210. いらない
理屈ではない。
考えてやったことではない。
そうとしか言えなかった。
「お前にも、大体のことはわかっているんだろうけどさ」
師匠の命により、生まれ育った塔から離れることとなり。
フェレシーラに連れられて森を出てからは、公都を目指すこととなり。
その過程で影人を討伐する必要があり、神殿で戦う力を身につけることとなり。
「……だから俺は、いまこうしてここにいるんだ」
ここに至るまでの出来事と、その合間合間に感じたことを取りとめもなく吐き出し終えて、俺は目の前に鎮座する鷲兜をじっと見つめていた。
逐一感じていた内容まで話していったので、時間的にはかなり経過している気がする。
しかし、外の世界――
つまりは、フェレシーラたちのいる現実の世界で、どれほどの時間が進んでいるのかはわからない。
長い夢を見て目覚めた時のように、一瞬の出来事であるかもしれないし、その逆もあり得る。
もしかしたら体はとっくにくたばっていて、ジングと二人でここに精神体だけが取り残されてしまっているのかもしれない。
まあ、延々と仮定の話、妄想の域を出ないことに気を回していても仕方がないので、考えるのはそこまでにしておく。
「疲れた……」
不意にそんな言葉が飛び出た。
疲れた。
それが正直な気持ちだった。
これまでずっと、塔に籠るようにして魔術士を目指し続けてきて。
夢かなわず逃げるようにして外の世界に出て。
強さが必要だと、それを求めて我武者羅に戦い続けて。
今はこうして、わけのわからない状況になってしまっている。
疲れたとしか、言い様がなかった。
胡坐を掻いたまま溜息を吐く。
目の前にあった鷲兜……ジングは、ずっと黙って俺の話を聞いていた。
いや、あまりに長すぎて寝ちゃったかもしれないけど。
「おらぁよ」
なんてことを考えていると、ジングが突然、声を発してきた。
「ぶっちゃけオメェのことなんざ、どーーーーーーーーーでもいいんだわ」
「でしょうね」
「おうよ」
こちらの返答など気にもせずに、鷲兜が続けてきた。
「ま、それでもこんな場所でずっと暇してたからな。なーんか面白そうなことがねえかなって、ちょくちょく覗いていたがよ」
「でしょうね」
「おうよ。情報収集ってヤツも必要だったし、ま、ついでのついでだったんだがよ。まー、それにしても、だ」
そこで「はーっ」と大袈裟な溜息をついてから、ジングは尚も続けてきた。
「つっっっっっっっっまんねーーーーーーーーーーーなぁ、オメェのジンセイってヤツはよ」
「……でしょうね」
「そこは否定しろや、タコ」
「うっせこのヤドカリモドキ」
「おうよ。ヤドカリ舐めんなよ。ヤドカリはヤドカリでも、おらぁプロ中のプロ。プロカリってモンよ」
ヘヘン、と妙な部分で誇らしげに羽根を逸らす鷲兜。
さすがに長年こんなつまらない場所に住み着いているだけある。
「いや……つまらないのは俺のせいか。わるかったな」
「ケッ! わかってんなら、その事あるごとに気安く謝るのもやめやがれ! 毎度毎度、聞き分けのいいフリしやがってよ。みててイラつくんだよ、オメーのやり方は」
「イラつくって。そんなこと言ったって、仕方ないだろ」
「あー、出たよ出たよ、伝家の宝刀『仕方ない』サマのお出ましってか? いっつもそうだよなぁ、お利口さんのフラムくんは。事あるごとにそうやって自分を納得させてて満足か? 理解できないぜ、まったくよ。そんなんだから、いきなり明後日の方向に向かって走り出したりする羽目になるんだぜ、オメーはよぉ」
「……どうでもいいって言ってた割りに、よく喋るな。お前も」
「ハッ!」
ビン! と二本の羽根を逆立てて、ジングがこちらを鼻で嗤ってきた。
鼻は見当たらないけど、雰囲気的にはそんな感じだ。
「そんなんだから、つまんねえんだよ! テメェのジンセイってヤツは! 八つ当たりに付き合えだのなんだのと言い出しておいて、結局はうじうじうじうじと……辛気臭ぇ顔して、イジけ腐りけやがって! 聞いてるこっちまで耳が腐りそうだわ! あーーーーーーーーつっまんね!」
「耳ってか羽根だろ。毟るぞこのヤドカリワシモドキ」
「お? やんのか? やんのか? いっちょまえにイラついたか? いいぜいいぜ、こいよこいよ! だが覚悟しておけよ……そこを毟ったら、お前多分――禿るぜ」
