259. 貪竜伝・壱 - とある調査員の書き綴り -
一歩進めば足首に喰いつき離さぬ泥濘のすれすれに、四人の男たちがそれの四肢を一本ずつ引っ張り上げるようにして、そー……っと運び込む。
彼らの視線の先には、相も変わらず、がぶがぶと泥濘そのものを正しく頭から浴びながら、一心不乱に喰らい続ける小さな竜が一匹。
そいつを出来る限り刺激しない様にしながら、男たちはそれを――屠殺したばかりの子牛を一度地面へと置いた。
『いいか。振り子の要領だからな。お前ら、振り子ってわかるか?』
『なんだそれ』
『しらん』
『俺も』
『かー……っ! これだからモノをしらない農民あがりはよぉ。まああれだ、こうしてゆらゆらっとさせてだな……勢いつけてブンなげるのよ。出来るだけ|あの水蜥蜴のそばにな』
言いだしっぺの男の言葉に、残る三人が互い顔を見合わせてから頷いた。
ここまで来たら、もう後には引けない。
彼らが運んできた子牛は、当然ながら野生の牛などではない。
魔物が姿を消したことで沼地の傍まで広げられていた放牧地より、盗んできたものだ。
見張りを立てつつ事に及びはしたが、ばれる可能性は十分にある。
ここに辿り着く直前まで、彼らは盗み殺した子牛をわざと引き摺り、その亡骸で自分達の足跡を隠しながら進んできていたのだ。
その上、放牧地の近くの柵は力任せに押し倒して、牛の血痕まで残してある。
出来る限り『人間でないなにか』が押し入ってきて、子牛に喰いつきそのまま沼地に引き摺り込んだようにみせるためにそうしたのだ。
しかしそれだけに、運び込むまでに時間がかかっている。
こうしている間にも主が探しにくるやもしれぬ。
『せー……のっ!』
そんな後ろめたさを投げ捨てるようにして、子牛の亡骸が勢いよく沼地の中へと放り込まれた。
どぱんっ、という派手な音があがり、それに紛れるようにして男たちは一斉にその場を離れてゆく。
『ど、どうだ』
『おもったより遠くにとばせたな……』
『ほんとにアイツ、泥以外喰うのかよ』
『大丈夫だって……そら、みてみろお前ら!』
近場にあった茂みに逃げ込んだ彼らが目にしたのは、泥水を貪り喰うのを中断して、ゆっくりと振り返ってきた小さな青い竜の姿。
『マジだ、近づいてるぞあいつ……!』
『喰うつもりなのか?』
『たぶん――あっ!』
『へへ……俺様の言ったとおりだろ?』
のしのしと歩を進めて、泥濘の中に沈みこんだ子牛にかぶりついたそいつの姿に、茂みの中から歓声があがる。
『あの水蜥蜴が沼地に現れてから、他の魔物や生き物が逃げてったってことはよ……』
共犯者たちが声を殺してそれを見守るなか、首謀者の男が得意げに語り始めた。
『あいつには縄張り意識があるってことなのよ。近づいたら喰う。だから魔物どもは一匹もいなくなったし、あいつもそれで食いもんに困って泥まで喰ってるって寸法よ』
『はー……なるほどな』
『やっぱ、ナリは小さくても竜は竜ってことか。おっかねえな』
『でも、食ってくれてよかったな。これでほっとかれたら、俺たちゃここから逃げ出さないといけなくなってたしよ』
『まあな。しかしこれで村の連中も目を覚ますだろうよ……あの水蜥蜴が守り神なんてものじゃないってな』
結局魔物は魔物だ。
喰うに困れば何だって喰う。
自分たちはそれを証明してやっただけ。
このままではいつか大変なことになっていた、愚鈍な連中の目を覚ましてやっただけ。
遅くとも朝になれば、牛を数えにきた牧童なりが騒ぎ始めるだろう。
そうなれば村人たちは、王都から竜の調査にやってきた自分たちに話をもってくる。
例えこちらをよそ者を疑いつつでも、だ。
後は少しずつ、繰り返し繰り返し。
