234. 蛇眼の品定め
助祭であるドルメの要求と、ハンサの案内により査察は順調に進んでいった。
「ふむ……取り立てて変わったところはないようですね。むしろ皆、アーマ様の教えを体現する者としての気概を持ち研鑽を重ねている様子。魂源神に仕える者としては、かくありたいものですな。アレイザの若者たちにも見せてやりたいほどです」
「畏れ入ります」
「はっはっは。そう固くならず、肩の力を抜いてください。こちらも司祭の代理に過ぎません。今日はハンサ副従士長とそう変わらぬ立場立ち位置、というやつですよ」
「はっ……勿体ないお言葉です」
厩舎から武器庫、兵舎……そして修練場までを一通り周り終えて、ドルメが柔和な笑みをみせてきた。
御付きの神殿従士と神官たちは、円陣を組む形で警護を担っている。
彼らが彼女らが私語を発さぬよう努めていることもあり、ことは静かに進んでいた。
「それでですねぇ。その人がまた、困った人というか、ぶっ飛んだ御仁でして……巻き込まれる形でボクも司祭長にお叱りを受けてしまったんですよ。ほんと、いい迷惑だと思いません? あ、そういえば司祭長といえばですね――」
この通り、お喋り神官ティオくんに絡まれ続けていた、俺の周囲を除いて。
てか、いい迷惑なのはコイツに延々話しかけられている、こっちの方なんですが。
査察の間中、ずっとひっきりなしでこの調子とか……ほんと勘弁してくれといいたい。
しかもコイツの場合、ただお喋りなだけじゃないのがまた困る。
人の身なりや過去、話し方や態度に至るまで、とにかく五月蠅く嗅ぎまわろうとしてきて、それをスルーしていたら、今度はどうでもいい身の上話をし始める始末だ。
はっきりいって、コミュニケーションが成り立たない。
話すこと自体の筋は通っており、内容もそう酷いわけでもないのに、どうしてここまで右から左に聞き流したくなるのか、首を捻りたくなるレベルで噛み合っていなかった。
「ねえねえ、フラムくん。さっきから黙ってないで、こっちみてくださいよぉ」
「……なんですか。何度も言いますが、今は査察中で皆に迷惑がかかるので。こちらは返事するつもりはないですよ」
「お。やっと見てくれたね? うんうん、そうだよねぇ」
意識的にというよりは、自衛のために固い言い回しでティオに応じると、彼女はこちらの見解に同意を示してきた。
まあ、コイツの場合はそんな返事もまったく意味が――
「ところで……フェレシーラとは、どこまで進みました?」
「なぶっ!?」
唐突にやってきたその質問に、思考どころか呼吸まで寸断されてしまい、盛大に吹き出してしまう。
「お。いいですねぇ、その反応。あの子の名前を出した途端にそれかぁ。わかりやすいですねぇ、キミ」
「な――なにをいきなり……っ」
「なにって、そんなの決まってるじゃないですか。今まで色々と質問してきたのは、いつの間にか彼女の傍にいたキミの素性を知るために、決まっている。そうでなければ、ボクにとっては心底どうでもいいですからね。キミの自身のことなんて」
「……そうですか」
それまでと微塵も調子を変えずに言い放ってきた神官の少女に、俺もまた、調子を変えずに応じる。
なんというか、ここまでいくと逆に清々しいほどだった。
敵意どころか、悪感情すら湧いてこない。
不思議なほどにムカつきもしない。
出会った時から、なんとなくわかってはいた。
コイツは――ティオ・マーカス・フェテスカッツと名乗ったこの少女は、フラム・アルバレットというヤツを、一個の人として認識していない。
この青蛇の称号を持つ女は、俺のことを『フェレシーラに付き纏う邪魔者』としてしか捉えていない。
出会い頭に叩きつけてきた殺気も大概だったが、その後の絡みっぷりと態度で、そのことがよく分かった。
一言でいえば、コイツは俺を見下しているのだ。
お前なんかが、何故に白羽根の神殿従士と……フェレシーラ・シェットフレンと共にいるのだと、言外に表してきているのだ。
「皆に遅れています。急ぎましょう」
