209. 灰色の貌
ジングが何者であるか。
その狙いが何であるのか。
それを知ることが出来れば、今後の大きな手掛かりになる。
しかしジングに俺がなにかしら要求を行うということは、それ自体が『願い』として扱われ、『制約』の条件に抵触する――
「……ふぅー」
筈だった。
「わりぃが、そいつぁちぃっとばかしデカすぎる『お願い』だな。教えてやるとしたら……そうだな。オメェの体をもらうとするかな。それも――未来永劫、永久になぁ……! クカカカカッ……アッ!?」
ゴインッ。
如何にも恐ろしげに振る舞う鷲の兜が、小気味の良い衝突音と共に宙に舞う。
「お。いけるか、やっぱり」
試しとばかりに振り抜いた右足を確認し終えてから、俺は鷲兜が――即ちこの精神領域におけるジングの体が、己の頭上に打ち上がる様を眺めていた。
「ちょ……おまっ、なにいきなっ――アアンッ!?」
ひゅーんと見事な放物線を描いた後、ジングがまっさらな地面へと激突した。
そしてそのまま、ゴロゴロと遠くに転がっていく。
うん。
しっかり現実の動きに則しているな。
精神領域というと不可思議なことばかり起きそうなイメージがあったが、これはむしろ逆かもしれない。
というかこれって……
「俺の精神、イメージがベースぽいな。もろに『俺が起こりそうって思った』って現象が引き起こされてるし。力関係も、ここだと完全にこっちが上っぽいしな。そうだろ? ジング」
「な、なにテキトーこいてやがる! ここは俺様のテリトリ――オアンッ!?」
「いやいや、強がるなって。そもそもお前さっき、俺に言われてとっととここを明るくしたし、めちゃくちゃ焦ってこの鎧に近づくな! って言ってきたろ。その時点で無理があるんだよ、ここがお前の縄張りだって主張するのはさ」
術士にとっての精神領域とは、即ち術法式を練り上げるために思念で形成された仮想領域だ。
物理的存在とは真逆ともいえる、霊的存在の証明と実行。
その理論と実践法はいまより遥か昔に確立されており、それを基として編み出されたのが『陣術』だ。
そしてそこから先人である術士たちが、千年にも及ぶ研鑽の日々を積み重ね続けた結果、世に多種多様な術法が生み出されている。
それらに用いられた精神領域。
その捉えようについても、俺は師匠から薫陶ともいえる教えを授かっていた。
「心を一つの大きな皿と思え……だったかな。師匠が俺に最初に教えてくれた言葉だけどさ」
「なにさっきからブツブツ言ってや――あガッ!?」
「なにって、自分の『中』で術法式を組み上げるときのコツだよ。や、コツっていうより基礎中の基礎、ってヤツか。まずは何もない、まっさらなでっかい皿をイメージしろってさ。まあ、まんまこの場所と同じだな。この場所が、それと同じというべきか……」
「どぅあくらっ、はぅなしうぉを聞ぃきやが……おっふ!?」
ストン、とこちらの爪先に引っかかる形で、鷲兜が動きを止めた。
微妙な重さは伝わってくれども、中身がある感じはまったくしない。
どうやらこの兜自体が、この領域におけるジングそのものなのだろう。
こりゃヤドカリ説は消えたな。
「クソッタレが! あんまチョーシこいてんじゃねえぞ! もし俺様を消すような真似をしてみやがれっ! そんときゃテメェも道連れだからな! いっとくが、脅しじゃねえぞ!」
「だろうな。いま軽く蹴っただけで、なんかこっちもふわふわしてたし」
「あァん!? んだその、余裕ぶったツラはよぉ! ムキー!」
「いや、本当に脅しじゃないと思ってるよ……色々確かめたくて蹴ったのは悪かったけど。ちょっと落ち着けって。ほら、よっと」
言いざま俺は鷲兜をそっと地に置き、両手でもって正面を向かせた。
それでジングが大人しくなる。
突然謝ってきたこちらの出方を窺っているのだろう。
「なあ、ジング」
「……んだよ」
「うん。ちょっとここに来る前は、お前をどうして俺の中から追い出せるのかと、そんなことばっか考えていたんだけどさ」
不機嫌そのもの、といった返答を受けて俺はその場に腰を下ろし胡坐を掻き、続けた。
「お前さ。元の自分の体を無くしてるか……そもそも持ってないかの、どちらかなんじゃないか?」
ジングが押し黙る。
