239. 二者卓越
こちらの得物は使い慣れた短剣。
それに対してあちらは無手。
「うん。そうだね、それじゃもう少し広い場所がいいかな。こんな手狭な場所でやっても地味だしね」
にも拘わらず、ティオはまるで散歩にでも繰り出すかのような口調と歩調でもって、櫓梯子の元から試合場へと続く中庭へと向かい始めていた。
必然、がら空きの背中がこちらの視界に収まる。
先制のチャンス。
例えそれが誘いであれ……否、誘いであることを承知で、俺はそこへと向けて踏み出していた。
一歩目。
術具の起動も伴わず、ただ右の爪先で石畳を蹴りとばす。
二歩目。
膝から先に、前傾姿勢にて自ずと前へ進み出た左の靴底で、噛むようして地を踏みしめる。
三歩目。
頭から突っ込むようにして風を切り、完全なる加速を果たす。
「お?」
おそらく動き自体は予期されていた、しかし予想を大きく超えていたであろう踏み込みに、ティオが振り向く。
振り向きながらも彼女は右手を背後に伸ばした体勢で、そのまま大きく後方へと飛び退いていた。
あり得ない挙動と速度で中庭へと向けて進む、青蛇の少女。
しかしその反応も、常識を超えた退避手段のそのどちらも、こちらの予測済みだ。
迷わず、俺は一定の距離を保ちそこに追い縋る。
数えて5秒も経たぬうちに、俺たちは砦の中庭へと辿り着いていた。
中庭の中央は石畳で敷き詰められており、周囲には花壇が配されている。
その石畳の上より、少女が振り向いてきた。
「あーあ……やらかしたね、こりゃ。折角、初手からビビらせてやろうって思ってたのになぁ。ドッキリ失敗どころか、逆に驚かされちゃったよ」
あらためてこちらと対峙し終えて、ティオが呟く。
ただし、今度は無手ではなく、黒い外套より垂らした両手に黄銅色の鎖を握りしめながら、だが。
「もしかして、フェレシーラから聞いてたりしたのかな? ボクの得物についてさ」
「いや、特にはなにも」
「ふぅん? それにしてはコレの扱いがわかってたみたいだけど?」
「そりゃあ動作しているところを見たら、一応の察しぐらいはつけておくからな」
「動作しているところって……え、キミ、マジで言ってるの?」
その言葉には、沈黙で返しておく。
というかコイツこそ一体なにを言い出しているのだろうか。
つい今しがた、ティオが見せた退避運動。
それは彼女の自身の反応速度と、脚のみで行われたものではない。
かといって、術法ないし、俺がやるようなアトマの放出に拠って補強された動きでもない。
「なんか納得いってないみたいだけどさ」
言いながら、俺は彼女との間合いを……その喉筋に至るまでの距離を、残り踏み込み3回分にまで詰める。
その距離こそが、先ほどの攻防から割り出した俺の見立て。
即ち、『鎖を用いたティオが瞬時に仕掛けられる間合いの外』だった。
「その鎖型の術具。アトマを込めてある程度伸縮させたり、先端の形状を変えられる仕組みなんだろ?」
黄銅色の鎖から見て取れた、これまで情報。
使い手の意志に応じて音もなく動くという特徴から、俺は術具としての機能を言い当ててにかかる。
「だとすると……いまのは中庭に向けて鎖を伸ばし飛ばして、尖らせた先端を楔代わりに地面に打ち込んで。そこから鎖をまた元の長さに戻した反動で、自分の体を移動させた……ってとこだよな?」
「……うん、まあ、ズバリそうなんだけど」
理解不能、故の困惑。
そんな面持ちとなってきたティオが、言葉を続けてきた。
「まさか準備状態の咎人の鎖をみただけで、性能と運用法に当たりをつけていたってこと? 言っちゃなんだけど、ボク、この子に動きらしい動きなんてさせた覚えもないんだけど」
「なるほど。咎人の鎖っていうんだな、その術具。結構、カッコイイ名前だな……!」
「え……わかるの!? キミにもわかる!? じ、実はボクもこの子の名前、密かにお気に入りでさぁ――って、いま大事なの、そこじゃないだろ!?」
「いやいや。なに言ってんだよ。そこは大事だろ。俺だってコレになんかいい名前つけたくて、悩んでるとこだからな」
会話の途中、こちらが蒼鉄の短剣をヒュパッと閃かせると、ティオがピタリと動きを止めてきた。
「――蒼の鋭牙」
「……!?」
ぼそりと洩らされたきた呼称に、俺は声もなく驚愕する。
少女の薄い唇が、ニヤリとした笑みを象ってきた。
コイツ……出来るとは思っていたが、こんな短い時間でそんなカッコよさげな名前を思いつくだと!?
