221. 阿呆鳥、目覚める
パトリースの手により、白樫の箱の蓋が開けられてゆく。
「こちらが、いまセレン様が説明してくださった物です」
コトン、コトン、という音を立てて、円卓の上に細めの腕輪が二つ並べられた。
光沢のない黒い腕輪だ。
Cの字を象ったようなそれは、俺が見たことのない材質で造られた代物だった。
「一応、腕輪そのもの耐久性と防具との兼ね合いを見て選んでみたが……まずは付けてみてくれ給え。取り回しが悪いようなら、手甲側を選び直すなりしないといけないからね」
「わかりました」
セレンの指示に従い、俺は円卓の上に置かれた腕輪へと手を伸ばす。
持ってみたところ、重さはそんなにない。
感触は堅い。
だが、金属製でないことはすぐにわかった。
表面を撫でてみると、ツルリとして僅かな温かみが感じられた。
興味を惹かれて内側を中指の腹の部分でなぞってみると、外側とは異なり、若干の弾力があることが確認できた。
なんというか、妙に生物的な印象を与えてくる腕輪だった。
アトマ文字の類が刻まれていないところをみるに、術具の類ではないのだろう。
「歳を経た大怪鳥……最古種階級の雌の体内で形成された、翔玉石と呼ばれる結晶素材を加工したものだ。食した物によって色合いは様々に変わると言われているが、私が保管していた品の中でも最上質の物を使ってある」
「最古種階級の大怪鳥の、しかも結晶素材ですか? それはまた……」
普段と変わらぬ口調で、しかしとんでもないことを口にしたセレンに、俺は思わず後を継ぐ言葉を失ってしまう、
大怪鳥。
峻険な山々や絶海の孤島に棲まうと言われる、超大型の猛禽類。
飛び抜けた飛翔能力を持つことで知られており、以前フェレシーラが『隠者の森』でグリフォンの雄を見かけた際には、この魔獣と見間違えていたりもした。
行動範囲の広さでも知られる大怪鳥だが、その食性も広く、口に出来るものであれば何でも食べようとするとも言われている。
故に、というべきなのだろうか。
消化器官も発達しており、毒物への耐性も非常に高く、鳥類特有の砂肝でもって食したものをなんでも削り砕いてしまうらしい。
翔玉石とは、大怪鳥が砂肝で砕いた多量のアトマを含む食物が体内で集積され、結晶化した物だ。
一説によると、大怪鳥はこの翔玉石の力を利用して膨大な風のアトマを操り、規格外の飛翔能力を得ている、とのことなのだが……
「また、エグい物を引っ張り出してきましたね。これって霊銀よりも遥かに値が張る代物ですよね? 最古種階級ってことは、百年を越えて生きた個体のものでしょうし」
「値段に関しては聞かないほうが心臓にいいと思うよ。まあこれは、何と言うべきかな……罪滅ぼしのような物だと思ってくれると助かる。悪いが今はそれ以外、説明のしようがない」
「罪滅ぼし……」
こちらがセレンの回答の一部を反芻すると、彼女は無言で頷きのみを返してきた。
どうにも、詳しいことを聞ける雰囲気ではない。
何かしらの事情があるのだろうが、正直なぜここまでの品を、というか……
この人、どれだけの稀少素材を個人で保管しているのだろうか?
流石にマルゼスさんが塔に溜め込んでいた物ほどではなかろうと思っていたが、今回のコレでそれの予想も一気に怪しくなってきた感がある。
だが、いまそれをこの場で気にしたところで話は進まない。
いま優先すべきは『ジング対策』についてであり、この翔玉石の腕輪はその為の物なのだ。
「わかりました、セレンさん。今は何も聞きません。でも、話せる時が来たら教えてもらえると嬉しかったです」
それだけを口にして、俺は腕輪を両の手首に装着してゆく。
思った以上に弾性に富む素材らしく、腕輪はすんなりと嵌ってくれた。
幅もそこまでないので手甲との兼ね合いも悪くない。
この分なら、リストガードとしても機能してくれそうだ。
問題はこれを防具として扱って良いのか、という点にあったが。
「幾つか他の品も『器』として試してみたがね。長期間、耐えきれそうなものはその腕輪だけだったよ。ちなみにそんな見た目だが、ちょっとやそっとで壊れるような代物ではない‥‥というか、再生能力があるからね。大怪鳥の翔玉石には」
「うお、マジですか……もしかして、加工してもまだ生きてる感じなんですかね。なんか微妙に温かいし」
「おそらく、蓄積されたアトマが完全に消え去らない限りそうなのだろうね。もっとも結晶素材は、周囲のアトマを引き寄せる性質を持つ故、自然消滅することはほぼ有り得ないが」
おおう、そうなんだ。
大怪鳥が翔玉石を作り出すことは知っていても、結晶素材については知識がなかったから、そこは初耳だ。
しかしそういうことであれば、耐久面に関してはそこまで気を回す必要もないだろう。
「うん……取り外しも簡単だし、問題なさそうですね。ありがとうございます、セレンさん」
「礼を言うにはまだ早いよ。肝心なのはここからだからね」
「はい。では……やってみます」
セレンの指摘に首を縦に振りつつ、俺は真剣な面持ちで円卓を囲んでいたフェレシーラとパトリース、そしてホムラへと視線を巡らせて――
うん。
ホムラは、寝てた。
それも卓上で身を丸めて、ぐっすりスヤスヤと寝息を立てて。
「コイツ、案の定スタミナ切れ起こしやがったか……部屋で寝ていりゃいいものを……」
「そんなこと言わないの。ホムラだけ一人にしてたら可哀想でしょ?」
「そうですよ、師匠。チビ助、きっとお二人が恋しくて仕方がなかったんですよ」
「うむ。ここまで一緒させておいて除け者は良くないぞ、フラムくん」
「ぅぐ……!? あ、いや――それでは早速、始めようとおもいます……!」
ついつい内心を吐露してしまったところに、女性陣からの総攻撃が飛んできた。
というか、考えてみれば……
俺以外はホムラ含めて全員が女性だな、この面子って。
師匠とずっと生活してきたから、意識したこともなかったけど、こうしてみるとなんだか多勢に無勢な感じがしてならない。
「逃げたわね」
「逃げましたね」
「逃げたね」
「いやだから、やめてくださいよそういうの……! い、いい加減始めますからね! 集中出来ないんで、少し静かにしててくださいっ!」
突然の一致団結を図ってきた彼女らを前にして、俺は一旦呼吸を落ち着けてゆく。
こいつらは野菜、再びである。
集中の甲斐あってか、すぐに全員が口を閉ざして俺を――
否。
正確には『俺が身に付けていた腕輪』に注目してきた。
「おい……聞こえてるか、阿呆鳥」
こちらの呼びかけには一瞬の間をおいて、
「――ぐぉら、こんのぅ、クッソがっきゃああああああああああ鳴呼ぁああぁあぁぁっ!」
夜も更けようかという刻限を迎えたミーティングルームに、アホ丸出しの大絶叫が響き渡った。
「五月蠅いわね」
「五月蠅いですね」
「五月蠅いね」
うん。
それには俺も激しく同意です。
というかホムラが起きちゃっただろ、阿呆ジング。
あ、でももしかしてこれで、野郎が一人増えた……のか?
果たしてコイツを男扱いしていいのか、いまいちよくわかんないけど!