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260. 貪竜伝・弐 - とある斥候長のつぶやき -

 轟く馬蹄の響きが、静まり返った湖面を揺らす。


『なんなのだ、これは』


 馬上にて板金鎧プレートアーマーに身を包んだ男が兜を脱ぎ、呟いた。

 草木一つ生えぬ剥き出しの泥土で溢れかえった辺りを、男が呆然としながらも見回す。

 そこにもう一騎が、馬の嘶きを制しながらくつわを並べてきた。

 

『よもや、斥候の報告通りとはな。なにを世迷い言をとはおもった……』

『信じられん』 

『言いたい気持ちはわかるがな……おい、こっちだ! 一度平地に皆を集め陣の設営を急がせよ! 本体が到着する前に我ら先遣隊のみで軍議を開く! 近隣の捜索はその後だ! 元は魔物が蔓延っていた場所だ! 無駄に兵を散らすなよ!』

『軍議だと……』

 

 てきぱきとした口調と指差しでもって後続の部隊に指示を飛ばす同僚の横で、男がその言葉だけを反芻するようにして呟いた。

 

 一体、軍を集めてどうしようというのだ。

 泥濘を嫌い蹄を跳ねさせる馬を御しながらも来た道を振り返ると、遠目に旗が次々と打ち立てられてゆくのが見えた。

 

 黒胡桃の杖と銀色の剣が交差した軍旗。

 そこにあるべき千年王国として名高きラグメレスを象徴する紋章が、いまは受ける風もなく棒きれに纏わりつき隠れてしまっている。

 

『報告いたします。ただいま斥候より、調査隊からの伝書に記されていた森や河川が一切見当たらない、との報がありました。四方に散った斥候らすべてが、口々にそう言っております』

『なんだと……村はどうした。調査隊の連中が立ち寄っていた、村があったはずだろう』 

『ここです』

『は?』

『ですので、ここがその村のあった場所です。御覧ください、あれを』


 ようやく探し出すべきものを思い出した男に、革製の防具を身に付けた斥候長が掌を開き、告げてきた。

 

『泥に押し流されて倒壊した家屋が数軒。物によってはバラバラに砕かれて地中に沈んでいますが……間違いなく、この場所がその村のあった場所です。なにより、そこを目指しての行軍でしたので……』


 気を抜けば立ち行きもままならなくなる泥濘の中、可愛い部下たちが骨を折って集めてくれた情報を、いつまでも呆けた顔で聞き流されては堪らない。

 そう言わんばかりに、斥候長が言葉を重ねてきた。

 

『わかった。ご苦労だった。隊を一度下げる。斥候らは周囲の哨戒に――』

『報告! 報告です、隊長! 南に向けた者より、急報であります!』 

 

 指示を飛ばしかけたところに泥だらけの兵士が駆けこんできて、男が思わず顔を顰めた。

 

『なんだ、騒々しい』

『あ、こ、これは騎士様、しっ、失礼をば』

『いい、俺が責任を取る。直接話せ。指揮官殿、こちらは私の一存で生存者の捜索に当たらせていた者です。火急の報せのみ入れるよう言伝しておりましたので、どうかお耳をお貸しください』

『……わかった、報告せよ。手短にな』

『はっ!』

 

 惨憺さんたんたる状況に辟易しはじめた男――ラグメレス王国の騎士を前にして、斥候が泥の上に片膝をつき口を開いてきた。

 

『生存者の男を一名確認! いまは錯乱状態にあり、後続隊の神官が到着次第、正気に戻す手筈を整えていますが……断片的な言葉の内容と身なりからして、この地に派遣されていた調査隊の者かと思われます!』

『生存者……調査隊のか!』

『は』


 部下と上官のやり取りを『だからそう言ってるだろう』と思いながら、斥候長は次に自分が重視するべき事柄に考えを巡らせ始めていた。

 

 邪竜討伐先遣隊。

 それが彼が所属するラグメレス王国軍の、一部隊に冠された名だった。

 

