241. ペテン師たちの綱引き
「ははッ。遊んでやるとは、また大きく出たね。言い返してくるだけなら、好きにすればいいけどさ」
ティオの右手に従えられた咎人の鎖が、蛇の如くうねる。
同時に、地中よりこちらの右足首へと巻き付いていた鋭牙が、その締め付けを一層強めてきた。
「いつまでそうして、余裕ぶっていられるのか……なっ!」
青蛇の少女の問いかけに合わせる形で、錐状の先端が一直線に伸びてきた。
『小僧!』
『わかってる!』
ジングの発してきた警告の『声』には思念を返して、俺は両腕へと力を籠める。
操るアトマは左右それぞれ一つずつ。
さて……まずは、一発目!
「首――喉締めか!」
こちらの喉首目掛けてきた青黒いアトマを『視て』、右の手甲でそれを払いのけにかかる。
スピード自体はさしてない。
こちらの短剣の投擲とは比べるべくもない。
フェレシーラが放つ無詠唱で度々放つ『気弾』と同程度。
それを俺は、裏拳の要領でもって打ち弾いていた。
「お?」
左方向に大きく振れた黄銅色の鎖を自身の手元に引き戻しながら、ティオが意外そうな表情をみせてきた。
「威力は『気弾』よりは下……ってとこか。まあ籠めたアトマで変わるんだろうけど」
「え、なになに? 今のわざと受けたってコト?」
「だな。思ってたより軽くて助かった」
「へぇー」
右手に残る微かな衝撃に掌をプラプラとさせていると、感心したような声が返されてきた。
アトマを籠めての防御に拠る堅牢性。
そして合皮の防具が備えた柔軟性。
その二つを併せて用いた際の防御効果が、想定よりも機能している。
平時全身に纏っているアトマを集中的に注ぎ込んでのガード時に発生するリスクに関しては、フェレシーラにも指摘されてはいたが……
「うん。やっぱしっかり『視て』いられるなら、悪くない防御手段だな。フェイントには要注意だけど、選択肢としてあり寄りのありってヤツだ」
「なーるほどねぇ。んじゃ次はフェイントを仕掛けてみろってコト? ふーん。宣言通りに遊んでるってワケか」
「まあな」
「へぇーへぇー」
感心する様子を深めつつ、ティオが右腕を振り上げる。
再び青黒いアトマを宿し始めた咎人の鎖が、黒帽子の上にて旋回を開始する。
「そういうコトなら――」
物理的動作も加えての二投目。
「コイツはどうかな!?」
一投目よりも明らかに速度・威力の両面で強化されたそれが、喜色満面の笑顔と共に放たれてくる。
またもこちらの喉元を目指すと思われた一撃に乗せられたアトマが、不意に左右にブレる。
霊銀盤を介した操作による、軌道の変化。
「ぐっ……!」
それが成されると思われた瞬間、足元に衝撃がやってきた。
『チッ……いわんこっちゃねえ!』
ジングの『声』を受けつつ、俺は右足首に食い込む鎖の先端が鈎爪状に変じていたことを確認した。
「残念、上じゃなくて下……右じゃなくて、左からでした!」
左右一対の鎖を巧みに用いたティオが、答え合わせに及んでくる。
空を裂き、錐状の鎖がこちらに迫る。
アトマでの局所的防御に及び地に縫い付けられていた俺の喉元へと、青蛇の牙が伸びてきて――
「ほい、っと」
「へ? あ、わっ!?」
こちらが右足を思い切り前へと振り上げると、突然ティオが左肩からその場にガクンと崩れ落ちた。
それを見て今度は後ろに大きく下がる俺。
「お、いけるいける。うん、やっぱ不意を突かれて集中が途切れると脆いタイプか。複雑な機能を盛り込みすぎた術具にありがちな欠点だな。」
「ちょ、いきなりなに――やっ、きゃあっ!?」
いきなりのことに受け身も取れぬまま、青蛇の少女が地にすっ転ぶ。
案外可愛らしい声してんな、コイツも。
『は? なんじゃそりゃ。なんでいまので、あっちのガキが転がってんだ?』
『そりゃフェイント合戦で負けたからだよ。向こうは端っから、こっちが一度成功した腕での防御でくると決めつけていたからな。裏を掻いて、右足にアトマを集めて耐えてから逆にブン回してやったってわけさ』
『マジかよ……イチバチの賭けってヤツか? 読み違えていたら、首取られてんのによーやるわ……』
『いや、そうでもないさ。賭けには違いないけど、勝算は十分にあったからな』
理解不能だと言わんばかりのジングの物言いに、俺は種明かしを行う。
『そもそもの話だけどな。アイツはこっちの不意を突いて足を絡めとっていたのに、すぐに攻撃してこなかったろ? その気になればさっきみたいに形を変えてブーツごと足首を折りにもこれた筈なのにさ』
『言われてみりゃあ、たしかにな……けどなんでだ? なんで今さらになって足狙いにきたよ』
『そりゃ簡単だ』
それは言ってしまえば、ティオの性格、流儀からくるものだった。
『驚かせたかったからさ。単純にな』
『は? 驚かせるって……いやいや、意味わかんねーぞ余計に』
『だからそのままだよ。足への不意打ちでまずは驚かせにいって、それは成功した。でもそのまま足をすぐに攻めても芸がない。必死で抵抗するのを見るのも捨てがたかったかもだけど、それよりもう片方の鎖で首を攻めておいて……』
ようやく体勢を整えたティオに注視しながらも、俺はジングの問いに答えを返す。
『忘れた頃に、足首をバキッといく。その上で首も頂戴する。そういう狙いだったってことだな』
『むむむ……なるほど、よくわかんねえわ』
いや、今の話でわかんないとこあったか?
