204. 泣かずに済んでいたのは
「そもそもの話、なんだけどね」
頭上より響く中音域の、清々しさに満ちた声。
「人がちょっと寝込んでる間に、公国民になろうとしてほいほいとセレン様の薦めに乗ってみたり。どうみても怪しい手紙に釣られてアレクたちと密会してみたり」
ゴスン、という重々しい音を立てて、戦鎚の先端部が石床に転がっていた俺の視界いっぱいに映り込んできた。
脇腹と右腕にはズキズキとした鈍い痛み。
左手にも刺すような鋭い痛みがある。
戦鎚の打撃部位と、その反対に拵えられたピックによるダメージだ。
「なにも徹頭徹尾、私に報告連絡相談してからにしろ、とまではいわないけど。もう少しぐらい、話にくるなり様子を見にくるぐらいはしても……罰は当たらなかったんじゃないかしら?」
「……バチなら、いまこれでもかってぐらいもらってる気が――あいてっ!?」
ゴン、と額を戦鎚で小突かれて、俺はせめてもの反撃を中断せざるを得なかった。
「そういうとこ、どんどん生意気になってくるわよねー。ちょっと前までは素直に返事してくれてたのに。あんなに可愛かったフラムくんが、私の知らないうちに大人になっていって……お姉さん、悲しいわ」
「なーにが悲しいわ、だよ。金槌ぃわ、のまちが――いでっ!? ちょ、逆はやめろ、逆は! そっち尖ってて、マジで洒落になってないぞ! あ、ちょ、ま、回すのはもっとやめろぉ!」
特訓開始から、10分ほどの時間が過ぎ去った頃。
セレンとパトリース、そしてホムラが遠巻きにこちらの戦いを見守るなか、はやくも俺は本日三回目となるダウンをフェレシーラに奪われていた。
「文句ばかりいってないで、さっさと『治癒』する。今日はそういう段取りだったでしょ。でないといつまでも『天井穿ち』のフェレシーラさんが苛めてきますよー」
「なんだよ、その呼び名は。どんだけバリエーション豊かなんだよ、お前」
「なに言ってるの。人の渾名を勝手に増やしておいて。言っておきますけど、いまのは貴方がハンサ副従士長との模擬戦でやらかしたせいなんですけどー」
「……なるほど、それで『天井穿ち』か。それはさすがにちょっと、申し訳ございませんでした――!」
なんということでしょう。
新たなフェレシーラさんの渾名の作り手は、まさかのフラムくんというオチ。
おそらくは修練場で訓練に励んでいた、聖伐教団の――
いや違うか。
多分これは、外部からきた人たちが流した噂が大元だろう。
模擬戦の時に修練場いた神殿従士や神官の皆は、フェレシーラが俺を鍛えるためにやってきたって直に聞いていたわけだしな。
しかもパトリースのから聞いていた話では、ミグ・イアンニ・ハンサの順で相手をしてくれたことまで伝わっているみたいだったし。
まかり間違っても、そこでフェレシーラが戦って本家試合場の天井をブチ抜いた、なんて話にはならないだろう。
「たぶん、外壁の補修工事にきていた職人たちが勘違いしたんだとは思うけど。それにしても傍迷惑な話よね。寝て起きたら、いつのまにか不名誉な渾名が増えていただなんて」
「いやまあ、そうだけどさ……結構カッコよくないか? 『天井穿ち』のフェレシーラって。昨日お前がやったあの『光線』モドキなら余裕でやれるだろうしさ」
「羨ましいっていうのなら、喜んでお譲りしましょうか? よりにもよって神殿の一部を破壊しただなんて噂、事実扱いされたらこっちは始末書どころの騒ぎじゃすまないし。もっともその場合、貴方がセレン様に提出してもらった公国民の審査は確実に落ちるでしょうけど」
「……すみません、ぜんぶ僕がわるかったです。許してください、この通りです」
平身低頭。
正に平謝りとはこのこと。
慣れない自力での負傷回復にまたも挑みつつ、俺はフェレシーラに向けて、地に頭を擦りつけながら詫びる羽目となっていた。
特訓が始まった直後こそ、今日こそフェレシーラをぎゃふん(古い)と言わせてやろうと、短剣片手に挑みかかったものの……
結果はこの通り、散々な目にあっている。
というかこの人、下手に『光弾』を撃たずに接近戦でゴリゴリ押しまくってくる方が余程厄介だぞ。
明確にアトマの放出が視てとれる術法を起点とした攻めよりも、近接攻撃オンリーの方が『探知』で動きを察知するのも難しいし……かといってそれをやめたら今度は『鈍足化』で動きを鈍らせたり、転倒させてくるわでもう大混乱である。
