224. まずは一段落
まずは一旦、翔玉石の腕輪にジングの魂が移し終えられたことを確認した、その後に――
「あのー……ちょっと質問というか、疑問があるのですが。いいでしょうか?」
パトリースが、やや遠慮がちに声をあげてきた。
それに対して俺とフェレシーラが、セレンへと目配せを行う。
この場をまとめるのは、やはりこの黒衣の女史こそが相応しいという判断だ。
その意志にセレンが頷きで応えてきた。
「ふむ。疑問とはなにかな、パトリース嬢」
「ええと。いまの状態って、フラム師匠の……精神領域でしたっけ? そこからこのジングさんが切り離されていて。もう体の乗っ取りは無理なんですよね?」
「ああ、彼の力は左右の腕輪に分けてあるからね。具体的にいうと術法式の構築に必須となる『起』が右側、『承』は左側と分離済みだ。なので、もう乗っ取りに必要な『制約』の使用は不可能、という状態だよ」
「……と、いうことは」
セレンの説明を受けて、パトリースが「びしっ」と俺の手首に嵌った腕輪を指差してきた。
それに釣られて、皆の視線がそこに集まる。
「……あ?」
相も変わらずガラの悪い声をあげてきたのは、腕輪の住人ジングくん。
そこにパトリースがサラッと言葉を続けてきた。
「ぶっちゃけもう、この腕輪、壊していいのでは?」
「ファ!?」
考えようによっては至極もっともなその指摘に、腕輪から素っ頓狂な悲鳴があがる。
「ちょ、おまっ……そこの小娘ぃ! ぬぅあぅに、いきな――モガッ!?」
「ちょっと黙ってろ。一々お前が割って入ってくると話が進まないからさ」
尚も声を荒げてこようとしたジングの口を、俺は片手で塞ぐ。
「うん、それは私も思ったのだけどね」
すると今度は、フェレシーラがパトリースの疑問に答えてきた。
「フラムの話では、どうも彼とジングの魂って一蓮托生って奴らしいの」
「一蓮托生って……え? それって、片方がダメになったら共倒れしちゃうってことですか?」
「ええ。ジングはそういってるし、フラムにも実感というか、精神領域でやり合って経験済みたい。だから今ここで腕輪を破壊して、ジングの魂が消滅でもしようものなら……最悪共倒れになる可能性があるの」
「そんな……あっ! す、すみません、師匠! そうとは知らず……あわわ」
「いいよ、パトリース。俺だって最初、ジングの魂を切り離すって計画を聞いたときは、成功したらそうしようと思ってたしさ。当然の疑問だよ」
ジングの魂が滅べば、フラム・アルバレットの魂も同じ末路を辿りかねない。
その事実を前にして慌てふためくパトリースを、俺は可能な限り平静な口調でもってフォローした。
「すまないね、二人とも。色々とばたついていて、パトリース嬢への説明を失念してしまっていた。私からも、このとおりだ」
「止してくださいよ、セレンさんまで。こっちは二人に礼を言わないといけない立場なんですから。顔、上げてもらわないと困りますって」
「そうそう。こうして乗っ取りが出来なくなっただけでも御の字なんだから。あらためて礼を言わせてもらいます」
「あ、いえ、そんな……こちらこそ、色々と勉強になりました……!」
互い円卓で頭を垂れて、礼を述べあう。
腕輪を遠くにおいたり、あまり強い封印を施すと俺に悪影響があるやもしれぬとの懸念もあり、こうして肌身離さず身に付けておくことになったとはいえ……
一先ずは、乗っ取りに関しては一段落、といったところだった。
「でも……そうなるとこれから先、ずっと師匠はその腕輪を守っていかないといけない、ってことなんですか? それってかなりの負担だと思うのですが……」
「そういうことになるね。しかし私の見立てでは、時間が解決してくれる筈だよ」
「時間が、ですか?」
「ああ。調べた限りではだが、二人の魂を結び付けていたのは術法式の効果そのものではなく、副次的なものとみてまず間違いない。式の効果は二つ。『魂の移動』と『制約』。これが解呪されたいま、魂の結びつきは緩やかに解消されていく可能性が高い……という予測だね」
そこまで言って「もちろん、絶対ではないが」と継ぎつつも、セレンは言葉を続けてきた。
「腕輪にフラムくんの意志でジングとのやり取りが出来るよう細工を施したのも、一種のガス抜きのようなものと思ってもらえばいい。『声』を用いたやり取りは、結び付きの継続に繋がるからね。とはいえ、この分では喧しさが勝ってほぼ黙らせておくことになるとは思うが……まあ、そこはなんとか上手くやり給え」
「たしかに。この五月蠅さは野放しは無理そうね」
一通りの説明を終えたセレンに、フェレシーラがやれやれといった風に溜息を溢すも、その表情は嬉しげだ。
これようやく人心地つくことが出来る、といったところだろう。
勿論、問題がすべて片付いたわけではない。
だがしかし、延々と神経をとがらせていなければいけない状態からは、なんとか脱することが出来たのだ。
その一点だけでも、大きな収穫だ。
覗き見問題も、こちらがジングの目を開いてやらなければ済む話だしな。
あんまり閉じ込めていても、『声』が五月蠅いだろうから偶には外の世界も見せてやる必要はあるかもしれないが。
「なにはともあれ、上手くいって良かったよ。正直もっと手間取るか、最悪は式の解除まで持っていけずに終わっていたかもしれないからね」
「ほんとですね。というか……こんなレアは術法式、よくこんな短時間で解析出来ましたね。しかもこれって多分、魂を移動させる式を利用してこの腕輪にジングを閉じ込めていますよね? 初見の式なのに、離れ業どころじゃない気がするんですけど」
「ああ……そこはね。詳しいことは伏せさせてもらうが……まあ、色々とあるのだよ」
ん?
なんだろう、このセレンの反応。
彼女にしては珍しく、妙に濁した感じというか……バツが悪そうな口振りに思える。
そういえば、この翔玉石の腕輪を提供してきたことについても、『罪滅ぼし』だとかなんとか言っていた気がする。
それに、ジングがカラスなる人物について言及してきたときも、すぐに師匠であるバーゼルの名前を出してきたりと、どうにも腑に落ちない点が多い。
多い、のだが……
しかしいまここでそれを問い詰めても、彼女を困らせるだけではっきりとした回答が得られないであろうことは目にみえている。
そもそもこちらに話して問題のない内容であれば、これまで通りにしっかりと説明してくれている筈だ。
セレンにはセレンの事情と考えがある。
これだけ世話になっておいて、そこを無視するなど道理に反している。
一度だけ強く頭を振って自分を納得させると、俺は円卓の席を立った。
そこにフェレシーラが倣うようにしてついてくる。
「セレンさん。パトリース。今回は本当にお世話になりました。ありがとうございます。いますぐには難しいですが、この礼は必ず返させていただきます」
「私からも、ありがとうございます」
二人して礼を述べて、眠りについていたホムラを抱き上げる。
こちらに抗議するかのように腕輪がブルブルと震えまくる中、会合は無事終了となった。