ことが発覚せぬうちに、村人たちの疑念が確信へと変わる前に、仕上げをするだけだった。
『おい、お前は槍を用意しろ! お前は弓と矢だ! 盾も忘れるなよ!』
『これは……いったい、どうなされたのですか』
どやどやと仮設の天幕の中を男たちが行き来するなか、一人の老人がその場に立ち尽くしていた。
『おお、これは村長ではないか。丁度いい、いま使いの者を出そうとおもっていたところだ。悪いがいますぐ、村人たちを村から退去させてくれ。子供から老人まで、一人残らずだ』
『……どういうことなのですか。話がさっぱりみえないのですが』
『どういう事もなにもない。あの竜が……邪な水竜が、ついにその牙を剥いてきたのだ』
『それは』
『ああ、隊の者がアレに食い殺された。これは仲間の遺品だ』
調査隊の隊長を名乗っていた男――実際には村に押しかけてきては『お前らを護ってやっている』と吹聴しながら、タダで飲み食いをしてゆくごろつき同然の輩だったが――の発した言葉に、村長の老人が目を声を失い立ち尽くした。
その隊長が指さした先には、赤黒く染まった革鎧とひしゃげた盾が転がっている。
『もしやこれは、守り神さまが』
『だからアレは守り神などではないと言っているだろう。ここ数日で、村の家畜が何匹やられていた? 皆被害を畏れて、ろくに小屋からも出さなくなっていたほどだろう。それで食う物に困り、ついに人を襲い始めたのだ。あの竜は。そして村を守るために沼地を見張っていた我らの仲間に手をかけたのだ……あの化け物は!』
『なんと……』
怒りを露わに語る隊長を前に、村長が言葉を失う。
彼が村と沼地の間に建てられていた天幕にやってきたのは、そもそも彼らに苦情を入れるためだったのだ。
これ以上、頼んでもいないのに村を守るなどと言われて居付かれては叶わない。
牛や豚だけでなく、すばしっこい鶏までもを守り神様が襲って食っていると言って回ってるが、そんな姿をみた村人は独りもいない。
怪しみ外の様子を窺ってみようとすると、邪悪な竜がうろついてるからと、連中が矛を向けて邪魔してくる……
『それでは、あなた方はどうなされるのですか』
『無論、同法の仇を討ちにゆく。王都から討伐隊が来るまで待ってなどいられぬわ』
『おぉ』
息巻く様子をみせる隊長に、村長が感嘆の声をあげた。
正直にいえば、彼は隊長の言葉を信じてはいなかった。
だが、目の前にある遺品を前にしては疑いの言葉を向けるのは危険すぎたし、なにより本当にあの竜が危険な魔物であるなら、兵士たちが行くに任せればいい、とも考えていた。
竜が倒されるにしろ、兵士たちが食い殺されるにせよ。
村にとって害を成すものが消えてくれるというのであれば、喜んで送り出すのみ。
『ご武運を。無事の帰りをお待ちしております』
『うむ。馳走を用意しておけよ……よし、お前ら、いくぞ! 邪竜狩りだ!』
『おお、なんと頼もしい。ではこの老骨めは邪魔になりますので、これで失礼をば』
天幕を取り囲み上がる気勢を捨て置き、村長がそそくさとその場を後にしていった。
『……上手くいったようだな』
『ああ。ま、連中も疑ってはいるだろうがな。こっちはタイギメーブンってヤツが手に入ればいいのよ』
『難しいことはわかんねえが……とにかくこれで旨い飯にありつけるってわけか』
『ちげえねぇ。それと、酒もださせようぜ。あいつら思ったより溜め込んでるからな』
遺品として用意した武具をちゃっかりと身につけながら、男たちが準備を進めてゆく。
その面々はいつもと変わっていない。
竜に襲われた兵士がいたなどという言葉は、大嘘だった。
『そんじゃまあ、おっぱじめるとするか。新たに我らの仲間に加わっていた、勇士の敵討ちをな』
野卑な笑い声と共に、彼らは『竜退治』へと繰り出した。