ならばと思い、スピードで掻き回してやろうと側面をとって突撃を試みるも、今度は今度で後退しながら盾で綺麗に凌がれて時間を稼がれたところに、目の前に『防壁』が出てきてごっつんこ、というオチが待っていたりする。
「くっそー……まさかこっちが術具を使ってないときを見極めてくるなんてな。でも考えてみれば、そっちからすればアトマ視で『探知』を使ってるかどうかなんてモロバレってヤツなんだよな……」
「うん、そゆこと。わるいけど、こっちも色々考えてますから。それに貴方がゴリ押しに弱いのはイアンニとの戦いでも、なんとなーく察しがついてたもの。違う?」
「う――それは、言われてみたら心当たりがあるかもな……」
ニコニコ顔で告げられてきたフェレシーラの言葉に、俺は一瞬考えこむも……
彼女はピンと指差し指を真上に立てて、更に続けてきた。
「時間、余裕を与えるほど、相手の動きや思考を分析していく。そしてそこから反撃の糸口を掴んで……っていうのがフラムの必勝パターン。なら、可能な限りそれが難しい状況に持ち込むのがベターな選択ってことね」
「たしかにその通りかもしんないけど……お前、よくみてんぁ。人のこと」
「ふっふっふ。まぁねー。これでも教団のエースですので。幾ら貴方がメキメキと力をつけているからって、そう簡単にはやらせてあげるわけにもいかないもの」
「ふーん。メキメキと、ね。そっか。へへ……」
「? なによ突然、嬉しそうな顔しちゃって」
俺が不意に照れ笑いを洩らしたことが、余程おかしくみえたのだろう。
いまだ床に転がっていたこちらを、フェレシーラが不思議そうな表情で覗き込んできた。
そんな彼女を前にして、俺はブリッジの体勢へと移行する。
「今日は私のこと、泣かせてみせるんじゃなかったのかしら? いまのところ、三回は潰されてますけどー?」
「んー? ああ……そうだな。そんなことも言ってたな――っと!」
「え――きゃっ!?」
石床を両の掌で押し叩くようにして身を跳ね起こすと、耳元を甲高く可愛らしい悲鳴が掠めていった。
「ふぅ……さてと。仕切り直しといくかな。それじゃ四回戦目だ! やるぞ、フェレシーラ!」
「ちょっと! やるぞ、じゃないでしょ! いきなり人の顔すれすれで跳ね起きてきたりして! ああ、もう……髪がぐちゃぐちゃじゃない。ちょっと、じっとしてなさい!」
「え、いいってそんなこと――おい、やめろよ人の頭くしゃくしゃすんの! 俺がやってやったときは、もうちょい丁寧にしてただろ!?」
「女性の髪と、男の人のを一緒にしないでくださーい。ほら……汚れも一度落としてあげるから、大人しくしてなさい」
「んだよその屁理屈は。理不尽だろ……ったく」
そう言いながらも、手甲の力、不定術法式にて疑似的な『治癒』を繰り返す。
神術士であり、回復術の使い手であるフェレシーラがいるのに、何故わざわざ自力での回復に勤しんでいるのか、といえば。
これも今日、俺がやるべきことの一つなのだったのだ。
アトマを継続的に、少しずつ消費してゆく。
そうしつつも、フェレシーラを相手に体力的にも自分を追い込んでゆく。
それを再確認しているところに、やわらかな指先がふわりと髪を撫でつけてきた。
「よく、一人で頑張られましたね。突然体を乗っ取られるだなどと、恐ろしくて堪らなかったでしょうに……えらいですよ。よく一人で頑張りました、貴方は」
「……べつに、どうってことなかったよ。そりゃ少しは……てか、まあまあ驚いたけどさ」
「本当ですか? 私なら、泣きだしてしまっていたとおもいますが。やはり男の子なのですね、フラムは」
「まあな。それに怖いことなら、もっと他にあったしよ……」
「? なんでしょう、それは。良ければ聞かせていただいても宜しかったでしょうか」
「そのうち、また今度な。それよりもいい加減にそろそろ始めるぞ。さっきからサボってると思われてるのか、セレンさんとパトリースが揃ってジト目でこっちみてるし。ホムラまで退屈そうに欠伸してるじゃねーか」
「あ――そ、そうですね。それでは……」
こちらの指摘に、少女が慌てたように「こほん」と咳払いをしてから、ゆっくりと身を離す。
その小さな掌が戦鎚の柄を握りしめて、鎧の胸元、白き羽根に傾く天秤を覆い隠すようにして、小盾が掲げられる。
「手筈通りに、このままやり続けて……不埒者を追い詰めていくとしましょうか」
再臨した白羽根の従士が浮かべてきたその不敵な笑顔に、こちらもまた蒼鉄の短剣を逆手に構えると、得心の頷きでもって応じてみせた。