198. 『布告』
「ああ、そうだったよ……そういやそうだったな……!」
通路の水晶灯を起動しつつ部屋に戻った俺は、テーブルの上にある物をみて額に手をあて一人唸っていた。
そこにあるのは、一通の手紙。
白い蝋燭で閉じられた、茶色い封筒が放置されたままだった。
「いやまあ、メルアレナさん的には渡した時点でお使い終了だもんな。ていうか結構な時間ここにいた辺り、非番とかだったんだろうか」
勝手な予想をしつつ封筒の裏表を確認する。
うん。
手紙が入れられた封筒だ。
何故それがわかるかというと、封筒自体に中央大陸語でもって「フラム様へ」と書き記されているからだ。
ちなみに差出人の名前はない。
そこに関してだけは最初に聞いてみたのだが……
どうもこの手紙、教会の無償依頼枠で届いていたものらしい。
教会の人が気付いた時点で受付に置かれていたらしく、届け主が誰かはわかっていない。
それもあって、俺も一旦は手紙の開封を後回しにしてメルアレナに付き合っていたのだ。
我ながら中々の脱線ぶりである。
とはいえ、正直いってメルアレナには感謝していた。
フェレシーラとの突然の真剣勝負と、急変。
そこからジングに一時は体を乗っ取られて、なんとか取り戻したものの……
セレンと今後の対応について話終えた時点で、身も心も疲れ切っていたからだ。
そこに舞い込んできたメルアレナへの術法に関するレクチャーが、丁度いい気晴らしになってくれたのだ。
何も考えずに、只管に己が学んできたことを掘り起こして、それを他者に伝えるために開示する。
「ま、皆して褒め上手だからな」
教えるのが上手い。
そう言われて無邪気に喜び、得意になりかけている自分がいるが……沈んだ気分でい続けるよりはマシというものだろう。
そんな風に己を納得させつつも、手紙の開封に取り掛かる。
軽く力を籠めると「パキン」と止め蝋が割れ砕けて、あっさりと封が解けた。
「――え」
手紙の差出人と、そこに記された内容。
それは少しばかり、意外なものだった。
場所は修練場の自由区画、その外周南角。
貪竜湖にほど近い、人気のない荒れ地にて――
「ええと……たしか、ここでいいんだよな……?」
「ピ!」
ミストピア神殿の外壁を前に、俺は肩当の上にホムラを伴い立ち尽くしていた。
「わるいなホムラ。そろそろ夜になるっていうのに……周り、見えにくくないか?」
「キュピ? ピピ……ピィー♪」
ホムラに声をかけてみると、一瞬小首を傾げて思案するような仕草をみせた後に、元気のいい返事がやってきた。
そのつぶらな瞳には、暗がりで猫がみせるような独特の虹彩が宿っている。
察するに、グリフォンという生き物は夜目も効くのだろう。
頭は鷲っぽいから夜は苦手と思いきや、なかなかの万能っぷり、いいとこ鳥……いや、いいとこどりだ。
なんてくだらないことを考えていると、頭上で「ざりっ」という音がした。
靴底が、石を噛む音だ。
それも大きめのものと、微かに響く程度のが、二つ連なって。
その音に釣られる形で、俺は石壁を見上げる。
高さ5mほどの壁の頂点に、夕陽を受けて立つ人影がみえた。
そこに向けて、俺は手をあげる。
約束場所はここで間違いなかったのだという安心感から、こっそりと息を吐く。
それにタイミングを合わせたかのように、片方の影が壁の上より跳躍を果たしてきた。
「よっ、とぉ――」
荒れた芝生の上に殆ど着地の音も響かせずに、しかしお尻にピンと細く長い尻尾をバランスをとるようにピンとたてて――彼女がは俺の間近で声をあげてきた。
「やや、グリちゃんじゃんか。この前ぶりー」
「ピ? ピピ!」
ひらひらと振られる手。
その指先には、着地の際に用いたのか……それとも外壁を駆けあがるために突き立てたのか、鋭い爪が見え隠れしている。
髪はベージュのボブカット。
その頭頂部より、猫のそれに酷似した大きめの耳がピコピコと揺れ動いてきていた。
「んあ? キミ、なんて微妙にでっかくなった? フラグくん」
「挨拶、俺からじゃないのかよ……エピニオ。てかフラムだぞ、俺の名前は」
「まー、細かいことは気にしない、気にしない。ちゃんとしてるだろ、ほら」
太ももが露わとなったショートジーンズに、半袖の白いシャツ。
ラフな装いでこちらの目の前に現れたのは、獣人族の少女、エピニオだった。
