226. 『特訓最終日』
「うーん……」
触媒の燃え滓が残る陣の上――即ち試合場のど真ん中にて、俺は合皮の手甲を握りしめては掌を開き、開いては握りしめていた。
「あら、誰かと思えば寝坊助さんじゃない」
「フェレシーラ」
「はぁい、フラム。今度はもうこんにちはね。ほーんと、あれだけ遅く起きて先に準備が終わってるなんて、男の子は楽でいいわよねぇ」
「うぐ……わるかったな、寝坊助のくせに楽してて」
右手に戦鎚を携え、左手には小盾といういつもの装いで姿を現した神殿従士の少女に、俺は決まりの悪さを覚えつつも返事を行う。
よりにもよっての、特訓最終日での朝寝坊。
影人討伐へ向けての最終調整、総決算。
そんな大事な日に、俺は呑気に爆睡してしまっていたのだ。
朝食の場ではセレンたちは「色々あって疲れていただろうから」と笑って済ませてくれていたのだが……
フェレシーラは「気が緩んでる」と言いながら、ホムラと一緒になって朝からこちらを突いてきていたのだ。
しかし、彼女がお冠なのも当然と言えば当然だ。
なにせ明日からは、このミストピア神殿を出立して貪竜湖に向かわねばならないのだ。
移動の手筈は依頼主側が段取りしてくれているとの話だったが、それでものんびりしている暇などない。
仮にも冒険者として登録を終えて、初となる依頼への挑戦。
フェレシーラと連れ立ちレゼノーヴァ公国の首都、公都アレイザを目指す。
その理由付けとして影人調査をお題目に行動していた故に、避けては通れなかった突然の依頼……影人討伐の発生。
不承不承ながらも受けざるを得なかったという形だが、戦い慣れたフェレシーラはともかくとして、魔物退治どころか荒事にも不慣れな俺には、少々荷が重いと思われる仕事。
それをこなす為の訓練の場として、俺たちはこのミストピア神殿を訪れていたのだ。
「まあ、全然予定通りってわけにはいかなかったけどなぁ」
「ん? ああ、特訓のスケジュールのこと? それはたしかにそうだけど。そこはジングの件もあったし、なにより私もダウンして迷惑かけちゃったから……」
独り言のつもりで漏らしたその一言に、今度はフェレシーラが決まりの悪そうな表情となる。
「ああ、いや、文句を言ってるわけじゃなくてさ。単に、色々あったなぁって思ってただけだよ。セレンさんにしても、パトリースにしても驚かされることばかりだったしさ」
「それは……たしかにそうね。でも私はそれ以上に、貴方に驚かされっぱなしだったけど」
「あー……」
瞳を伏せてそんなことを言ってきた彼女に、俺は指で頬を掻き返事を濁す。
この神殿に来てからの、五日間。
力試しに徹する筈だった、ミグ・イアンニ・ハンサとの模擬戦。
新たな術具の試運転を兼ねた、フェレシーラとの初試合。
突然の真剣勝負とフェレシーラの不調……そしてジングによる体の乗っ取り。
皆の力を借りての、ジングとの対話を経ての封印。
「なんていうか……思い返してみると、めちゃくちゃ濃い四日間だったな。いまでも細かいとこは処理しきれずに、わりと頭がパンクしてる感じするし。ジングのヤツのせいだろうけど、なーんかところどころ記憶が曖昧なんだよなぁ」
「そうねぇ。私も大抵のことでは驚かなくなってたつもりだけど。フラムと出会ってからは本当にびっくりの連続よ。たまには落ち着いて過ごしたい、っておもうぐらいにね」
「ありゃ、フェレシーラでもそう思うか。あーあ、俺もそろそろのんびり練習したいなぁ」
「のんびり練習って……ああ、もしかして馬車の?」
「そそ。馬車に積んだ術具にももっと慣れておきたいし、御者も一人でこなせるようになりたいからさ。そしたらフェレシーラだってアレイザまでの移動中も、ゆっくり出来るだろ?」
互い、特訓開始前のストレッチを行いつつ、とりとめのない会話に興じる俺たち。
突飛もないフリでもわりとすんなり返してもらえることが、密かに心地よい。
「あの揺れの中でゆっくりっていうのも中々難しいと思うけど……そうねえ。影人討伐の報酬金が出たら、奮発していいクッションでも買ってみる? ホムラと三人で寝っ転がれるぐらいの、おっきくてふかふかのやつ」
「お! いいなそれ! ……って、さすがにお前への返済に充てるのが先じゃないか? 上手くいけば折角初めての稼ぎになるんだし」
「もう……そこは始めの貴方の稼ぎだからこそ、でしょ。わかってないわねぇ、ほんと」
「んん? まあ、確かに借金返済よりは買い物に使うほうが気持ち良くはあるけど……まあ、クッション代になればお前にも得はあるし、そっちがいいか。ありがとうな、フェレシーラ。気を使ってくれて」
「はいはい。もう、そういうことでいいわよ。そっちの方がフラムらしいといえばフラムらしいものね」
こちらの返答に、何故だかフェレシーラが苦笑してくる。
俺としては借りは返しておかねば気が済まないからこその判断なのだが、彼女が喜ぶ方を選びたいという気持ちが上回っただけの話だ。
なあ、借りを作ってしまったという話なら、セレンとパトリースを筆頭に、ミストピア所属の聖伐教団員には大小作りまくりなんで、限がないともいえるんだろうけど。
いつか皆にしっかりとお返しをしたい、というのは背伸びし過ぎなんだろうか。
