201. 本の虫、飴と鞭
特訓開始から三日目。
早朝の試合場に、初夏の空気をまとった日差しが差し込んでいた。
……主に昨日出来ばかりの、天井の大穴から。
「フラムさん! こちらの五星陣、一度チェックしてもらえないでしょうか!」
「オッケーだ、パトリース! いまいく! セレンさん、こちら七割がた進めているので後はお任せします。それと術ペンをお借りしますね。フェレシーラ、ちょっと待っててくれ!」
「心得た」
「了解。こっちのことは気にせず、焦らないでね」
開始円に六芒陣を刻んでいたセレンとフェレシーラに、俺は頷きで返す。
パトリースはといえば、試合場全域をカバーする五星陣の作成で大忙しだ。
二つの陣を用いての特訓法。
それは昨晩セレンの発案の元、皆で意見を出し合い決定したものだった。
ここミストピア神殿にきてから、時折やってきていた謎の『声』。
こちらの体を乗っ取ってきたジングの存在確認と、対抗策。
現時点では実害もなく、その上俺以外、誰もみたことがないという……我ながら「ちょっとキミ、大丈夫?」と別の意味で心配されても仕方のない話にも関わらず。
誰一人として俺を疑うことなく、こうして特訓の場へと集まってくれていた。
「ピ! ピピーッ!」
「お……気合入ってるな、ホムラ! よぉし……俺も負けてらんないな、こりゃあ!」
「ピピィー♪」
パトリースに手を振り駆け出すと、そこにホムラが肩を並べてきた。
風のアトマを操っての低空飛行。
右手の『探知』で視てみた限り、アトマのコントロールも安定している。
むしろパタパタと上下に揺れる小さな翼の方が、おっかなびっくりといった感があるぐらいだ。
「本当はお前のことも、もっとしっかり見てやらないといけないのにな。ごめんよ、ホムラ。なんかバタバタしてばっかでさ」
「ピ? ピピピピ……!」
「あ、こらっ、走ってるときにじゃれてくんなって! はは……うわぷっ!?」
「ピィー……!」
「おま、いまわざと顔にお尻あてただろ!? おいこらまてー!」
「ピッピー♪」
空中でグルンと螺旋の軌道を描き先をゆくホムラを追いかけていると、すぐにパトリースの待つ試合場の外周へと辿り着いた。
「あぁ、くっそー! 先に到着されたか……!」
「ピィー……グルルゥ♪」
「ええと――二人して、なにを遊ばれているんですか……?」
「いやぁ。最近、あまりホムラに構ってやれてなかったからさ。わるいわるい」
せっせと陣を拵えていた見習い従士の少女に手を打ち詫びて、俺は作業に取り掛かる。
パトリースが受け持ってくれているのは、五星陣。
陣術の中では中難易度に位置する、出力重視の構成陣だ。
相応の術法式への理解度のみならず、陣の行使にあたってのアトマの制御力も問われるという点で、初心者向きとはいえない代物ではある。
いや……これはむしろ、そうした陣だからこその選定だ。
暗記力と理解力、そしてそれを支える集中力。
共にパトリースは、並外れたものを備えている。
その能力に驚き、彼女に話を聞いたところによると……
公都アレイザにあるお屋敷暮らしでお転婆さんな行動を繰り返し続けた結果、外出禁止令をくらってしまい、一時は自室で本の虫状態にあったらしい。
当然、与えられた本の殆どが、貴族社会のマナーを学ぶための堅苦しい内容の代物ばかり。
すぐに飽きがきてしまい、脱走を試みようとしていたところ……
彼女のことを良く知る侍女たちが、こぞって冒険小説の類を用意してくれたとのことで。
それ以来、日がな一日読み漁り続けていたとの話だった。
そんなパトリースさん曰く。
「まさかお屋敷に勤めていた皆が、そんな本を読む趣味があるだなんて思ってなくて。面白かったし、次々に新しい本をお願いしちゃったんですよ。新品の本ばかりだったから、結構お金もかかると思うんですけど。相当好きだったか、流行っていたとかだったのかなぁ」
うん。
多分それ、君の家から支払われいると思われますよ?
誰がどうみても、パトリースの脱走で右往左往することになる侍女さんたちが共謀した結果だろう。
他の話も聞いた限り、なんとなーく、それで彼女のお転婆ぐあいに磨きがかかってしまったような気がしないでもないが。
ともあれその時点で彼女の素質が、当人も気づかぬうちに磨かれていたのはたしかだろう
しかし娯楽小説まで刷られているとか、公都の技術力は中々に凄い。
術具で比較的容易に版画製本が可能になっている、とかなんだろうか。
機械があれば、そういうのも見学してみたいところだ。
……話が逸れてしまった。
まあ、要は現時点のパトリースに不足しているものは、明白だ。
情報を受け入れての思考の回し方ではなく、出力の仕方。
アウトプットの経験が圧倒的に足りていないのだ。
だから只管に陣を作らせて、更には多彩なアトマの使い方にも挑戦してもらっている。
ぶっちゃけ滅茶苦茶なレベルで、諸々ぶっ飛ばした修練法ではある。
だが、いまのパトリースには勢いがある。
変に一歩一歩基本をじっくりいくよりは、「ここが最初の壁」というところにブチ当たるまでは、次々とステップアップしていくのが良いとの判断だ。
なにかあれば、セレンやフェレシーラもついている。
そして何より俺は彼女のやる気を買いたかった。
目指したものへと脇目もふらずに突き進む。
その道のりを楽しみ、成長していって欲しかった。
「ん……そういえばさ。昨日の夜に、五大種族について教えて欲しいとか言ってたっけ」
「あ、はい。実はお屋敷で読んでいた本には、ほとんど人族しか出てこなくって……」
「あー。亜神種族ってだけで、聖伐教団の一部の人はあんまり良くない目でみてるぽいもんな。公都で手に入る本だと、そこらは触れてなくて当然か」
「はい。というか……出てきても、ものすごーく扱いが悪いんです」
陣のチェックの合間にパトリースに声をかけると、そんな返事がやってきた。
「人族にとっての悪役だったり、戦いに負けて奴隷のように使役されるのが当たり前だったり……中にはちょっと、口にしにくい内容のものまであったりで」
「な、なるほど。お国柄ってヤツだな。フェレシーラもそういう偏見を持っている相手には注意しろって、前に言われたことがあったけど。納得だ」
「ええ。なのでこの神殿に来てからも、司教様や神官長に亜神種族は不浄な者たちだ、と教えられていて。最近まで、私もそういう風に振る舞ってはいたんですけど……」
「あー……それで俺と初めて会ったときも、結構激しめに反応してきてたのか。亜神教徒なのかと言ってたしさ。あの時はパトリースのことを、熱心なアーマ教徒なんだなって思ったけど」
「一応、敬虔な信者ではありますよ。ただ、少し行き過ぎた人たちが苦手なだけで」
ふむ。
なるほど、そういうことか。
非常に納得。
あれはむしろ、他種族に興味があったが故の反応もあったというわけだ。
もしも俺があの場で「実は亜神教徒です」なんて口にしていたら、物凄い勢いで質問攻めにあっていた可能性もあったわけだ。
まあこっちも模擬戦の直後でダウンしていたし、そこまで酷いこともはならなかっただろうけど。
……うん。
見た感じ、セレンとフェレシーラが受け持ってくれた六芒陣の完成には、もう少し時間がかかりそうだ。
ここは一つ、パトリースに少し五大種族に関する話をしてやってもいいだろう。
いわゆる飴と鞭ってヤツだ。
厳しくするばかりが能じゃないだろうしな……!