 近年、王国の中央に広がる湿原地帯に姿を現したという一匹の魔物……世にも珍しき水竜を討つために集められた、500人あまりの先鋒隊。

 数名の上級騎士と、十数名の下級騎士。

 それら騎士への参謀と支援を兼ねる『聖伐教団』の神官が二人一組ずつ随伴しており、あとは王国軍の兵士で構成されている。

 民兵はおらず、全てが調練済みの者ばかりだ。

 

 近年、識字率が低下の一途を辿っていた王国内では、その多くが命令を理解出来ずに足手纏い、無駄飯喰らいの穀潰しどころか、同士討ちの元ともなる民兵の採用はタブーとなりつつある。

 兵士として志願してきた者たちには教団からの読み書きの教育が施されており、それで体面を保てる程度には指揮系統の伝達も可能ではあったが、それでもまだまだ十分ではない。

 

 隣国のメタルカでは冒険者・傭兵ギルドが隆盛しており、冒険者のような小規模なパーティであっても戦場で十二分に力を発揮できる仕組みがとられているが、古い歴史を伝統を持つ王国では、そうした者たちは一部の支配者階級――特に領地の守護を任された騎士たちからは『ごろつきに過ぎない』と見下されており、活躍の場すらない。

 

 無論、長年王国を外敵から守り抜いてきた騎士たちが、他国の戦力と比較して単純に劣るということはない。

 むしろ軍隊同士の戦いでは、日々訓練を重ねている彼らと並び立つのは、中央大陸の東部全域を治めるアシュローグ帝国の精鋭戦士団ぐらいのものだろう。

 入り組んだ地形を生かしたゲリラ戦を得意とするラ・ギオの獣人たちも、こと平地戦・攻城戦となれば、縦横に整然と組み連ねた騎兵の一団にて、木っ端のごとく追い散らすことだろう。

 そしてそれは、メタルカが相手であれそう変わりはない。

 

 軍対軍の戦いにおいては、中央大陸にて最強。

 それがラグメレス王国が誇る騎士団。

 斥候長は、そう考える。


 だが……

 

『よし、その者をここ連れて参れ。私が直接話を聞いてやろう』

『直接……ですか? しかし、相当に混乱していまして、話す言葉も殆ど意味不明の内容でして……』

『構わん。おい、そこのお前! すぐに後続の隊に加わっている教団の神官どもを呼んで来い! こういう時の為に高い禄を払い仕えさせているのだ! 伝令用の馬も使い潰していい! あるだけ走らせろ!』


 斥候長が様子を見守るなか、先遣隊の長を任じられていた若い騎士が、次々と命令を飛ばし始めていた。

 元々、功名心も我も強い男だ。

 文字通り泥沼と化したこの地に踏み入るまでは、気の早いことに己が如何にして邪な竜を討ち取るかを周りに喧伝していたほどだ。

 

 しかし王国の騎士は、彼を一笑に付せるような者ばかりではない。

 魔物との戦闘経験。

 そしてそれに付随する実績。

 この点において、ラグメレス王国は他国に対してかなり遅れを取っていたからだ。

 

『聖伐教団による、選定ねえ……』

 

 邪竜退治。

 それは多くの騎士たちにとって、栄えある試練の場であった。

 魂源神アーマの庇護のもと、狂猛なる魔人を討滅するために与えられし光輝の力。

 

 千年の刻を越えて受け継がれし、『聖伐の勇者』の力とその継承。

 それを成す為に王国と共に在り続けた『聖伐教団』の監視の元、来たるべき魔人との戦いの為に『聖伐に勇者』として選ばれる。

 

『たった一人で魔人、魔物と戦い続ける……そんなモノになりたいものかね。実際のところ、我が王国の騎士様がたはよ』

 

 周囲の者には聞かれぬよう、しかし確かな疑念をもって斥候長が呟く。

 騒然とし始めた沼地に、縄で縛られた男が半狂乱で何事かを喚きたてながら、転がり込む。

 

ばしゃあと弾け散った泥濘が、次第にその深みを増していることに気付く者は……まだ誰一人として、その場にはいなかった。



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