やっぱコイツ本気でアホだな、恐れ入る。
おっと、いつまでもこうしてジングと話し込んでる暇はないか。
締め付けを受けていた右足首に視線を落とすと、いつの間にか咎人の鎖は消え失せていた。
さもありなん、というヤツだ。
俺の脚を拘束しているということは、ティオにしてみれば地中に鎖を通したまま、その場から動けない状態でもある。
そんな状態で手と足という、単純な力比べでは不利な攻防のみならず、アトマ同士のぶつかり合いも発生していたのだ。
青蛇の名を冠する神官であれば、ティオ自身、アトマの強度総量もかなりの水準にあるのだろうが……
だとしても、あちらは戦術具の制御にアトマを回した状態だ。
しかも二本の鎖を個別に操り、長さと形状の変化まで行うという時点で、相応の消耗を強いられるであろうことは想像に難くない。
そんな状況下で、アトマの出力だけは人並み外れた俺と綱引き状態に持ち込まれれば、一体どうなってしまうのか。
その結果が、先ほどティオの身に襲い掛かった引き倒し、という結末だった。
『ま、陣術を使った形跡を一方的に調べられた分のお返しとしては、ちょっと弱いけどな』
まずは一本、騙し打ち成功。
ペテンのかけ返し、精神的にやり返せたと思えば、そう悪くない成果だろう。
よくやったぞ、俺。
こっちのアトマがずば抜けてる、ってのはこれでバレただろうから、次はこの手は使いにくいけど……それにしても上々の結果だ。
「おい」
そんな風に自分を労っていると、低く抑えられた声がやってきた。
ティオの声だ。
鎖を引き戻し体勢を整え終えた彼女は、俺に続けて問うてきた。
「いま、なんでボクの首を狙わなかった。その得物は飾りか?」
「なんでって言われてもな。正直いって、そこまでのやり取りをする必要もないだろ。別に俺とアンタは敵同士、ってわけでもないのにさ。それに狙ったところでそう易々はとれないだろうし」
「その言い方だと、その必要があれば易々とは行かずとも殺れるってコトだよね……!」
意図的にドスを効かせた声で、ティオがこちらの弁を否定にかかってくる。
さすがにそれはない、と言い返してやりたいところだが……
どうやら彼女、今の奇襲でいたくプライドを傷つけられたらしい。
うん。
ぶっちゃけ、やり方を間違った感が物凄い。
攻め手は読みきれたけど、性格については考えが浅すぎたな、こりゃ。
なんとなくこれで上手くやり返せたら、あっちから「やるね、キミ!」とか言い出してきて、互いの実力を認め合い、肩組んで仲良くなってフェレシーラに見つかって呆れられる展開に持ち込めるのでは……などと考えていた俺が甘かったようだ。
しかしコイツ、実はアレだな。
お茶らけた風を装っているけど、根はわりと真面目なヤツなのかもしれない。
いまの咎人の鎖の動きに関しても、相当の自信と相応の努力が籠められていた気もする。
だとすれば、そんな相手に「万が一お前を倒して聖伐教団の顔に泥を塗るようなことになれば、査察に悪影響がでそうなので本気でやりませんでした」だなんて、口が裂けても言えるわけがない。
逆効果もいいところだ。
煽るって意味ではアリかもだけど、やりすぎたら拗れるのが目に見えてる。
というか、コイツならたぶんフェレシーラともいい勝負が――
……いや、やめておこう。
戦いの最中に、必要以上に相手のことを考えすぎても仕方がない。
いま俺が全力でやるべきことは、一つしかない。
「そうかい。そうだよね。そっか……ふふ。彼女が拘るってヤツは、そういう可能性もあるってコトだよね。ふふ、フェレシーラも人が悪いや……」
ふらり、と怪談に出てくる幽鬼のように体を揺らめかせて、ブツブツと独り言を口にし始めた少女を前にして――
「なら……司祭長命令だとか、先生の頼み事だとかは、この際どうでもいい。ボクはキミを試せるなら、いまはどうでもいい……!」
俺は次なる一手に取り掛かるために、今度こそ、短剣の柄を強く握りしめていた。