「いよ――っとぉ!」
続けてやってきたのは、「ズダンッ」というわりかし派手な着地音と男の声。
そして無言でうずくまる、これまた白シャツにジーンズといったラフな恰好の人影が一つ。
「あっつー……目算ミスった」
「だ、大丈夫ですか!」
傍から見ても小さくないダメージを受けていたその人物に、俺は慌てて駆け寄る。
すると彼はすぐさま、その場から身を起こしてきた。
金色の髪に、薄紫の瞳。
こちらより頭一つ分ほど高い身長に、引き締まった体つき。
「ああ、いや。ちょっと着地ミスって手が痺れただけさ。それよりも、突然呼び出してすまなかったね。少年」
「いえ、こちらこそ。アレクさんたちをお待たせしなくて良かったです」
その男の名を口に、俺は頭をさげる。
アレク・メレク。
エピニオも所属する冒険者パーティー『雷閃士団』の魔剣士にしてリーダー。
手紙は彼から俺宛てに届けられたものであり、その内容にこちらが応じた結果、いまこうして彼らとの再会に至っていた。
ちなみにパトリースには、プチ神殿の周りを散歩してくるとだけ伝えてある。
その際、出会った人に怪しまれては良くないだろうということで、アトマ阻害器の腕輪は外しておいてきた。
しばらく様子をみてみたが、ジングの『声』も聞こえてはこなかったし、なにかあった際にやはりアトマが一切使えないのでは不安が残るので、という判断だ。
アレクさんたちを疑うわけではないが、この点に関しては折衷案を見つけていくしかないだろう。
ただ、ジングの『声』を無視するという点だけは、忘れず気を付けていかねばならない。
「いやぁ、エピニオを手本にスマートな登場を狙ってみたんだけど。なかなかムズいね」
「なるほど、そうだったんですね……!」
「いやいやいや……ナルホドじゃないし。なんで人族のクセして猫獣人と同じことしようとしてんだよ。相変わらずアホだな」
「ピピィ……」
「あっはっは。照れるね」
俺とエピニオ、そしてホムラに囲まれながら、アレクさんが朗らかな笑い声をあげた。
あげたの、だが――
「ん? おや……? ふむ」
え。
なんだろう。
アレクさんが、こちらをじっと見てきている。
「え、ええと……どうか、しましたか?」
「ああ、いや。これは失敬をば、フラムくん。少し見ない間に……驚いたよ」
「はぁ……」
アレクさんの言葉にいまいち要領を得ることが出来ずに、俺は曖昧な返事で応じてしまう。
「あ、アレクもやっぱそう思う? ちがうよねー、コイツ。この前までと、なーんか匂いが違うよねー」
そこにエピニオが横から「にゅっ」と生えてきた。
「なんだよ、匂いって。体ならちゃんと毎日洗ってるぞ。なー、ホムラ」
「ピ!?」
「そうじゃなくってさぁ。なんだろうねー。これはなにかあったかな? 噂の鈍器系聖女サマと」
「……なに言ってんだよ。別にフェレシーラとはなにもないぞ」
「ほほぉ。ま、そういうことにしておきますか。いまのところは」
反射的に憮然とした態度と声で返すと、意外なほどあっさりとエピニオは引き下がっていった。
なんなんだコイツ。
相変わらずマイペースで調子狂うぞ。
「さて……話を振っておいて悪いんだが。あまり長居もしていられないし、本題と行かせてもらうかな。聞けば神殿には許可なく立ち入れないってことだったし、こうしてやってきたわけなんだけど。立派な不法侵入にあたるんでね」
「あ、はい……なんでしょうか」
アレクさんの言葉に、俺は居ずまいを正して彼へと向き直る。
手紙に記されていたのは、俺への呼び出しと待ち合わせ場所のみ。
他には何も書かれていなかった。
「ま、商売柄ってヤツだけどね。ちょっと噂を耳にしてね。冒険者登録、まずはおめでとう」
祝いの言葉と共に、大きな右手が差し出されてきた。
俺はそこに、反射的に右手を差し出してしまう。
「ギルドマスターに聞いたよ。影人討伐、フェレシーラと一緒に受けたんだってね」
がっしりとした掌が、こちらの手を握りしめる。
力はさして込められていない。
もし振りほどこうとすれば、簡単に出来ただろう。
「……それって」
「ああ」
その頷きと共に、彼は薄紫の瞳へと夕陽を灯し――
「次に会う時は商売敵、ライバル同士、ってことになりそうなんでね。よろしく頼むよ、フラムくん」
こちらに向けて、嬉しげな笑みでの宣戦布告を行ってきた。