257. お転婆令嬢と出迎えの従士
「パトリースの家名……出自は知っているな?」
「ええと、たしかミストピアの領主エキュム・スルスの第七子で……」
唐突にやってきた、ハンサからの問いかけ。
俺はそれを、記憶の糸を手繰り寄せながら答えてゆく。
「このメルランザス地方を治める大領主、ルガシム・マグナ・メルランザス卿の姪にあたるんですよね」
「そうだ。魔人戦争において『公国の盾』ルガシム卿の元で武勲を重ねたエキュム様は、卿の妹君を娶られてミストピアの地を拝領された。パトリースにマグナの名が与えられているのもその為だ」
「なるほど、そういうことだったんですね」
父親であるエキュムにない『マグナ』の名を、パトリースが名乗っているのはそれでなのか。
ということは、彼女のお母さんであるルガシム卿の娘も同じ名を持っているってわけか。
なんだかちょっぴり、領主様の肩身が狭そう、とか思ってしまうが……
そこから話を切り出してきたあたり、今回の『副神殿候補地』という言葉に絡んでくるのだろう。
「ルガシム卿と奥方は、男子には恵まれていたのだがな。それ自体は喜ぶべきこととはいえ……今から10年以上前にこの街を視察にみえた折に、エキュム様のお屋敷でまだ幼かったパトリースの姿をみて、いたく気に入られたらしい」
あー……
そうか。
そういうことだったのか。
「つまりパトリースが長年、アレイザのお屋敷で暮らしていたのって。ルガシム卿の希望だったってことなんですね」
「そこは母君共々パトリースの生まれが公都だった、というのも関係はしていたようだが……まあ、そのとおりだな」
「それはまた……」
自分の家では息子ばかり産まれていたから、よっぽど娘の顔が見たかったんだろうな、という言葉はなんとか呑み込んで、俺は続くハンサの言葉を待った。
「その後、ルガシム卿もめでたく女子にも恵まれてな。一度パトリースを、幼い頃暮らしていたミストピアの街に返してやろう、という運びになられたのだ。とはいえ、当の本人はミストピアでの記憶など殆どなく、物見遊山のつもりでやってきていたのだがな」
「……は? え? ちょ、ちょっと待ってください、ハンサさん。それって――」
「皆まで言うな。この時ばかりはさすがにエキュム様も、表立って口には出せずとも業腹だったからな。俺の親父殿など、主君が虚仮にされた等と言い出して家の者たちも随分と難儀をしたものだ」
マジか。
マジですか。
今の話を要約するとパトリースは、「小さな頃に生まれ育ったからアレイザに叔父の希望で移されて、そこで娘同然に育てられていながら」、「いざ実の娘が産まれた途端に掌返しを受けて、ミストピアに送り返された」ということになる。
魔人戦争で活躍して公国から広大な領地を与えられた、という過去からすれば、ルガシム卿は公人としては傑物といって差し支えない人物なのだろう。
以前にフェレシーラから聞いていた、戦争終結後の混乱期にラ・ギオから押し寄せてきた獣人族から、然したる被害を出すこともなくこの街を守り抜いたという話からしても、その評価に間違いはないと思える。
でも、それにしたって……
「幾らなんでも、あんまりじゃないですか。酷すぎる……」
「そう思ったのは親父殿や周りの者も同じだったようでな。出迎えはお前がしてこいと言われて、叩きだされるようにして公都に向かわされたよ。そういえば、『無事に取り戻してこれなかったら勘当だ』だとか言われていたような気もするが」
「うおぉ……それはまた、すごい剣幕だったんですね。たしか副従士長って長男でしたよね……?」
「一応、いまもそうだな」
そういって、ハンサは自らの首の後ろを手でペシペシと叩いてみせてきた。
いやいや……これまた凄い話だな。
ハンサは涼しい顔して言ってるけど、もうちょっとでお家騒動ぽい事態に及んでいたというか、下手すれば大領主相手に喧嘩を吹っかけていたかもしんない、ってことだよな?