何故だか小気味良くサイドステップを繰り出しつつ、ジングが空恐ろしいことを口にしてきた。
根拠あんのかそれと言って羽根を引っ張ってやりところだが、魂どころか、ヤツの毛根とこちらの毛根まで一蓮托生だとすれば一大事だ。
止む無く、俺は鷲兜に対抗することを諦めた。
「じゃあ、さ」
代わりに俺は口を開く。
どうしようもない気持ちと共に、俺は目の前で羽根を逆立ててステップを継続する鷲兜に問いかけた。
「どうすれば良かったって言うんだよ、お前はさ。俺は師匠に……マルゼスさんに、ずっと育ててきてもらったんだぞ。自分の子でもないのに、あの人に何か見返りがあるわけでもないのに。あの人との約束も守れなかったっていうのにさ。ずっと苦労だけかけてきて……それなのに」
「ハイハイハイハイ。知るか知るか、馬鹿野郎。ばーかぶぁーか。どうすれば良いかじゃねえよ。近頃はちったぁマシになったと思えば、結局コレだよ、この餓鬼ゃぁよ!」
ピタと動きを止めて、ジングが声を張り上げてきた。
「どうすれば良かったのかじゃねえ。どうしたかったのか、だろうがよ」
ギラリと、兜に刻まれた鷲の眼がこちらを睨みつけてきた気がした。
「なんでテメェは、あの女に出ていけと言われて食い下がらなかった。なんで魔術士になるのに期限があったのかを、問い詰めなかった」
それは俺がいままで、ずっと抱えてきた気持ちだった。
「何故貴様は、あれほど願い目指した『煌炎の魔女』の――」
「やめろ!!」
反射的に飛び出てきた精一杯の抵抗には、またも鼻で嗤う声が返されてきた。
「まだまだ、こんなのは序の口ってヤツだろ。オメェにゃ言いたいことが、幾らでもあっただろうが。あの小娘に会ってからは、ちったぁマシにはなったみてぇだが……今度は今度で、我慢しすぎなんだよ。なにもかにも、頭で考えすぎなんだよ。ガキのクセしてよ」
「お前に……お前なんかに――」
煽るようなジングの言葉に、俺は思わず立ち上がる。
胸の内に湧き上がってきた言い様のない悔しさに耐えかねて、俺は立ち上がってしまっていた。
「お前なんかに、なにがわかる!」
灰色の鷲兜を、上から睨みつける。
体が、心が、わなわなと震えてるのがわかった。
「こそこそ隠れて人の体を奪おうとしてた、こそ泥風情に! 俺の……俺の苦しみの、なにがわかる! 偉そうに、なにがわかるって言うんだよ!」
「わかるとかわかんねえんじゃねーんだよ、ターコ。いや、お前みたいなのと一緒にされちゃタコが可哀想だな。テメェはそこらで鳴いてる鶏で十分だな。チキンだチキン。チキンハートって言うだろ? プライドチキンのフラムくん。これで決まりだなぁ」
「この……!」
言いたい放題のジングを踏みつけてやろうと右足を振り上げる。
振り上げるが、そこで体が動かない。
この精神領域でコイツを傷つければ、俺自身にも影響がでかねない。
「ケケッ。まーたアタマで考えてるな、お利口さんのフラムくんはよぉ。まあ、正解だろうな。だが……俺様に言わせれば、ありえねえ程の不正解だ。クカカカカッ」
その場を動けずにいた俺を、ジングが嘲笑う。
「気に入らねえヤツをぶっ飛ばす。自分が望むものを手に入れる。心のままに、思うように生きる。優等生気取りのキミには理解できんかもしれんがね……とでも、アイツなら厭味ったらしく言ったかもなぁ。カッカッカッカ」
「そんな……そんな真似出来るか! フェレシーラは、俺なんかとは違う! 俺は……お前なんかとは違うんだ!」
「違わねえよ。あの小娘もお前も……俺もな。思っちまった時点で同じだ。どれだけ上手くやるかは、まー大事なんだろうがよ。それにしてもテメェはヘッタクソすぎよ。だから、つまらんのだ」
「うるさい!! もういい! もう喋るな、お前は!!」
「ヘッ! やーだねっと。そんなことばかり素直になられてもなぁ。つまんねぇものをつまんねぇと言ってなにが悪いよ。こちとら芸のない三文芝居は見飽きが来てるからな。もっと派手に、ぶぁーっといってくれねえとよ。退屈すぎて欠伸がでちまうぜぇ? クカカカカ……」
灰色の仮面が、無貌のそれが、こちらを嘲っているように見えた。
心の何処かで、何かが切れる音がした。
「お前、もういいよ」
コレは俺にはいらない。
「もう消えていいよ、お前」
踏み潰してやる。
叩き潰してやる。
再び足を振り上げると、とてもとても、胸がスカッとした。