208. 真っ向勝負
辺りに闇が満ちていた。
己を中心に広がる、無明の闇だ。
「ここって……」
一切の光をもたぬそれを前に、俺は呟く。
確かな感覚があった。
先を見通すことも叶わぬ闇が、何処かで途切れている。
その中心に自分が立っている。
うん。
脚、あるなこれ。
なんかバンバン地面踏めてるし。
瞼もパチパチ瞬けてる感じがするし、掌の感触もある。
「左手は……痛くないか。ふーむ……」
声も出せれば、平衡感覚もある。
むしろ思考に至っては非常にクリアでハッキリとしている。
それを確認して、俺は右足を一歩前へと踏み出した。
「お」
つい、声が出た。
進める。
釣られるようにして左足、そしてまた右足……と繰り返す。
「歩けては……いるな。だけど――」
進んではいる。
しかし、『自分がこの闇の中心にいる』という奇妙なまでの確信……知覚の延長とでも呼ぶべき感覚に、変化はなかった。
まるでこちらの動きに併せて、周囲の闇がついてまわってきているような、不思議な感覚だ。
小走りになってみたところで、それは変わらない。
この分では全力疾走に及んでみたところで、徒労に終わるだろう。
その結果には、別段焦りは感じない。
いつだか感じたことのある闇とは違い、重苦しさにも息苦しさにも欠けている。
もっとストレートにいえば、この闇は俺よりも弱く、力のない……『付属物』のような印象すらある。
そのことを、面白いと感じる自分が――フラム・アルバレットがここにいた。
「ジング!」
その名を口に辺りを見回す。
すると、闇の一部から微かに揺らめく気配がやってきた。
「ジング! いるんだろ、そこに! 隠れてないで、出てこい! お前と話したいことがある、ジング!」
「……うっせえよ。別に隠れちゃいねえよ」
感覚としては、右側前方……5mほど先、といったところか。
周囲のそれより濃い闇が、いつの間にかそこにいた。
「お、元気そうだな。なあ、ここ明るく出来るか? もうちょい近くで話したいから、出来たら頼む」
「はぁ? なんで俺様がそんなことしなくちゃなんねーんだよ」
こちらの発した声に、如何にも面倒くさい、といった感のある声が返されてくる。
頭の中に直接響く『声』ではない。
「お、今度のお願いは叶えてはこないんだな。てことは……ここだと『制約』の術は上手く使えないか、使うメリットがないってことか。あ、俺の|体がむこうで瀕死になって、その影響でお前も上手く動けないって可能性もあるにはあるか」
その憶測には、忌々しげな舌打ちが一つだけ。
不審に思い半歩だけ前に進んでみると、不意に真っ白いものが視界に飛び込んできた。
「おわっ!?」
思ってもみなかった出来事に思わず後ろに飛び退くも、状況は変わらない。
辺りは白いままだ。
そこで俺はようやく理解する。
白く見えていたのは眩い光だったのだと、俺はそこで理解した。。
そして、辺りを覆っていた闇にも変化があった。
闇が、周囲を包み込む形に変じている。
突如現れた半球状の白い光に満ちた空間を、包み込むようにして闇が辺りを囲っている。
「なるほどな。この空間がお前の精神領域ってわけだな。だとすると……いままでこうして、闇で覆い隠して俺の中に潜んでいたってところか。ていうかいまのもしかして、アトマじゃなくて――」
「はぁ……マジで次から次にうっせえな、お前。カラスの野郎が可愛く思えてくるぜ」
こちらの推測に、またも声が返ってくる。
それに釣られて首を動かすと、まっさらな地面に何かが転がっていた。
鎧だ。
白い、大人の男性が用いるための物であろう、金属製と思しき大きな鎧。
それが地面に打ち捨てられ、転がっている。
傍には折れた剣と、おそらくは盾だったのだろう、無数の金属片。
そこに俺は、無意識のうちに手を伸ばす。
「これは――」
「触るな!」
ジンと、鼓膜を強く震わせる音がきた。
「そいつに、触れるんじゃねえ!」
音は、白い残骸の中からやってきていた。
打ち捨てられた鎧の一部、その頂にある厳めしい兜。
それがジンジンと辺りを震わせながら、声を発してきていた。
「それ以上、近寄るな! 近寄ったら、タダじゃすまねえぞ!」
当然、と言うべきなのだろうか。
声はジングのものだった。
白い武具の中にあり、唯一つ、奇異な様相をもつ灰色の兜がそこにあった。
耳当ての部分に大きな二振りの飾り羽根があしらわれた、傷だらけの兜だ。
額の位置には切れ長の鋭いの瞳と嘴を思わせる装飾が施されており、目の位置以外は仮面の如き板金で覆われている。
翼を生やした大鎧兜。
猛禽類を思わせるそれを見て、俺は思わずつぶやいた。
