212. 『送還』
パチリと、目が覚めた。
やや遠くには、灰色の天井。
それで自分が仰向けに寝かされているのがわかった。
「こ……は……」
鮮明な意識に引き摺られるようにして口を開くが、そこから漏れ出でたのは掠れた声。
遅れて、途轍もない疲労感が体を包み込んでいるのを自覚した。
「フラム!」
そこに叫びにも等しい声がやってきた。
間違いない。
これはフェレシーラの――
「こぐぇ!?」
「もう! もう!」
気づいたときには、上半身に思い切り抱きつかれていた。
そんでもってそこからグイグイゆっさゆっさと思い切りシェイクされる。
いつの間にやら堅皮の肩当てを始めとした防具の類は脱がされており、残されたシャツ一枚が千切れんばかりに引っ張られていた。
そうした行為に及んできたのは、他でもない。
「なんで貴方はいつも……もう! 心配したんだから! 心配したんですからね! もう!」
青い瞳をいっぱいに見開きこちらの鼻先にまで迫ってきていた、フェレシーラだった。
というか――
「フェ、フェレ……ちょ、くるしっ……おまっ、むね……っ!」
いまだ揺れ続ける視界にて可能な限りの状況把握に及んでみると、真っ先に、彼女が白い法衣姿となっていることが確認出来た。
「それぐらいにしておいてやり給え、フェレシーラ嬢。手当は済んでいるとはいえ、彼も少なくない量の血を失ったばかりだ。まあ、フラムくんにとってはご褒美という奴なのかも知れんが……一応、大事をとっておく必要があるからね」
フェレシーラになすがままにされていると、落ち着き払った女性の声がやってきた。
セレンだ。
こちらも間違えようがない。
なんとか首を巡らせると、フェレシーラの隣に控える黒衣の女史の姿が視界に映り込んできた。
そうしたところで、首元にかかっていた亜麻色の髪がふわりと揺れた。
「あ――ご、ごめんなさい、私、取り乱してしまって……」
「いや、いいよ。気持ちはわからんでもない。今回の案に関しては、君は最後まで反対し続けていたからね。心配も喜びも当然だ」
体を包み込んでいた温もりが離れていく中、「さて」とセレンが呟いてくる。
「状況はわかるかな、フラムくん」
「……ええと。試合場に仕込んだ陣術の効果で、ジングを抑え込んで……その後は、応急処置をしてもらって、そのまま診療所送り……ってとこですかね。この分だと……」
「うむ。呂律もおかしくはないし、意識もはっきりとしているようだね。そのままもう少し、休んでおくと善い。私は少しパトリース嬢と作業を詰めておくよ。互いの進捗についてはそれからにしようか」
「わかりました」
微かな安堵の表情を見せてきたセレンに、俺は寝台の上より頷きを返す。
その様子から察するに、こちらの試みは上手くいったらしい。
こうして気怠さに身を任せて呑気に毛布にくるまり、寝転がっていられる。
それ自体が、今回の作戦が成功した証だった。
「ん……?」
診療所から立ち去るセレンの背中をぼうっと眺めていると、足先のほう、毛布の裾がボコンと盛り上がってゆくのが見えた。
「お? おおおぉ……?」
高さ30㎝ほどの謎の物体。
それがどんどんと、足から腰、腰から胸へと駆け上がってくる。
「ピィ♪」
「おぉ!?」
スポン! と元気よく毛布のトンネルをくぐり抜けてきたのは、御存じ皆のアイドル、ホムラさん。
「また今度は、随分とやんちゃなご登場だな。元気そうでなによりだ」
「なにをニコニコとされているのですか。人の気もしらないで……」
ふさふさの羽根ともふもふのボディーを胸元で堪能していると、フェレシーラが呆れ半分といった口振りで丸椅子の上で溜息をついてきた。
「わるかった、フェレシーラ」
「べつに文句はありません。後手に回っていい相手ではなかったでしょうし。上手くいったのであれば、私があれこれと言ったのも無用なことでしたから」
「いや、嬉しかったよ。ありがとう」
彼女のいうあれこれとは、ジングに対する一連の対抗策に関する苦言を指している。
実際、アイツを追い詰めるのに俺が失血状態に入るっていう部分には、最後の最後まで反対されたしな。
勿論、それを選択する理由は他にもあったので、最終的には「俺が危険な状態に陥ればフェレシーラが神術での即時回復を行う」って線で話は纏まっていたのだが。
それにしたって、目の前で人が倒れそうになっていたのだ。
フェレシーラからしてみれば気が気でなかっただろうし、相当な我慢を強いていた筈だ。
「だからお前もさ。ほら」
「……なんですか、その腕は」
こちらに向けた表情の、残り半分。
明らかに拗ねた様子の少女へと向けて、俺は上半身を起こして右腕を大きく広げてみせていた。
ちなみに左腕は既にホムラに占拠されてしまっている。
元気一杯なのは微笑ましいけど、前足の爪が微妙に喰いこんでちょっと痛いのは内緒にしておこう。
後ろ足と違って自由に出し入れ出来ないぽいし、そこは我慢。
「本当に、人の気も知らないで……」
そんなことを考えていると、溜息をつき終えたフェレシーラが丸椅子から寝台の淵へと移ってきた。
「失礼します」
断りの言葉と共に、こちらの両腕が塞がる。
「心配かけたな、フェレシーラ」
「もう慣れましたよ。本当に……」
二人と一匹、そうして暫くの間だけ身を寄せあう。
そろそろ陽も傾き始める頃合いだろうか。
季節外れの肌寒さをおぼえて、俺は腕の中のぬくもりに頬を寄せた。
「ここに来る前にさ。フレンと一緒に、馬車で街道、走ってたろ」
「……ええ」
「あれさ。気持ちよかったよな。すっごい解放感があって、すっごい楽しかったよな」
「はい。覚えてます。私もとても……すっごく気持ち良かったです」
「うん」
セブの町からミストピアに立ち寄る、その道中。
術具馬車にて風と緑のど真ん中を駆け抜けた光景を、俺たちは語り合っていた。
自分でも何故、そんなことを喋り始めたのかはわからない。
ただ皆で微睡んでいる内に、ふとその時のことを思い出してしまっていた。
「また皆で、ああやって旅しような」
「……はい」
「レゼノーヴァを周り終えたらさ。次はメタルカか、ラ・ギオのどっちかで……船が使えるなら、北西のノーザグランもいいな。ランスリィはちょっと難しそうだけど、そっちも興味あるし」
「はい」
突飛もなく、取り留めもない俺の話にも、フェレシーラはずっと耳を傾けていてくれた。
半分は本心で、もう半分は嘘。
そんな話に、彼女は嫌な顔一つせずに根気よく付き合ってくれた。
ジングとの対話を経て、またこうして自分の体に戻ってきて……俺の身を案じて飛びついてきたフェレシーラの姿を目にした瞬間に。
俺は自分が本当に求めていたものに気づかされていた。
レゼノーヴァを周り終えてから。
そんな気持ちは、まったくなかった。
まったくの嘘。取り繕った言葉だった。
赦されることなら、いますぐにでも、彼女を連れてどこか遠くに逃げ出したかった。
それが偽らざる俺の気持ち、どうしようもない本音であり……いまの望みだった。
だが、それよりも先に俺には彼女に言わねばならないことがあった。
例えジングのいうように己が望むように生きるとしても……すべては、そこからだった。
「フェレシーラ」
その名を口に昇らせると、我知らず、少女の細い肩を抱きしめる掌に力が籠っていた。
「聞いて欲しい話があるんだ」