235. はためく暗雲
査察のための神殿巡回を一旦は終えて、修練場にて皆で小休止。
そのタイミングを見計らい、俺はまずセレンとパトリースに接触を図っていた。
「それは……少し目を離している内に、随分と不味い状況になったね」
「うーん、『青蛇』さんからの宣戦布告ですか。なんだかおっかなそうな人に目をつけられちゃいましたね、師匠。ほーらチビ助、大人しくしてて正解だったでしょ?」
「ピ? ピィー……」
「すみません、よりにもよって腕輪を狙われるだなんて……警戒していたのが完全に裏目に出ました。飽きるまでさわらせるぐらい勝手にさせておけば、興味を失ったかもだったのに……」
修練場に設けられていた演習用の小さな砦の、その一角。
弓手用の櫓へと繋がる梯子の前で、三人と一匹が集まっていた。
フェレシーラはといえば、やはりハンサと共にドルメ助祭への対応に回ってくれている。
先程ちょっとだけ様子を見に行ったところ、砦の奥に在る会議棟で話し合いの真っ最中だった。
助祭付きの神殿従士と神官も、同じくそこで彼の警護にあたっている。
「たしかにその腕輪は専門の知識がない者が見たところで、相当入念に調べ上げない限り効果もわからない筈だが……まあ、気持ちはわかるよ。私もアレが急に腕を伸ばしてきたら、おそらく反応してしまうだろうからね。しかしそうなってくると、どうしたものか……」
「あの、そこなんですけど、セレンさん」
「ん?」
軽く目を伏せて思案する様子をみせていたセレンに問いかけると、黒衣の女史が片目を開いて応じてきた。
そこに俺は、己が抱えていた疑問をぶつけにかかる。
「この翔玉石の腕輪って……どんな理屈でジ――いえ、アイツとやり取り出来てるんでしょうか。考えてみれば『念話』と『遠見』、それに『発声』まで可能な複合術具なのに、霊銀盤も見当たらないんで。今更ながら、そこが気になってしまってですね」
ジングの封印と、こちら主体のやり取りが出来ることになった喜びと開放感から、すっかり忘れ去ってしまっていたが……
セレンが用意してくれたこの腕輪の仕組みに関しては、正直にいって首を捻る部分も多かった。
複数の術効を得ることが可能なのに、腕輪自体には術具に必須とされる霊銀盤は影も形も見当たらない。
いや……もしかしたら、これは術具ですらないのかもしれないと、今更ながらに思う。
使用時に微弱なアトマの消耗は感じられていたので、勝手に術具の一種と思い込んでしまっていただけ、という可能性が高い。
「ああ、そういえばそこについて教えておくのを失念していたか。フラムくんも薄々勘付いているかもだが、その腕輪は術具とは異なる構造をしているからね。君があっさりと彼との対話に成功したのもので、説明するのを忘れていたよ。あっはっは」
「セレン様、そこ笑うとこじゃないですよ……それがわかっていれば、師匠だってあの青蛇さんに怪しまれなかったかもなのに」
「ピ」
「いや、そこはもう仕方がないよ、パトリース。それよりも……セレンさん」
パトリースの腕の中でパタつくホムラの頭を撫でつけながら、俺は話の先を促した。
それを受けて、セレンが「ふむ」とだけ洩らしてくる。
頭の中で、こちらに話すべきことを整理しているのだろう。
辺りにあのお喋り神官……ティオの気配がないかを『探知』も併用して警戒しつつ、俺は彼女の言葉を待ち構えた。
「簡単にいえば、君とホムラくんを繋げているものと同じだよ。その腕輪に付加してある対話機能はね」
「俺とホムラを繋いでるのと同じって――」
セレンの告げてきた内容に、俺は一瞬言葉を失う。
失いながらも、ついつい己が身に付けた黒い腕輪と、パトリースに抱えられたまま首を傾げるホムラの顔を交互に見つめてしまう。