その事実だけを口昇らせて、俺は査察を継続する皆の――
いや。
フェレシーラの後を、俺は追いかける。
「はぁ……ホントつまらない男だなぁ。フェレシーラも、いったいなにが良くてキミなんかと一緒してあげているのやら。ぜんっぜん理解できないや」
背後からやってきたその言葉に、一瞬歩みが止まりそうになる。
止まりにそうなるも、なんとか足を踏み出してゆく。
石畳を踏みつけながら俺は思う。
ティオが投げかけてきた数々の言葉に対して、然したる反発心や敵愾心が湧かない。
それは当然だと思えていた。
その理由には自覚がある。
納得している、と言い換えてもいい。
そしてそれもまた、一言で言い表せることだった。
フェレシーラに対して、俺は不釣り合いなのだ。
何のかんのと理屈を重ねずとも、結局はその一言で済んでしまう。
それは認めなければいけない事実だ。
なので、俺はこのお喋りな少女に対してそこまでの不快感を抱けない。
彼女はある意味、俺の代弁者とも言える存在だ。
正直まったく知らない相手だが、向こうもこっちを一人の人間として見ていないのだから、まあそこはお相子というヤツだろう。
「ボクってさあ。わりと昔から何でも出来るんだよね」
「そうですか」
ティオの自分語りに対しても、そうだろうな、という感想しかわかない。
まあ、なんとなくだがわかる。
コイツは強い。
そして恐ろしい。
たぶん、今まで出会った誰よりも……恐ろしさという一点では、きっと『煌炎の魔女』よりも恐ろしい。
よくある表現だが、『笑って人を殺せる』手合いだろう。
それも恐らく、青蛇だなどという称号階位に身を置いているからではなく……そういうヤツだからこそ、そういった地位を与えられたクチに違いない。
住む世界が違うのだ。
表と裏。
そのどちらかで言えば、当たり前だが後者にあたる。
そしてなにより……現状の俺よりも、フェレシーラに近いレベルにいる。
それは握手を交わして以降、音も立てずに『起動し続けている』ティオが身に付けた黄銅色の鎖からも伝わってきていた。
「お、コレ、気になる? ごめんねぇ、ずっと入れっぱなしで。信用できない相手が近くにいると、勝手にこうなっちゃうんだよね。でも安心していいよ? 流石に攻撃でもされない限り反応しないからさ」
「逆に言えば、攻撃されれば……いえ。攻撃する気配を感知した時点で反応するってことですか。さっき俺とハンサ副従士長が抜きかけたとき、鳴ってましたよね。音」
「……へぇ」
初めて成立した会話らしい会話の中で、ティオが感心したような面持ちを見せてきた。
「初見で……というより、予備動作だけでそこまでわかっちゃうんだ。ボンクラそうな顔して中々すごいじゃん、キミ。その右手の術具のお陰だとしてもね」
「まあ、術具なら少しは使えるんで」
「ふぅん? あ、そういえばその両手に着けてる腕輪も術具かな? でも、あんまり見ない素材と形状だね。霊銀盤も外側には見当たらないし……どれどれ?」
「ちょ――さわんなよ!」
突然横合いから伸びてきた指先を、俺は慌てて振り払う。
ティオがその手を空振らせて、ピタと動きを止める。
危なかった。
コイツが身に付けた鎖……おそらくは戦闘用の術具の動きを探る為に、『探知』を発動させてのアトマ視による予兆がなければ、普通に腕輪を掴まれていたところだった。
ジングを封じた翔玉石の腕輪は、肌身離さず持っておかねばならないが、同時にその秘密を他者に知られるわけにはいかない。
特にコイツには、絶対に知られてはいけない。
知られれば、ロクなことにならない。
「はぁん……なるほどね」
そんなこちらの考えが、動きに出てしまっていたのだろう。
「それ、キミにとって大事な物なんだ。そっかー。いいこと知っちゃった」
ペロリ、と意外と可愛らしい舌で以て、己が上唇の渇きを舐め潰しながらも――
「うん。決めた。次のボクの獲物は……その腕輪にしよっと!」
蛇の如き眼差しと共に、そいつはそんなふざけた宣言を行ってきた。