230. 振り返りて二人、前を見て
結局、試合場には俺とフェレシーラだけが取り残されていた。
「はぁー……ったく、死ぬかと思ったぞ」
「なーに大袈裟なこといってるのよ。ちゃんと手加減してあげてたでしょ」
「あのな。お前の腕ってやわらかくて細いから、くい込みやすくて振りほどきにくいんだよ」
腰に手の甲をあてて呆れる少女へと、俺は首周りをさすりつつ答える。
まあ、実際のところフェレシーラが半分おふざけだったのはわかってはいる。
「ふぅ。それで用はなんだったんだ? なんか話したいことあったんだろ、お前」
肩を回して新鮮な空気を肺に取り込みつつの質問に、フェレシーラが目を丸くして瞼を瞬かせてきた。
「あれま。バレちゃってたのね」
「そりゃわかるって。あの感じだと、ハンサに連れられていったパトリースはともかくとして……セレンさんには良さげなタイミングがあれば、ホムラを連れて二人っきりになれるように頼んでいたんだろ?」
「まあね」
こちらの推測には、短い肯定の声。
フェレシーラがその場に膝を折って座り込む。
「よっと。お邪魔しまーす」
「うむ。くるしゅうない」
彼女に倣い俺も腰を降ろすと、寛大なお赦しの言葉をいただけた。
それに甘えて、石床の上で胡坐をかく。
自然、互いの肩が軽く触れあった。
「正直なところさ。皆を巻き込んで悪いなっておもってる」
「そうね……って、私の話を聞いてくれるんじゃなかったの?」
「まあ堅いこというなって。たぶん、お前が話したかったこととそう変わんない内容だろ?」
「それはそうなんですけどぉー」
肩に肩を預けての、会話が始まる。
「なあ……これから始まるその査察ってヤツ。隠し事してるのがバレたら不味いよな?」
「不味いなんてものじゃないありませーん。ちょっとした仕事のミスを誤魔化そうとした、ぐらいなら始末書と無償奉仕任務のセットか、最悪減給ぐらいで済むけど」
「なるほどな。んじゃ陣術の無断使用への処罰がそんな感じとして……コレの方はどんな感じになると思う?」
こちらが黒い腕輪を指でちょんちょんとしてみせると、そこにフェレシーラがチラリと視線をとばしてきた。
ジングの魂を封じ込めた翔玉石の腕輪。
それが作り出されるまでの、皆の力を借りてのあれやこれや。
例えその行為自体に妥当性があったとしても、聖伐教団への報告もなしに神殿で色々とやってしまったことは、大いに問題があるだろう。
「そうねぇ……よくて大幅減給か、面倒な部類のタダ働きが暫く続いて。それぞれの上役からお叱りの言葉も頂戴しちゃうでしょうね」
「マジか。じゃあ、悪くすれば?」
「降格でしょうね」
サラッと返されてきたその言葉に、俺は絶句する。
そんなこちらを余所に、神殿従士の少女が続けてきた。
「もちろん、綿密な取り調べの上でってことにはなると思うけど。私やセレン様のような限定階位は暫くの間は一級落ち。パトリースは神殿従士見習いだから、そこが取り消しになって話に聞いていた教会行き……まあいまの彼女なら、神官試験を受けて即四級認定されちゃうでしょうね」
「……嘘だろ」
さばさばとしたフェレシーラの返答に、俺の口からそんな言葉が飛び出していた。
彼女の言葉に嘘はない。
それがわかっていても、認めがたいことだった。
「そんな深刻な顔しないで。セレン様にしても、パトリースにしても、覚悟の上でやったことよ。なんで二人して、見ず知らずの私たちにそこまでしてくれるのかはわかんないけど。まあ、乗りかかった舟って奴なんじゃない?」
「お前がいうと、妙な説得力があるから困るんだよなぁ。はぁ……そこまで大事だったか」
「だから、気にしない。恩を感じても後ろめたさに囚われては駄目よ。きっとあの二人だって、そんなことは望んでいないもの。例え悪い方に転んでも、後悔なんてしない。そんなものよ」
「……それ、お前もか?」
ついついそんなことを口にすると、側頭部にコツンとした感触が返されきた。
まって。
その返しはちょっと待ってください、フェレシーラさん……!
「あ、いや、今のなし! ええと、聞き方……じゃなくて、言い方がわるか――あだっ!?」
「だーれーにー、聞いてるのよっ!」
「ちょ、頭ぶつけてくん――あでっ!? いやだから、お前のいしあた――ま゛っ!?」
「……!」
「いやこれ、前にもやっただろ! あっあっ、すみません、ぼくがわるかったです……!」
無言となってガンガンとこちらに頭をぶつけてくる聖女様に、俺は堪らず降伏した。
いやほんと無理だから。
コイツの頭の固さって、マジで戦鎚並にあるんじゃなかろうか。
あのミグとイアンニにも勝利した俺を圧倒するだとか、石頭ってレベルじゃないですよ?
