215. 〖顕現〗
なんにせよ、こちらが返せる答えは一つしかなさそうだった。
「約束するよ、フェレシーラ」
わりと危険な距離にまで達していた少女の、その青い瞳を見つめ返しながら、
「俺も最期の最期まで諦めない。お前が俺を止めてくれることを支えにはしても、投げ出す理由にはしない。そう、約束する」
俺はフェレシーラにはっきりと宣言を行っていた。
「本当ですか?」
だがしかし、彼女はこちらの言葉をすんなりとは受け止めてはこなかった。
とはいえそんなフェレシーラの反応も当然だ。
これまで散々俺に振り回されてきた彼女からすれば、口約束ほど信用はならない、といった感もある筈だ。
初めてコイツと一緒に『隠者の森』で影人の捜索をしたときに、事前の取り決めを破って突然走り出したりしてたしな、俺。
未熟なくせに……いや、未熟ゆえに暴走しがちな俺の姿は、フェレシーラからすれば「危なっかしくて気が気じゃない」といったところだろう。
思い返してみれば我ながら相当酷いものがある。
「本当です。今度こそ、約束を破って勝手な真似をしたりしません。信じてください」
しかしながら、この場は口先に頼るしかない。
なんとかフェレシーラを納得させねば、これからの展望も見込めないし、なにより中途半端を嫌う彼女に対して失礼だ。
「ふぅん……」
一応なんとか怯まずに寝台の上に留まっていると、フェレシーラがまたもこちらをしげしげと眺めてきた。
まるで目下の者を見定めてくるかのようなその仕草に、俺は微かな違和感を抱いてしまう。
白い法衣姿も相俟って、こんな場所だというのに厳粛な雰囲気すら漂っている。
まあ実際にフェレシーラの方が年上なのだし、下手をすれば彼女より4つも年下なんだけども。
それにしても今、俺の目の前にいる少女が身に纏った雰囲気は、普段とは異なる気がしてならなかった。
外向きともいえる勝ち気で頼りになる姉御肌のフェレシーラ。
そして、つい最近になって二人だけでいるときによく姿を見せてくるようになったフェレシーラ。
そのどちらとも違う、なんとも形容しがたい、ある種の威圧感を伴う風格を備えた少女が、目の前にいる。
これでは、まるで御伽話にでてくる――
「誓えますか」
「……へ?」
「聞こえなかったのですか? 誓えるか、と聞いているのです。今この場で、貴方の名をかけてこの私に誓うことが出来るのか、と聞いているのです。それだけ答えることを赦します」
「許しますって……なにいきなりお前、そんなおっかない言い方」
「お前ではありません。私のことはフェリシ――んんっ」
会話の最中、彼女は何故だか突然「コホン」と咳払いを打ち、後を続けてきた。
「いまはフェレスと呼ぶことを赦します。それで……答えはまだですか。誓えるのか、誓えないのか。私は貴方にそう聞いているのです」
「そ、そう言われてもな……あ、いや、フェ、フェレスさん。だから顔が近いんだって……!」
「さん付けは赦しません。フェレスと呼ぶように。それと動いてもなりません」
有無と言わさぬ口調と眼差しで、『フェレス』がそう命じてきた。
正直言って、わけがわからない状況だ。
ホムラだって、さっきからずっと首を傾げて目をパチパチと瞬かせながら、俺と彼女を交互に見つめてきている。
勿論、こちらとしても彼女に対して「今後、如何なる状況でもジングに支配されることに全力で抵抗する」ということを約束することは、やぶさかではない。
しかしどうしても気になるのは、この突然姿を現したともいえる『フェレス』の雰囲気と、振る舞いようだ。
「……ワガママお姫様」
「は? いま、なにか仰りましたか? よく聞こえなかったのですが」
「嘘こけ、こんな近くで――あ、いえ。なんでも。申し訳ございませんでした、フェレス姫」
「だから……いまはフェレスと呼べと、なんどいえばっ」
「あのなぁ……だからは、こっちのセリフだ! さっきから近いんだって! あ、こらっ、服を引っ張るな! シーツの上をにじり寄ってくるな!」
ボソリとした俺の呟きを逃さず食ってかかってきた『フェレス』に、俺は必死で抵抗する。
マジでどうかしてるぞ、今日のコイツ。
最初はちょっとしたその場のノリ、ちょっとしたおふざけ。
御伽話にでてくるような、『ワガママお姫様とそれに傅く騎士』だか従僕だかを、こちらに演じさせに来ているのかと思いもしたが……
どうにも、悪ふざけにしては様子がおかしい。
というかコイツ、若干というか……かなり子供に戻ってないか?
幼児退行とまではいかないが、相当幼い雰囲気がある。
言葉遣いこそそれっぽいが、小さな子供がそこまで意味もわからず色々と口にしてきているような……なんともいえない、チグハグさがある。
しかし如何なる理由、どこかで彼女がこうなる切っ掛けがどこかにあったにせよ、だ。
いまはこの場を治めておくより、他に選択肢はないだろう。
ぶっちゃけこの状態で、セレンやパトリースがここに戻ってきたら、カオスどころでは済まない状況に突入するのは目に見えている。
勿論、二人が姿を現すことでこの『フェレス』が引っ込んでくれる可能性は十分にある。
あるが、それにしたって二人して寝台の上でくっついてるのは十分に不味い。
というか、気まずい。
めちゃくちゃ気まずくなった上に、言い訳をしまくる羽目に陥るのが目に見えている。
なのでここは『フェレス』に合わせて場を治めておくべきだろう。
わけもわからず、というのは正直いってあまりやりたくはないが、今回に限ってはそんな贅沢をいっている余裕もない。
覚悟を決めて、俺は『フェレス』に付き合うことにした。
「わかりました。誓います。フラム・アルバレットは、フェレシ――いえ、フェレス・シェットフレンに」
「待ちなさい。その名はいりません。フェレスとだけ、貴方は呼べばいいのです」
「せ、設定が妙に細かいな……んんっ。では、あらためて……」
すぅ、と大きく息を吸い込み、俺は宣言に及んだ。
「私フラム・アルバレットは、親愛なるフェレスに誓います。今後如何なる状況下にあったとしても……例え魔人にこの身を奪われようとも。必ず、貴方の元へ馳せ参じると誓います」
じっと、青い瞳がこちらを見つめてきていた。
そこに感情の色はない。
ただ、己に誓いを立てた相手を見定めんとする者の眼差しだけがそこにある。
負けじと俺もそれを見つめ返す。
なんとなく、目を逸らしたら負けな気がしたからだ。
それ以上の理由はない。
考えての行動ではなかった。
気づけば、亜麻色の煌めきすら視界から消え失せており――
「ん――」
唐突に、それは訪れた。
「善いでしょう。貴方の誓い、しかと承りました」
その言葉と共に『フェレス』の姿がこちらから遠ざかる。
「努々、忘るることなきよう。そして、今日のことは忘れるのです」
そう言って彼女は嬉しげに、しかし寂しげに微笑んできた。
おそらくは、莫迦のようにぽかんと口をあけて、全く動けずにいた俺に対して。
「それではまたいつの日か。どうかそのときまでご壮健でありますよう。私の初めてで、きっと最後の騎士さま」
そんなわけのわからぬことを言い放ち、彼女はその場より姿を消したのだった。
俺の右頬へと、微かに、あまく柔らかな感触だけを残して……