232. 『暗殺神官』
神殿へと続く石段の下で待ち続けること、半時ほど。
「おぉ……白羽根殿、御自ら出迎えとはご足労痛み入ります」
こちらの前に姿を現したのは、聖伐教団の助祭……深緑色の法衣と角頭巾に身を包んだ初老の男だった。
「初にお目にかかります。白羽根神殿従士フェレシーラ・シェットフレンです。よろしくお願いいたします」
「ミストピア神殿副従士長、二級神殿従士ハンサ・ランクーガーです。本日は従士長カーニン・ルイヒに代わり、案内を務めさせていただきます」
「これはこれは。私はドルメ・イジッサ。大教殿にて助祭の任を与えられております。以後、お見知りおきをば」
柔和な笑みを浮かべて恭しい頭を垂れた助祭に続くのは、剣を携えた神殿従士が5名と、錫杖を手にした神官が4名。
男女比は2:1といったところで、神官側に女性が多い。
そのいずれもが薄水色の出で立ちをしており、助祭に倣い礼を行ってきた後は、誰一人として口を開くことはなかった。
「うっわぁ……思っていた以上に物々しいですね。皆して、お堅そうー……」
「その意見には同感だがね。口にするのはやめておき給え、パトリース嬢。さすがに今回やらかせば、副従士長からのお仕置きも洒落にならなくなるよ。それと、例の件についてもね」
「はぁい。ジングのことですね。それにしてもあの名前って、どこかで――あっ、ハイ。黙っておきまーす……!」
フェレシーラとハンサの後ろに控えるのは、セレンにパトリース、そして部外者であるオマケの俺、といった面子だ。
今日はこの五人で査察への対応を行うとのことだったが……
「ピィ♪」
総勢十名と五名の間に立ち、元気な鳴き声と共に走り回ってしまったのは、御存じ我らが友のホムラさん。
「え、ええと。これは……グリフォンの雛、ですかな……?」
「あ――す、すみません! ウチのホムラが、粗相をして……!」
突然のことに固まる皆の間を潜り抜けて、俺はホムラを抱えて再び後ろに回る。
お咎めの言葉こそなかったが、すれ違った際にフェレシーラから「ちゃんと見ておきなさいよ」とばかりに軽く睨まれてしまった。
ヤバい。
いきなりやらかした……!
今の今まで俺の足元にいたから、完全に油断していた……!
てかコイツ、挨拶の瞬間を見計らってダッシュしていっただろっ!
あまりのことに全員が固まっちゃってたからいいものを、下手をすりゃ助祭の伴をしていた神殿従士に斬りつけられているとこだったぞ!
「こらっ、ホムラ、駄目だろっ。じっとしてなきゃ……!」
「大変失礼を致しました、ドルメ殿。私は魔幻従士セレン・リブルダスタナと申す者です」
慌てる俺の横を、黒衣の女史が謝罪の言葉と共に進み出た。
「こちらは白羽根殿より預かった、はぐれグリフォンでして。今現在、人に危害を加えぬように躾を行っている最中でした。こちらの少年フラムに懐いております故、同行をさせております。何卒、寛大な御心で赦していただきたく……」
「ああ、それはなるほど。そういう事情でしたか。魔幻従士殿の高名は大教殿でも聞き及んでいます。どうか顔をお上げください」
前に出かけた二名の神殿従士を片手で制して、助祭がセレンに応じてきた。
ちなみに彼が先ほどから口にしている大教殿というのは、公都アレイザにある聖伐教団本拠の名称だ。
以前フェレシーラに教えてもらっていたのだが、どうやらアレイザでは神殿と教会が一つの施設として建てられており、そこに教皇を始めとした教団の中心人物が集まっているらしい。
そんなところでも名が知れてるって、流石はセレンとしか言いようがない。
フォローありがとうございます……!