「え。それって……俺とジングのヤツも、血液媒介の術法式で繋がってるってことですか!?」
その結論に辿り着いた俺の口から、思わず素っ頓狂な声が飛び出てしまう。
「シッ! 声が大きいよ。それにその名を口にするのは駄目だと言ったろう?」
「あ――す、すみません、少しばかり驚きが大きかったもので……!」
「いや。パトリース嬢の指摘の通りに、私の落ち度だからね。そこは本当に申し訳ない」
人差し指を立てて制止してきたセレンに謝罪を行うと、逆に詫びの言葉で返された。
「そこはもう、ティオのヤツに目を付けられた俺も悪いですから、お互い水に流しておきましょう。それよりも、この腕輪にはあの時の血を使っていたんですね。公民権を申請する為の、アトマ認証用に採血した俺の血を」
「名答だね。陣術にも君の血液を触媒として用いていたお陰で、色々とやり易かったよ」
マジですか。
そんなこと、全然聞いてなかったし本当に驚きだ。
まさかあのジングと俺の間に、ホムラと同様の繋がりが出来ているなんて……
便利な術効が得られるにしても、正直めちゃくちゃ複雑な気持ちにさせられてしまう。
しかしおそらくそれが、セレンに可能な最善最高の選択であっただと推測出来るだけに、こちらとしては文句のつけようもない。
ジングを切り離しただけでは、その後コイツが何を企んでいても知りようがない、では話にならないからだ。
なのでそのこと自体にケチをつける気は更々なかった。
なかった、のだが……
「ということはですよ。公民権の申請の話を持ち掛けてきた時点で、この腕輪を用意する算段は取り付けていたんですね?」
「ああ。指摘のとおり、そういうことになるね。さすがにパトリース嬢があそこまで力になってくれたのは計算外だったが……そこは嬉しい誤算という奴だったよ」
「えへへ……いやぁ、それほどでも」
会話の途中、珍しくセレンが淡褐色の髪をポンポンと撫でつけると、パトリースが照れ笑いをみせてきた。
そのやり取りに微笑ましさを覚えつつも、俺は溜息をつく。
「腕輪の理屈はわかりましたし、納得も出来ました。ありがとうございます、セレンさん。しかしそうなってくると……やっぱりフェレシーラにも話しておかないとですね」
査察への対応に追われているフェレシーラだったが、こうなってくるとあまり悠長なことは言ってもいられない。
幸い、査察の内容自体は極々ありふれた検査に留まっているようだし、自由区画についても足を伸ばすどころか、話で触れてくる気配もない、という事は既にセレンから説明を受け終えている。
となればここは「翔玉石の腕輪を狙うと決めた」等とのたまってきたティオへの対応を、第一に考えてゆくべきだろう。
そう考えたところで、俺はあることを思い出した。
「そういえばあいつ……フェレシーラの口振りだと、あのティオってヤツと知り合いぽかったですけど――」
「ピ!」
言葉の途中、不意にホムラが鳴き声をあげてきた。
「あ――チビ助!?」
「ピィ! ピピー! ピピピーッ!」
パトリースが止める暇もなく、赤茶の翼が空を舞う。
猛禽類特有の鋭い眼光が、陽光煌めく天を睨みつける。
「おや。一番初めに気付いてきたのが、そのおチビちゃんとはね。腐っても幻獣の幼体……飼いならされてはいても、野生の勘は健在ってところかな?」
突如吹きつけてきた熱気を伴う颶風に、黒い外套がぶわりと膨らみはためく。
無人であった筈の櫓の、その更に上。
足場とも言えぬ急傾斜の屋根の上より――
「やぁ、皆。こんなところで何か楽しい相談事かな? 良ければボクも、キミたちの仲間に入れてもらえると嬉しいんだけど」
青き蛇がにこやかな笑みを浮かべて、こちらを見下ろしてきていた。