいた。それが聖伐教団の一員であった少女……貪竜をおびき寄せる餌。ギリシュへの生贄を装い同行していた娘だ」
「それが転じて、『貪竜の花嫁』として主題として銘打たれたと。異国の騎士の部分といい、実際にあった出来事の結末からタイトルが決まっていたわけですか。なるほどですね」
ハンサが行ってきた事の成り行きと説明に、俺は得心の頷きを返していた。
勇者ジン。
その名は俺にも聞き覚えはある。
あまり思い出したくないことではあるが……以前ミストピアの路地裏、スラムで出くわしていた老婆が口にしていた、ラグメレス王国の英雄。
それが『聖伐の勇者』ジン。
形としては俺の師匠であった『煌炎の魔女』マルゼス・フレイミングの先代となる人物だ。
騎士と魔術士という違いこそあれど、共に救国の英雄、聖伐の勇者であることは変わりない。
あの時、たしか老婆はジンのことは『最後にして最高の聖騎士』と褒めたたえつつも、しかし当時から王国に存在していた聖伐教団に関しては――
「正直に言えば、俺の監督不行き届きという奴ではあったがな。アレイザからの帰り道で、こいつのお転婆ぶりは身に染みていたつもりだが……家に戻って気が抜けた、というのは言い訳にしかならん」
「うーー……だから、ごめんなさいってばぁ……っ!」
「今更謝られたところでな。人死にが出なかったからまだいいものを。本来なら法廷に突き出されているところだ。まあ、その時は俺も連座していただろうがな」
記憶の階段を下っていたその最中、ハンサとパトリースのやり取りに意識が引き戻された。
なるほど。
ハンサも、そこは『連座させられていた』じゃないんだな。
流石に神殿の副従士長を務めているだけに責任感があるというか、なんというか。
その頃はまだパトリースも神殿に所属していなかっただろうに、面倒見がいいってレベルじゃないよなぁ、この人も。
今度の査察への対応の無茶振りといい、苦労させられすぎなのではとおもうが……その中に俺のやらかしも含まれていると思うと、どうにも頭が上がらない部分がある。
というか、だ。
「あの、ハンサ副従士長」
「なんだ」
ぽかぽかアタックを繰り返すパトリースにされるがままのハンサに向けて、俺は一度大きく頭をさげた。
「模擬戦の際には、御迷惑をおかけしました。試合場を壊してしまい申し訳ありませんでした」
「ああ……いきなり畏まってきて何かとおもえば、そんなことか。あれは俺が悪い。気に病む必要はない」
「そ、そうは言われてもですね。補修作業とか、どうみてもお金も手間もかかっていますし……教会の人たちも皆して、副従士長の責任だと言われていたので。俺としても居心地というヤツが……」
「いいからとっとと顔をあげろ。負かされた相手に下を向かれていては敵わん」
負かされた相手。
その言葉を耳にして、俺は姿勢を戻してハンサを見上げた。
まあ、身長差的に自然と見上げる形になっちゃうんだけど。
それはさておき……こちらとしては、少し複雑な心境だった。
結果としても記されていたように、あの模擬戦はハンサの勝ちだった。
思っているとか、だろうとか、そんな漠然としたものではなく、彼の勝ちだった。
なのにハンサは「自分は負かされた」と口にしてきた。
あの時、俺は覚えたてのアトマ光波をなんの躊躇いもなく全力で、彼に撃ち込もうとしていた。
無論それは、先にアトマ光波を繰り出してきたハンサ自身が招いた事態ではある。
しかし俺はそんなハンサを挑発して、自分が圧倒的に有利だとわかりきっていたアトマ比べに、無理矢理勝負を持ち込んだのだ。
はっきり言って、模擬戦の範疇から逸脱しすぎた行いだった。
あの模擬戦は、飽くまでも俺に対するテストを目的としたもの。
そこに神殿従士としての矜持といった感情の縺れが絡み、また、俺自身も勝ちに拘ってしまったことで、意地の張り合いに突入していたとしても……
いや。
ごちゃごちゃ考えるのは、もうやめておこう。
ここで俺が「負けたのは自分の方だ」なんてと言い張ったところで仕方がない。
互いに勝ち切れなかった。
これに関しては、それだけのことだろう。
「ありがとうございます。ハンサさん」
しっかりと視線を合わせてそれだけを伝えるも、彼は特に言葉を返してはこなかった。
ただ、その口元が少しだけ、どこか嬉しげに見えたような気はする。
しかしそれも、すぐに彼が「話を元に戻すぞ」と口にしてきたことで、掻き消えてしまっていた。
なんだろう。
ちょっとこれ……互いの実力を認め合った男同士のやり取りって感じがして、カッコいい気がするな……!
などどいう事を考えて、内心密かにニマっていたところに――
「この街にやってきてすぐに、お転婆が企てたことは二つ。一つは神殿従士たちに『勇者ジン』の役回りを与えて、街の救世主に仕立て上げようしたこと。そしてもう一つは……自分自身が『貪竜の花嫁』の役を買って出て、湖賊をおびき寄せようとしたこと」
「……え?」
ハンサが明かしてきたパトリースの計画が、物の見事にこちらの余韻を吹き飛ばしてきた。
ちょっと。
ちょっとちょっと……パトリースさん!?
「湖賊をおびき寄せようとしたって……え、もしかして、自分がミストピア領主の娘だっていってそいつらに会いにいったんですか!?」
「ああ。そのとおりだ」
「そのとおりって……周りの人たちは止めなかったんですか!? そんなことして、万が一その湖賊に捕まりでも――」
「したぞ」
「……は?」
「だから、捕まったのだと言っている」
平静そのものといったハンサの返答に、今度こそ俺は完全に固まってしまっていた。
「このお転婆はウチの連中にこう言ったんだよ。『湖賊が集まっている秘密のアジトはわかっている。だから皆は、私の少し後をついてきてくれたらいい。大勢で乗り込むとすぐに気付かれるから。自分が先に様子をみてきて、突入のタイミングを伝える』とな」
つらつらと語るハンサの面持ちは、よくよくみれば平静というよりは、ある種の達観というか、諦めが滲み出てきているようにも見える。
「それだけでも呆れるより他にない行為だが……そしてその一方で、こいつはこれまたとんでもない事を仕出かしていた。湖賊が襲いにくると見立てていた船の一つに、領主殿の屋敷から飛び切り高い酒樽を選び運び込み、そこに文を潜ませていた。ミストピア領主エキュム・スルス卿の愛娘の帰還を祝った、自作自演の文をな。貪竜湖でサプライズの水上パーティーを催すという内容のものをな。まあ、後はお察しという奴だな」
「あううぅぅぅ……」
最早只管自動的に、過去の出来事を伝達してくるだけの魔導人形の如く喋り続けるハンサの横で、件のお転婆娘が崩れ落ちる。
はい。
申し訳ございません、『公国の盾』ルガシム・マグナ・スルス卿。
おそらくほぼ確実にこれは、貴方はギブアップされた側でしたね。
勝手に責めたりして、本当にすみませんでした。
ていうかパトリースさん……幾らなんでもコレ、やらかしすぎでしょ!?