固さというよりも、硬度って表現の方がしっくりくるかもしんない。
「ま、袖振り合うも他生の縁。毒食らわば皿まで。なんていうけどね……結局、助けてくれる人も、助けたくなる人いてこそよ。誰かれ構わずってわけでもなし。そこは素直に感謝しておきなさいな」
「いつつ……いやまあ、感謝はしてるけどさ。さすがに今の話を聞くとさ」
「聞くと、なに? まさか迷惑がかかるから、査察の前に姿を晦ましたい、とでも言い出すおつもりで? それこそあの二人にも、特訓に協力してくれた神殿の皆にも失礼だと思うけど」
「いや、そうは言っても――ああ、もう、わかったよ!」
いい加減、自分でもうじうじと気にかけているのが嫌になり、俺は叫んでしまっていた。
「肚くくって、どーんと構えてればいいんだろ! そういやそんなこと、出会ってすぐに言ってたよな! シュクサ村についてすぐに、人の背中遠慮なくバンバン叩いてきやがった時にさ!」
「出会ってすぐにって……ああ、あの時の。ほんと、よくそんなに細かく覚えてるわね」
「お前と違って、硬さよりも記憶力に自信があるからな。俺の――あだ!? だから事あるごとに、頭ぶつけてくんのはやめろって……!」
「あらごめんあそばせ。こうしていれば、わたくしも色々と思い出せるかもと思いまして。他意はございませんでしたの」
そんなこんな、あれやこれやと、ここに至るまでの出来事を思い返したりしつつも。
「ま、なるようになるでしょ。人事を尽くして天命を待つ、じゃないけど。ほんとただの抜き打ちチェックでここ以外を見回って終わるかもだし。あんまり気にしすぎも、禿るわよ」
それを言ったらいまのダメージの方が、よっぽど原因になりそうだけどな。
……なんていうと、またハンマーヘッドラッシュされそうなので言わないが。
「それにもしかしたら……別の理由があるのかもしれないし」
「ん? 別の理由って、いきなり査察が決まった理由か?」
「……うん。もしそうだとしたら、迷惑をかけるのは貴方の方じゃなくて……」
そこまで口にして、フェレシーラは押し黙ってしまった。
その表情は角度的にこちらからは見えない。
見えない、が……
「おらっ」
「きゃんっ!?」
コツン、と頭を軽く振ると、すぐ傍から可愛らしい叫び声が耳元にやってきた。
「ちょ……ちょっと、なによ! 自分は頭ぶつけてくるなとか言っておいて!」
「いやいや。自分で言ってたろ。堂々としてろって。人に偉そうなこというんなら、まずは自分が実践しろよ」
「それは、そうだけど……!」
驚き顔で振り向いてきた少女が、こちらのツッコミにぐっと喉を詰まらせる。
そしてそこから「ふぅ」と大きく息を吐き、彼女は肩を寄せてきた。
「ありがとう、フラム。ちょっとだけ……楽になれたかも」
「そりゃ光栄だ。そこは大いに楽になって欲しいところだけどな」
「はいはい。貴方もなかなか言うようになってきたものね。人の胸に顔埋めちゃってびーびー泣いてた男の子が、ほんとうそみたい」
「は――はぁっ!? お、おれがいつ、そんなことしたよ!?」
「あら? フラムくん御自慢の記憶力なら、はっきりと覚えていらっしゃると思われるのですけどー」
「てめっ……この、あっ、ちょ、逃げるなっ! フェレシーラ! いまから神殿の入口にいかなきゃなんだろ! 査察の人たち来てたらどうすんだよ!」
「そこはそれ。私、優等生で通っていますのでー。迷子の男の子の、道案内でもしてたってことにして見逃してもらいまーす」
突然その場を駆けだしたフェレシーラの後を、急ぎこちらも追う。
なぜにいきなりそんな展開になったのかは、まったくわからない。
しかし、わけがわからないからと動かずにいたところで、何も変わりはしないだろう。
『……ほーんとマジで、毎度毎度くだんねぇなあ。オマエラはよ。くだらなすぎて、いい加減眠気がしてきたぜ。くぁ……』
「そう思ってるんなら、お前も一々覗き見してんじゃねーよ……! お前、しばらく『眼』もカットな!」
『おうよおうよ。ま、なんかあったら起こせや。気が向いたら覗いてやるからよ』
心底興味なし、といった口振りのジングを余所に、俺は全速力でその場を駆けだす。
向かうはここではない、まだ見ぬ何処か。
「ほらほら、なにのんびりしてるの! このままぐるっと神殿周って皆に挨拶していくんだからね! ちゃーんとついてきなさいよー」
「……了解っ!」
そこへと向けて、俺たちは走り出していた。