しかしまあ、彼らもいまは貴族として暮らしているとはいえ、元はラグメレス王国の騎士や兵士であった者ばかりで、共に戦場を駆け巡った仲なのだろうと思えば、だ。
戦地で命を預け交わした上官が上の身勝手さで振り回され続けるなど、到底黙っていられない、という気持ちもわかるような気はする。
それにしても今聞きかじっただけの話とはいえ……ミストピアの領主エキュムは第七子という随分下の子に対しても、しっかりとした愛情をもっているように思える。
そうでなければ、ハンサの父親を始めとした周囲の人たちもそこまで反発することもなかっただろう、というのが率直な感想だ。
勿論、面子や沽券といった部分も多いに関係するんだろうけど。
しかし、あまり勝手に想像を膨らませすぎるのも良くないだろう。
ルガシム卿にはルガシム卿の事情があったのかもしれない。
案外、気付いた時には猫可愛がりして育てたパトリースが、とんでもないお転婆さんになりすぎていて……という可能性も否定はできなくはないわけだしな。
「ま、行きはともかく帰りの道では暇もしなかったのでな。そこは良かったか」
「――ちょっと、ハンサ。その話はいまはやめてよ……! あんただって、人に聞かれて嬉しい話じゃないでしょ……っ」
などと考えていると、何事かを懐かしむような苦笑をみせてきたハンサを、『防壁』の維持に努めていたパトリースが牽制してきた。
はい。
これはあれですね。
この二人のやり取りから察するに、ですが。
パトリースさん、アレイザからミストピアに戻ってくる時に絶対に何かやらかしてますね、これは……
やっぱ、ルガシム卿がギブアップしたパターンもあるかな。
うん。
パトリースが暮らしていたお屋敷の侍女さんたちも、彼女のお転婆ぶりには相当苦労していたぽいし。
なによりこの子が屋敷からの外出禁止令なんてものまで喰らっていたのを、今の今まですっかり忘れてきってた。
「すまんな、前置きが少しながくなった。本題はここからだ」
「……と、言いますと?」
いかん、微妙に腰が引けてるぞ、俺。
ついでにいうとホムラさんは肩の上で器用に待機中。
そろそろサイズ的に無理あるような気もするけど、アトマを操り体を支えるのが当たり前になっているので実はそんなにキツくもなかったりする。
しかし……色々と驚かされはしたが、たしかに今の話からドルメが口にしていた『副神殿』云々に繋がる要素は見当たらない。
そのことは、ハンサにもわかっていたのだろう。
「そんな経緯があって、パトリースはこの街に帰ってきたわけだが……当時のこいつは外に出れたことで大はしゃぎでな。しかも街の連中も歓待ムードで、勘違いをしたわけだ」
「ううぅ……っ、きーきーたーくーなーいーっ」
「話せと言ったのはお前だろう。俺とて好きで恥を晒しているわけではない」
「それはそうだけどぉ……もっとこう、掻い摘んででいいじゃん、馬鹿ハンサ!」
「馬鹿はどっちだ、このお転婆娘が。あの一件で皆がどれだけ苦労したと思っているんだ、お前は」
「あうぅ……もぉ、やだぁー……っ」
なにやらモジモジと身悶えを始めたパトリースの横で、ハンサがうんざりとした顔をみせる。
ふと気になり視線を巡らせると、木箱の上に腰かけたセレンが苦笑いを浮かべていた。
「あれ? もしかしてその様子からすると、セレンさんもご存知なんでしょうか。その、パトリースのした『勘違い』っていうヤツ」
「まあね。副従士長のいうように、あれは中々の騒動だったよ。よく内々に済ませられたものだと感心した覚えがある」
くつくつと底意地の悪い笑みを浮かべて、セレンが木箱から身を離す。
「そうだね。良ければここからは私が説明するとしようか? その様子では、副従士長殿も埒が明かないだろうからね」
「ええっ! そんな、セレン様までっ」
「いいからお前は術に集中していろ。折角上手くやれているんだろうが。セレン殿、お願い申し上げます」
「心得た」
自らの提案を極々自然な流れで以て受領し終えて、黒衣の女史が部屋の中心へと進み出る。
そうして彼女はこちらに向き直ってくると――
「では、話の続きだが……フラムくん。君は『貪竜の花嫁と異国の騎士』の物語を、知っているかね?」
いまいち話についていけずに首を捻りかけていた俺に、更に理解不能な問いかけを行ってきたのだった。