「鷹……?」
「ちげぇよ! タカじゃねえ、ワシだ! 見てわかんねえのか! 鷲だ! 鷹じゃねえ! 鷲! ワーシ!」
「いや、鷹と鷲って同じようなもんだろ。ええと……たしか、ちっちゃい方が鷹って呼ばれていて……あ、いや、逆か?」
「俺が知るか、んなこたぁ!」
いやいや、知らないのかよ。
自分で違いを主張しておいて、この言い様は中々にひどい。
このアホさ……
「うん。お前ジングだろ。明るくしてくれてありがとうな」
「おうおう、大サービスってヤツだ。感謝してそこから動くんじゃねえぞ。ったく……人様の寝床にズケズケと入り込んできやがって、ふてえ野郎だぜ」
「寝床か。てことは、『制約』は履行されたってわけだな」
「……まあな」
鷲の兜の内側より、ジングがこちらの言葉を認めてきた。
それは俺が求めた『願い』……『ジングの精神とフラム・アルバレットの精神を引き合わせる』という願いが叶えられたことを示唆しており、この奇妙な空間がその証明となっている。
それについてあれこれと思考を巡らせていると、唐突にジングが口(頬当て?)を開いてきた。
「安心しろぃ。今回は大した願いごとでもねえ。なにせお前と俺の魂はイヤになるぐれぇ近いからな。代償なんて知れたモンよ。朝飯前どころか、部屋の扉を蹴り開けるぐれぇのモンってヤツだ。そうビビるこたぁねえよ」
「いや……別にビビッてないけどさ。てか、俺の体の見た目は外にいたときのままか。てっきり話に聞く幽霊みたいにスケスケになるか、なんの形にもなんないかなって予想してたんだけど」
「そこは心象風景、自己投影ってヤツだろ。俺様にしても、気づいた時にはコレだったしよ」
「おぉ、なるほど……思ったより難しい言葉知ってるんだな、お前」
「あたぼうよ。これでも長生きしてるからな。もっと褒めてもいいぜ」
いや別に褒めてないし。
なんてことを思ったが、それ口にしても話は進まないのでここは黙っておく。
それにここにどれだけの間、居続けられるかもわからないしな。
たぶん、ジングがずっと『声』を出せてはいなかったように、俺がここにいるのにも限界はある筈だ。
そこらも推測に過ぎないが……
答えがわからないからといって、このまま何もしないわけにもいかない。
皆の協力で漕ぎつけたこの状況を、無駄にするわけにはいかなかった。
「しっかし……莫迦かよテメェは。マジでくたばる一歩手前だったぞ」
「ん? ああ、自傷行為の話か。わるかったな、脅すような真似してさ。でも……こうでもしないと、面と向かって話も出来なかっただろ」
「……ケッ」
軽い罵倒……というか、わりと的確なジングの指摘に、俺は同じく軽い謝罪の言葉で返す。
この感じだと、やはりジングも大した力は使えないのだろう。
勿論、すべてがこちらを油断させるための演技だという可能性も、あるにはある。
しかしそれにしても、この反応は――特に『白い鎧』に対する言動は、とてもジングが芝居をしているようには思えなかった。
十分に力を振るえるのであれば「近づくな」なんて警告もせずに、俺を吹き飛ばすなりなんなりすればいいだけの話なのに、それをしてこない。
したくても、それだけの力がない。
そう考えておいて、まずは問題ないだろう。
「チッ……やっぱ外は視えねえか。まあ、死んじゃいねぇんだろうが……クソッタレが。ヒヤヒヤさせやがって。ここまで粘っておいて共倒れだとか、冗談じゃねえぞ」
再び無言となったこちらを捨て置き、ジングがぶつくさと独白を繰り返す。
どうやらコイツも、独り言が癖みたいだ。
なんていうか……自分を見てるみたいでなんとも言えない微妙な気分になるな、コレ。
俺の悪癖が影響しているのだとしたら、コイツにしてみてもいい迷惑かもだが。
「ま……グチグチ言ってても、こうなっちまったモンはしゃーねーわな」
言いながら、自称鷲の兜がこちらに向き直ってきた。
あ、動けるんですねそれ。
てっきり鎧そのものがジングなのかと思ってたんだが……もしかして、ヤドカリみたいな構造なんだろうか。
謎は尽きない。
「オイコラ、いつまでもボーっとしてんじゃねえよ。あんだろ、話ってヤツが。もったいぶってねえでとっとと始めろぃ」
「ん。まあな。その為にここに来たわけだしな」
ジングに急かされて、俺は居ずまいを正す。
外では、セレンたちが待ってくれている。
情報を集めるにしても、時間は限られている。
「ジング……ずばり、だ。ずばり、お前が一体何者なのか。そしてなんの目的があるのかを、俺に教えてくれ。話はまず、それからだ」
その問いかけの後には、沈黙だけが続いてきた。