「君がフラムくん……ですね。今日はよろしくお願いします」
「へ――」
心の中でセレンに感謝していたところに、助祭から声をかけられた。
「あっ、はい、こちらこそ……ふ、不束者ですが、よろしくお願い申し上げます!」
いきなり名前を呼ばれて軽いパニックに陥りつつも、なんとか返事を行う。
マズい。
なんか立て続けでバタバタだ。
頭を深く下げて、石畳の合わせ目を見つめながら自分を叱りつける。
心の準備はしていたのに、こんな調子じゃ皆の足を――
「へぇー。キミがそうなんですか」
不意に、声が頭上からやってきた。
反射的に足が石畳を蹴りつけて、体が後方に跳ね飛ぶ。
体が独りでに動き、両脚を大きく開いて体勢を低く取る。
顔が前を向き、声の主を捉える。
右手が短剣の柄に伸びることだけは、なんとか自制した。
視界の片隅で、ハンサが背中の両用剣に手を伸ばしかけていたのが見えた。
同時に、金色の瞳を持つ何者かが眼前に現れていたことも。
髪は短めの艶の無い茶髪。
金縁の黒い鍔付き帽に、肩口で大きく広がる襟付きの黒い外套。
革製のベルトを通した紺のワンピースからは、襟を立たせた白いシャツが覗いている。
背丈はこちらより低いが、身に纏う物のそこかしこには黄銅色の鎖が取りつけられており、それをジャラリと鳴らしながら、そいつはニコリと笑ってきた。
「ありゃ。これは驚かせてしまいましたね。失敬失敬」
「――なんだ、お前」
悪戯っぽいというには少しばかり底意地の悪すぎる笑みを前にして、俺は誰何の声を飛ばす。
見たところの歳は15か16、といったところか。
中性的で整った顔立ちをしてはいるが、外套の上からでもはっきりと浮き出た体のラインから、女性だということはわかる。
装いからして、術士だということも。
武器らしい武器は所持していない。
だが、危険だ。
あの鎖……鈍い金の光を放つ鎖。
そして何より、そいつ自身が危険な存在であると、俺の直感が警告を発してきていた。
「人に名を尋ねるときは、自分から名乗るものですよ……と言いたいところですが。キミの名前はもう知っていましたね。天涯孤独の少年、フラムくん」
「――ティオ!?」
なんの気配も発さずにその場に現れていた鎖の女へと向けて、フェレシーラが声をあげてきた。
「やあ、フェレシーラ。聞いたよ? 急性のアトマ欠乏症で倒れたんだってね。キミにしては珍しくヘマをしたなぁって思ったけど。元気そうでなによりだ」
「相変わらず耳が早いわね――じゃなくって! なんで王城警護に就いていた貴女がここにいるのよっ。それに、その恰好!」
「うん? ああ、これね。似合うでしょ。教皇聖下におねだりして下賜してもらったの。術具工房謹製の特注品だからね。見た目だけじゃなくって、機能性も前の奴より数段上だよ」
「聖下におねだりって……いえ、そんなことよりもっ」
「ハイハイ。ちょっと待っててね、愛しの白羽根ちゃん。察しの良いキミのことだ。ボクが用事のある相手は……目星、つくでしょ? 事を穏便に済ませたいなら、暫く大人しくしててね」
「……!」
そう言ってフェレシーラを黙らせると、そいつは……ティオと呼ばれた少女が、ふたたびこちらに向き直ってきた。
「はじめまして、フラムくん。ボクの名前はティオ・マーカス・フェテスカッツ。ここ最近の教団での肩書としては、青蛇なんてモノをやらせてもらっていたかな」
音もなく、ティオの左手が持ち上がってくる。
友好の証のために動かされたそれに、しかし今度は鎖の音は鳴りもしない。
だが、最初に発してきた気配はそのままだ。
「今日は是非とも、キミとお近づきになりたくてね。わざわざ司祭長に頭を下げて、こんなところまで出向いてきたんだけど……」
それを一切隠すことなく、にこやかな笑みも崩すことなく――
「勿論、仲良くしてくれるね?」
刺すような冷たい殺気はそのままに、そいつは俺に握手を求めてきた。
『君を探して 白羽根の聖女と封じの炎』
九章 完