240. 遊んでやる
「いやあ、ここが公都の大教殿でなくて良かったよ」
左手から伸びる鎖をわざとらしくジャラジャラと鳴らしながら、ティオがこちらに喋りかけてきた。
「あそこの敷地内って馬鹿みたいに広い範囲に、防護の陣をガッチガチに張り巡らせているからさ。さすがにボクの咎人の鎖でも、音もなく……っていうのはまず無理だったろうね」
それはおそらく、地に落ちたアトマの切っ先でもって、石畳の下にある土塊の中を――『探知』によるアトマ視の網を潜り抜けて、堀り進んできたのであろう。
「距離を保てば、即座に先制されることはない。その為に間合いをキープしてたのは懸命だよ。でも……残念だったね。少し時間とアトマをかければこの通りさ」
そう言いながら少女が左手の鎖を引き絞ると、俺の右足首へと強烈な締め付けがやってきた。
明らかな連動の証。
こちらが見立てた間合いを越えてやってきた、蛇の牙。
「くぅ……っ!」
咎人の鎖による直下からの奇襲に、思わず焦りの声が口を衝いてでる。
やられた。
やらかした。
完全に裏を掻かれた。
こちらがティオに対して保っていた距離は、大股での踏み込み3回分。
それだけの余裕があれば、例えあちらが先に仕掛けてきても受け凌ぐことが出来る。
そんな俺の判断は、しかし眼前でにこやかに微笑む鎖使いの少女に対して、甘すぎる予想でしかなかった。
「くそ、なんてパワーだよ……!」
『この、ダボめがっ! どぅあくぁら、俺様が忠告してやってたろうが! お喋りに夢中になってるからだ、くぉのタコ!』
「うっせぇ、お前は黙ってろ!」
思わずといった風にドヤしつけてきたジングの『声』に、俺もまた怒声で応じる。
その様子をみてとり、ティオが笑みを深めてきた。
「あれま。こんなピンチに、一体誰とお話しているのかな?」
「しま――」
一瞬、翔玉石の腕輪に視線を向けてから、己の口を手で覆う。
その一連の動きから、彼女は察しをつけてきたのだろう。
「うんうん。やっぱりキミ、何か隠し事してるでしょ。その黒い腕輪のことで」
「な、なに言ってやがる……別にこれは、そういうんじゃねえよっ! ただの……その、ただのアクセサリーだよ! 黒くてカッコイイから着けてただけだ!」
「ふーん。ま、ボクもその手のアイテムは好きだけどさ。ちょっとこの場の言い訳としては弱いかな――っと!」
「ぐっ!?」
言葉の締めと共に、右足首の締め付けまでもが強まる。
みれば黄銅色の鎖が、青黒いアトマを纏いブーツに食い込んできている。
「フラムくん!」
「し、師匠!」
「ピピッ!」
こちらを劣勢とみたのか、中庭の外周よりセレンとパトリース、そしてホムラが、堪らずといった響きの叫び声をあげてきた。
「大丈夫です! 手を出さないでください!」
『んなコトいってる場合か、テメェはよ! あのハンマー女もいねぇんだろうが! とっととアイツらと合力して、あの鎖女をブッ飛ばせや!』
「いいから……!」
セレンたちへの願いに続き、響くジングの『声』にもその一言だけを返す。
正直に言って、苦しい状態だ。
一応の作戦とも呼べない思い付き、考えはあったにせよ……
「苦境に負けない反骨心っていうヤツも必要だとは思うけどね。強情を張るにしても、時と場合を考えた方がいいと思うよ? ああ…一応言っとくけど、フェレシーラの救けを期待しても無駄だからね? あの経験不足の彼だけにドルメを任せておくことは、彼女には出来ないよ」
聖伐教団本部からの査察への対応を、たった一人に任せたりすれば――それも従士長でもないハンサのみに任せれば、例え査察自体を乗り切ったところで不興を買うことは目にみえている。
そんな状況下に陥ることを、白羽根であるフェレシーラが見過ごす筈がない。
俺の特訓の為に世話になったミストピア神殿への恩義を、彼女が忘れる筈もない。
それもあってセレンも査察に同行する手筈となっていたのだが、ティオの乱入で休憩時間を過ぎてしまう羽目となっている。