「ところで……さっきからずっと手甲を気にしているみたいだけど。なにか不具合でもあったのかしら?」
「あ、いや……不具合っていうかさ。『探知』の方は別段変わらなかったんだけど。実は不定術法式を練っていて、いつもより調子がいい感じがしててさ」
「へえ。いいことじゃない。コツが掴めてきた、って感じ?」
「かなぁ。まあ、それ自体はお前のいうとおりに、嬉しい誤算ってところなんだけど」
「けど?」
「うん。ちょっと試しにやってみたんだけど」
別段先を急かすでもなく問うてきた少女に、俺は微かな溜息と共に、右手を眼前に翳す。
フェレシーラの面持ちに、緊張が走るのがわかった。
俺のアトマが膨れ上がる様が、彼女の『眼』には映るからだ。
「原初の灯、火の源流……」
その眼差しを確認して、呪文の詠唱を開始する。
右手は頭上、ぽっかりと開いたままとなっていた試合場から覗く空へと狙いを定める。
左手は空けたまま、不定術の為の霊銀盤には暇を与えてある。
掲げた掌に熱が灯る。
術法式の構築と展開が成されてゆき――
「!」
フェレシーラが息を呑み見守る中、天へと『熱線』が放たれた。
ただし、直径1㎝にも満たない、軌道も超へろへろのヤツが、だが……
「……という、次第でして。調子が良さそうだとおもって普通に魔術を使ってみようとおもったら、このザマでさ」
勿体つけたわりにやはりめちゃくちゃショボイ結果となり、思わず無になってしまう俺。
すると、そこにフェレシーラがズンズンと進み出てきた。
え、なに。
いきなりなんですか、フェレシーラさん。
めっちゃ真剣な顔して……もしかして許可なく普通に『熱線』を撃ったの、不味かったか……!?
そういえば彼女には『隠者の森』を出るときに、強引に式を練るのは危険だと釘を刺されていたんだった。
マルゼスさんが無理に俺に術法を使わせなかったのには、きっと何かしらの理由がある筈だからと……それを忘れて、つい調子が良さそうだからとまた俺は、
「すごい!」
「……へ?」
てっきり叱られる、苦言を呈されるとばかり思い己の所業を後悔しかけたところに、手をぐっと握られた。
「すごいわ、フラム……! すごいじゃない! 貴方、術具なしでは術法が使えなかったのに……すごいわ! いま、出てたわよ!」
「お、おう……」
喜色満面といった様子でブンブンとこちらの手を振り回してくるフェレシーラに、俺はついついそっけない声で返してしまう。
しまうも……それでようやく、自分が曲がりなりにも魔術を扱えた、という実感が心の内に湧き上がってきた。
「フェレシーラからみても、発動してたか? いまの俺の、魔術……の、つもりだったんだけど」
「してたしてた!」
自信無さげに問い返すと、嬉しさいっぱいという笑みで彼女は認めてくれた。
どうしよう。
うれしい。
めっちゃ嬉しい。
自分では半端どころではない出来映えで、これでは何の役にも立てない、何の意味もない、と勝手に落ち込んでいたのだが……
「ちゃんと飛んでったもの! 赤いのが、びゅーって、へろへろって!」
「ちょ――へろへろは余計だろ!? あと、びゅーって言うな! 弱そうだろ!?」
「いやそこは実際へろへろでよわそうだったし。たぶんだけど、私に直接浴びせても、ちょっとあったかいかなー、ぬるま湯程度かなー、てなるとおもうし」
「ぬる……!?」
平然と言い放たれた少女の言葉に、俺は絶句する。
どうしよう。
くやしい。
めっちゃくやしいぞ、コイツ……!
「うん……そうね。いきなり撃ったから驚いちゃったけど。その感じだと、制御の手間と消耗の問題はあっても、不定術を使った方がどう考えても威力は上よね。うーん、なんか喜んで損しちゃった」
「それはこっちのセリフだ! お前ほんと、ほんっとお前なぁ……!」
「やーん、怒んないでくださーい。へろへろ魔術士のフラムくーん」
「ちょ、逃げるな! 前から思ってたけど、たまには俺にも殴らせろ! てか、今日こそ一発、ぶん殴ってやるからな!」
「出来るもんならやってみなさいよーだ。ほーらほら、こっちこっちー」
「むきー!」
特訓開始前の、軽い準備運動。
『ケッ……呑気なモンだな、ほんとオメェらはよ』
お祝い代わりの追っかけっこが始まる中、腕輪を通してそんな悪態がやってくる。
そういやキミもいましたね。
なんか流れで完全に忘れてたけど。
これってやっぱりアレなんだろうか。
こいつが俺の精神領域から追い出されたことが、俺の術法的不能に絡んでいたとか、そういうヤツで……
だとしたら、このままいけば俺もへろへろじゃないの、出せるようになるかもしんないってことなのだろうか。
いや、きっとそうに違いない。
これまでずっと頑張ってきたんだし、それぐらいいけてもおかしくない筈だ。
フェレシーラだって、喜んでくれた。
俺が一人前になりさえすれば、きっともっと喜んでくれるだろう。
あの笑顔を、もう一度見てみたかった。
こうして二人で馬鹿をやりながら、ずっと走り回っていたかった。
……もしかしたら、また『フェレスを名乗る彼女』にもあえるかもしれない。
そのためにも、特訓最終日――今日も頑張っていくしかないな!