237. 聖伐の狩人、その流儀
『合わせろだぁ?』
ざり、と石畳を踏みしめて歩を進めると、頭の中にジングの声が響いてきた。
「やあフラムくん、なにか御用かな? 白羽根様に査察を押し付けての両手に花、中々楽しそうだけど」
こちらの呼びかけを不遜とみてのやり返しだろう。
ティオがそんな言葉を口に、両手を大きく広げてみせてきた。
さて。
一応これであちらも乗ってきてくれた形となる。
あとはここから、どうやってコイツを騙くらかすか……という流れだが。
問題は俺のこの動きが突発的な思い付きであり、セレンとパトリースの二人と口裏を合わせて連携するどころか、意図を伝えることすら容易ではない、という点にある。
『おいこら、黙ってねぇでなにか言いやがれってんだ』
『ちょい待ち。お前とは念話でやり取り出来るから後だ。先に二人に伝える』
『ケッ。んだそりゃ……人を叩き起こしておいてよ。ま、この糞生意気なガキをどうにかしてみせるってんなら、お手並み拝見といくか。クカカ……』
ジングの嗤い声に押されるようにして、更に一歩だけ前に進む。
進むが、ティオとの間合いを詰めるためのものではない。
更に言えば、それは戦闘のための行為ですらなかった。
そうしながらも、俺は合皮の手甲に意識を集中する。
用いるは、不定術式の霊銀盤。
試みるは、意思疎通の式構築。
「む――」
「あ」
「ピピッ?」
三者三様。
それぞれ異なる様子で、二人と一匹が俺の背中に視線を向ける気配がやってきた。
この場は任せて欲しい。
ギリギリまで手出しをしないで欲しい。
それが俺が皆に伝えるべきことであり……同時に微妙のアトマでもって自らの背中に浮かべた、中央大陸語によるメッセージだった。
俺が一人だけ前に進み出たのは、こうして皆にしっかりと背中が見えて、かつティオからは直接見ることが叶わない位置取りをするためだった。
「無茶は禁物だよ、フラムくん」
「はい、セレンさん」
セレンの忠告に、俺は感謝の言葉を込めて短い返事を行う。
簡易的な術法式を利用しての、文字の書き記し。
つい先日、ジングを嵌める際に用いた連絡法だが、一応ティオに勘付かれても問題のない内容に留めている。
まあコイツのスタンスからして、こちらが何かしらの動きをみせたところで、ある程度は余裕の表れとして放置してくるとは予想してはいたが……
ともあれ、ティオにとっての死角にて連絡を行いながらも、「やはり」というある確信も同時に得る。
起承結。
その構築と実行。
いままでそれなり以上の集中と必須としていた、定かならざる術の行使。
それが以前よりも円滑に、負担なく可能になっている。
未熟もいいところながらも自力で術法を扱えるようになっていたことといい、この結果といい……
察するに、自らの精神領域に踏み込み、そこでの体験した出来事が、俺の体に何かしらの変化を齎し始めているのだろう。
予期せぬ変化にして、望んでいたはずの成長。
それに不思議と浮足立つこともなく、次なる一手に取り掛かる。
出来るだけ自然に、慌てず騒がずゆっくりと。
そんな仕草でもって、俺は目の前の少女へと近づいていった。
己の首筋に、視線が注がれるのがわかった。
わかるも、然程の敵意は感じられない。
少なくとも『殺意』と呼べるほどのモノは、籠められてはいない。
ただ、何かを期待するような……もっと言うのであれば『コイツは楽しめそうか』という品定めが行われている気配は、出会った時からずっと変わってはいなかった。
ティオ・マーカス・フェテスカッツは、狩人なのだ。
それが生来のものであるのか、生まれ育った環境による後天的なものによるのか……はたまたその両方が合致してのものなのかは、俺には知る由もない。
しかし狩人といっても、ストイックに獲物の隙を窺い一撃で仕留めることを矜持とする職業的狩人の類ではないことだけは、これまでの彼女の振る舞いからしても明らかだった。
狙い定めた獲物を、どう煽れば楽しめるか。
恐怖に逃げ惑う獲物を、どう追い込めばもっと甚振れるか。
最期の時を前に命乞いに走る獲物を、どう甚振ればもっとも惨めに処せるか。
そうした点に重きを置く、所謂ところの快楽殺人者染みたモノを俺はこの青蛇の神官から感じとっていた。
『全く理解できないってワケでもないし、そのケがある、って程度だろうけどな。そこについては所詮は勘だし』
『あん? なにいきなりワケのわかんねぇコトいってんだテメェは』
『いやいや……多分だけど、狙われてるのお前だからな?』
『ハァ?』
間の抜けたジングの『声』に俺はついつい苦笑してしまう。
これは本当の本当に、勘というか、ほぼ当てずっぽうなのだが……おそらくティオという少女は、『魔人、もしくはそれに類する存在』を個人的な狩りの対象としている。
然したる根拠もない憶測ではあるが、そもそも突然、聖伐教団の総本山からここミストピア神殿への緊急査察が敢行されたことといい。
そこに『青蛇』だなどという、物騒極まりない称号階位を持つ者が『どうみても刺客です』状態でブッ込まれてきたことといい。
彼ら聖伐教団が至上の使命として掲げる、『人類種に仇なす魔人の殲滅』が裏に潜んでいることは誰の目にも明らかだろう。
査察を受ける側であったカーニン従士長らミストピア神殿の面々はともかくとして、ドルメ助祭と始めとした査察メンバーも、その真の目的を知っている筈だ。
というか、助祭への警護も物々し過ぎるしな。
自領内である神殿を見て周るだけで、あの警戒っぷりは異様の一言では済まないレベルだ。
まあそれが結果として、ティオの存在と合わせて俺に『査察の目的が魔人の炙り出しと殲滅』にあると、断定させる要因になっていたわけではあるが。
なんにせよ、フェレシーラが引き離されたこの状況下。
既にこちらは一度は腕輪狙いを囮に出し抜かれており、少なくとも申請もなく陣術を使用したことを追及されれば、身柄の拘束に踏み切るぐらいは容易だろう。
すべてはティオの掌の上、というわけだ。
このまま受け身でいては事態が好転する筈もない。
かといって、力押しでなんとかするには危険すぎる相手だ。
もしそうした手段に及ぶのであれば、皆とは完全に無関係な状態でやり合わねばならない。
やり合うのは、俺とジングのみ。
捕らえられるなり、殺されるなりという結果になるのであれば、それしかありえない。
「師匠ぉ……」
「グルゥゥ……!」
「ん。大丈夫だ、二人とも」
背中へとやってきた声に俺は片手をあげて応える。
セレンはともかくとして、この二人はまだ状況を把握出来ていないだろう。
そして説明する時間も隙も、この少女が与えてくれる筈もない。
「さて、と」
そうした前提を一度頭で纏めてから、「ふぅ」と呼吸を一度だけ深くとり――
「突然の事とはいえ……先程は、大変失礼をいたしましたァ!」
皆が固唾を呑む最中、俺は目の前の死神にへと向けて、深々と頭をさげたのだった。