構わず、俺は思ったことを口にする。
「師匠がさ……マルゼスさんが、俺になにか隠し事をしているんだろうな、ってのはなんとなくわかっていてさ。魔術が上手く扱えなかったことについても、特に原因を調べてる感じもしなかったし。そもそも俺が何処で産まれて、なんで公国の英雄って呼ばれてたあの人に連れられて、あの森で、塔に引き籠って暮らすことになったのかとか……ぜんぜん話してくれなかったしさ」
「……そりゃテメェがロクに聞かなかったからだろ。俺が知ったことかよ」
「まあ、そうだけどさ。聞くたびにすごく困ったような、悲しい顔されてたから……あんまりな」
「育てられた恩義ってヤツか? くっだらねぇなぁ……理解不能だぜ。テメェが俺様のことを気にかけてくるのも、な」
ジングの言うことはもっともだった。
しかしそれでも、俺は思うのだ。
「お前のことだけどさ。考えてみれば、体を乗っ取られて特に実害があったわけじゃないし。何もわるいことしてないのに、一方的に責められるのはおかしいかなって。それにもし自分の体がないなら、俺だって自由に動かせる体は欲しくなるだろうしなぁ」
「ケッ! ちっとばかり優位に立ったからって、ヌッりぃなテメェは! 俺様に体を取られたときには、あれだけギャンギャン泣き喚いてたクセしてよ! じゃあナニか? ボクちゃん体がなくて困ってるんでしゅう、お願いでしゅからフラム様のお体を使わせてくだしゃーい! ……とでも泣きつけば、満足かよ!」
「いやそれはちょっと……キモいしヤダな」
「……まあな。俺様も自分でいっておいてなんだが、キモかったわ……」
兜の羽根をしょげ返らせて、ジングが反省する様子を見せてきた。
そこも動かせるんだ。
というか、コレ……さっきから変な感じというか、アレかもしんない。
なんというか、おかしなほどにジングに対して親近感がある。
ここで顔(?)を向かい合わせるまではあれだけ敵愾心を燃やしていたのが、嘘のようだ。
そしてそれは、おそらくジングにしてみても同様なのだろう。
今のコイツからは、こちらを引っかけて有利な『制約』に持ち込もう、出し抜いてやろう、という気配がまるで感じられない。
例えなにかしらの理由があり『制約』が実行出来ないのだとしても……
例えば俺の精神がこの領域に現れたことで、ジングの術が機能不全を起こしているだとにしても、『制約』を試す素振りすらみせないのは、どう考えてもおかしい。
互いの精神が近づきすぎてる。
直感的に、そう感じた。
ジングが消え去れば、俺もまた無事では済まないという話も「そうだろうな」としか思えない。
「はぁ……ガチの運命共同体、ってヤツなのか。本格的に困ったな、こりゃ」
「ハッ! そりゃあこっちのセリフよ。なんだって、こんな面倒くさい餓鬼に育ったかね」
「そう言われてもな。案外、お前の影響もあるんじゃないか? いままでも、ちょいちょい俺に話しかけたりしてただろ。なに言われてたかまでは、はっきりとは覚えてないけどさ。塔に居た頃は夢見が悪いことなんて普通だったし」
「……そりゃわるかったな、ヤなもん見せちまってよ」
「それはいいよ。覚えてないって言ったろ。それにお前だって、こんなところにずっと独りでいれば、言いたいことの一つや二つぐらい、あっただろうしさ」
「言いたいことねぇ。随分とお優しいこったな、良い子のフラムくんはよ」
「やめろよ、そういうの。ずっと俺のこと見てきたんだから……お前なら、わかってるだろ」
つらつらと続いた会話が、そこで途切れた。
暫しの間、ドーム状の黒い天井を無言で見上げる。
なんとなく、ジングも同じようにしているのがわかった。
「……しゃーねえなぁ、まったく。この俺様を、こんなくだらねえことに付き合わせやがってよ」
溜息まで聞こえてきそうなその声に、俺は下を向く。
見れば鷲の兜が、その両端に生やした羽根をピコピコと動かしてきていた。
「言いたいことがあれば聞いてやるから、とっとと言えや。ずっとしたくて堪らなかったんだろ。テメェのいう、憂さ晴らしってヤツをよ」
「……ああ」
一体何故、そんな顛末に至ったのだろう。
気づけば俺は灰色の仮面へと向けて、隠し続けていた心の内を晒し始めていた。