どの道手出しをさせないのであれば、皆をドルメ助祭の向かわせるのも手だが、当人たちがそれに応じる可能性は極めて低いといえた。
ていうかこの状況って、もしかしなくてもアレか。
「ま、そもそもドルメに命じて、カーニンに副従士長に経験を積ませるために他の人間を査察の対応にあたらせろ、って要請させたのはボクなんだけどね。それで副従士長だけでくるとは、よほど部下が査察向けじゃなかったのかな?」
「……うん、まあ。それはちょっと、あるかもしんないな……!」
ティオの言葉に、一瞬凸凹ンビの二人が脳裏を過ぎってしまい、失礼ながら俺は彼女の予想を肯定してしまう。
たしかにあの二人はお堅い査察向けじゃないというか、この神殿の皆って何となくそういうの向いて無さそうなイメージがある。
しかし……やはりというべきか、カーニン従士長が監督下にある神殿の査察に出向いてこなかったのは、ティオの差し金だったわけか。
となると、ここでコイツを抑えておいて損はないだろう。
問題は、その為には一度しっかりとセレンたちに――
「ねえ、キミさ」
こちらが思考を回しているところに、鎖の音がやってきた。
今度のそれは少女の右手の中。
こちらの右足を捉えたそれと対となる、もう一つの蛇の牙。
「実はまだまだ余裕あるよね? もしかして、降参すれば終わりだとか思ってるのかな?」
独りでに持ち上がったその鎌首が、アトマの光に包まれ錐状の先端を形成する。
伸縮自在、形状変化も可能。
その上、二本別々に操ることが出来るということは……
推測するに、あのティオが身につけている黒い外套こそが『咎人の鎖』の本体であり、霊銀盤もそこに仕込まれているのだろう。
世に多くの術具は存在すれど、初めてみるタイプの戦術具だ。
当然、鎖の操作を実行している間はアトマによる制御が必要であり、術法との同時使用は困難であると思われる。
でもこういうタイプの戦術具であれば、もし俺が製作者なら――
っと。
今はそんな事に気を回している場合ではない。
こちらの沈黙をどう受け止めたのだろうか。
ティオは右手の鎖を宙に浮かせたまま、それきり動かずにいる。
仕方がない。
あっさり拘束されてしまったのは想定外だったが、実際に咎人の鎖がどういう挙動を取るかというデータは多少は取れた。
ここは一発、勝負に出るしかないな……!
「降参はしない。というか、その必要はない」
「ほほぉ?」
こちらの宣言に、やや芝居がかった調子で声が返されてくる。
余裕があるというのなら、それは当然あちらの方に決まっている。
なにせあちらは、教団お抱えの査察メンバーの、実質的トップにあたるのだ。
純粋な力量差を抜きにしても、変に歯向かえばどんなケチをつけられるかわかったものではない。
一応、今回も先にあちらに「抜け」と言われて乗った形ではあるが、まかり間違って一撃でも入れようものなら……不敬罪なり反逆罪なりが待ち構えているだろう。
はっきり言って、割と詰んでる状態にしか思えない。
だがそこはそれ。
査察に関する権限をコイツが握っているのだとすれば……きっとやりようはある。
少なくとも、ドルメ助祭がトップであるよりはマシな筈だ。
それを念頭に置き、俺は蒼鉄の短剣を逆手に持ち直す。
「必要はないって、どういうことかな? まさかこのボクに勝つつもりかい?」
「そっちこそ。いつまでもこうして、お喋りばかりしてるつもりか?」
明らかな挑発での返しに、ティオの顔よりにこやかな笑みが消え去る。
「聖伐教団『青蛇』神官、ティオ・マーカス・フェテスカッツ。今度はそっちの番だ」
縛られた右足に力を込めて、手順を練り上げる。
こちらの手札はまだ見せてはいない。
例え事前に情報を得ていたとしても、実際にやり合えば、何かしらの差が出るものだ。
「そろそろ撃ってこい。ここからは、俺が遊んでやる……!」
こちらが放った大口には、心底楽しげで、獰猛な笑みが返されてきた。