「くっ……中々やるな、アンタ……!」
「キミの方こそ。咎人の鎖の能力を見抜いただけでなく、ネーミングセンスにまで踏み込んでくるとはね。初めてだよ。初見でボクに、ここまでついてこれた相手はさ……!」
鎖と短剣を手に、バチバチと視線をぶつけ合うその最中、
『あのよ』
唐突に俺の頭の中に『声』が割り込んできた。
『なんだよジング。いまいいとこなんだから、邪魔すんなよな』
『邪魔もナニも、オメェが合わせろとか言い出すから、おらぁさっきからスタンバってんだけどな。てか、ついていくもナニもあのガキが逃げてっただけじゃねーか、あっほくさ。真面目にやれよ、真面目に。クソ真面目、得意だろうが、オメェはよ』
……うん。
言いたいことは良くわかった。
自分でもちょっと悪ノリが過ぎたっていう自覚もある。
でもなんか最後に、無駄にリズムに乗ってくるのはやめような?
「ま、おふざけはここら辺にしておくとしてさ」
外からみた分には、こちらが沈黙を保っていたからだろうか。
「真面目な話、先手はボクがもらうつもりだったんだけどね」
それまでとは打って変わった真剣な口調でもって、ティオが自身が狙いを明かしてきた。
「まさか開幕全力ダッシュで懐を取りにくるとは、正直意外だったよ」
「そうか? 幾ら面白い戦術具を使っているっていっても、基本は術士だろ? 密着して押し込んでいって、余裕を失くさせるのは定石だと思うけどな」
「面白い戦術具、ね。なるほどなるほど……」
そんな少女の言葉に合わせる形でこちらが見解を披露すると、今度は「うんうん」という大きな頷きと共に、納得するかのような言葉が返されてきた。
「フェレシーラも面白いヤツを見つけたみたいだね。ここ最近はずっとキツめの依頼、任務続きだったから、丁度いい気晴らしになるかと思って『隠者の森』の……たしかアレ、いまは影人っていうんだっけ? このミストピア周辺にも出没してたのは知らずに、彼女には『なんか初めてみる魔物がいるらしいよ』ってだけ伝えて、討伐をオススメしてたんだけどね」
……は?
「ま、飽くまで骨休め、気晴らし程度の仕事にって話だったからさ。ボクも手が空いたし、あの子が討伐を終えた辺りで久しぶりに出向いて積もる話でもゆっくりと……って考えていたのにさ」
なんだ、コイツ。
仮にも戦闘中なのに、いきなり何を言い出して――
「なのに、さ」
こちらが口を開きかけたところで、ガクンと右側の靴底に重みがやってきた。
続けてティオが口を開く。
「なのに気付いたら、キミが彼女の傍にいた。いや、違うか。気付けばキミの傍にいることを、彼女が……白羽根の聖女、フェレシーラ・シェットフレンが選択してしまっていた」
両の手をだらりと降ろしたまま喋り続けるも、俺は動けない。
まるで金縛りにあってしまったかのような足首に、視線を落とす。
「これはね、由々しき事態ってヤツなんだよ。フラム・アルバレットくん」
そこでは地中より現れていた鎖が、アトマの輝きを発していた。
この中庭に辿り着いた時点で起動していた『探知』の術効果で、捉え続けていた筈の牙の一つ。
「ここからは、全てを知り責を果たすか。それともこのボクに消されるか。二つに一つしか、道はないと思ってくれると助かるな」
ニコリと微笑みを『青蛇』の宣言と共に、その牙がこちらの右足首へと食い込み、俺を地に縛り付けていた。