193. 相反する願いと覚悟
どんよりとしたが陽を覆い隠す。
まだ昼間だというのに薄暗くなった部屋で互い丸椅子に腰かけて、俺とセレンは向かい合っていた。
「白羽根殿には、パトリース嬢とホムラくんが付いている。特に問題はない。アトマ欠乏症も極々一過性のものだ。安心し給え」
「ありがとうございます」
しっかりとフェレシーラの容態について説明してくれた黒衣の女史に対して、俺は短い言葉と深い礼で返す。
「さて……見たところ、異常はないようだね。アトマ阻害器が作動した形跡はあったかい?」
「いまのところは、多分ないです」
「よろしい。『声』も聞こえてこないかね?」
「はい。セレンさんに話を聞いてもらってからは、一度もないです」
「なるほど。では、話を始めようか。気分が優れなくなったらすぐに言うように」
「わかりました」
セレンの言葉に頷きで返してから、両手を膝の上に置く。
話とは当然、ジングの件に関してだ。
既に彼女には、診療所での一件を洗い浚い伝え終えている。
中には伏せておきたい内容のものもあるにはあったが、変に隠し事をして問題が起きては話にならない。
俺が『煌炎の魔女』に『隠者の森』で育てられたという過去に関しても、軽く話してある。
四の五の言ってはいられない。
とにかく、体の乗っ取りだけは避けねばならない。
その為にセレンに自身の過去を打ち明けたのだが……彼女は特に驚く様子も見せずに、ただ頷くばかりだった。
「さて……まずは確認だ。これから私が行う質問に、包み隠さず答えるように」
「はい。俺に関することであれば、どんな内容でもお答えします」
ジングへの対処を行うには、情報は多いほど良い。
可能な限り出来ることはやる。
そう思い身を乗り出す。
するとセレンは、意外なことを口にしてきた。
「フラム・アルバレット。君はどうしたいのかね」
「え……」
「え、ではないよ。君はこれから一体、どうしたいのかと聞いているのだ。それがわからなければ、動きを決めることも出来ないだろう?」
「どうしたいか、って……そりゃあ」
質問の意味を理解しかねて、俺は戸惑う。
戸惑いながらも、返事を行う。
「ジングとかいう奴を、俺の中から消すなり、追い出すなり……それがどうしても無理とわかれば、閉じ込めておきたいです。それが出来れば、いままでのように生活できるので」
「うん。順序立った善い回答だね。では、その線でいこう」
頷くセレンの手の中には、筆記用具の類はない。
下手に記録は残さずにおく、ということなのだろう。
言葉にしてみると、自分の希望が酷く都合の良いものに思えてきた。
そう、上手くいくのだろうか。
こうしている最中にも、あいつの『声』が響いてきて――
「心を強く持ち、集中するように。君が弱れば弱るほど、あちらは有利になる」
「……はい。信じてくださるんですね、俺の話を」
「正直、半信半疑ではあるがね。それとこれとは話は別だ。それよりも、話を進めるよ」
「わかりました。ありがとうございます」
「礼は結果を出してからでいい。欲をいえば一度、実際に症状が出ているところを診てみたいところだが……諸々リスクが大きすぎるからね。変に刺激するような真似は避けておこう」
セレンの言葉は、一々もっともだった。
万が一阻害器が通用せずにジングが出て来たら、それはそれでセレンが情報を得ることが出来る。
なにか手掛かりがあれば、それが問題解決の糸口になるやもしれない。
そう思うと、少し気が楽になった。
「ジングという名前は、私の記憶にも、手持ちの文献にも記されてはいなかった。しかしここに時間をかける必要はないだろう。話を聞くに、偽名のようだからね」
「たしかに……その場で思いついた、って感じでした。体を乗っ取る前に考えていなかったようなので、あまり計画性のある相手とは思えませんね」
「同感だね。乗っ取りの手段に関しても、使い方はわかるが手製のものではないようではあるが……うん。やはり、先にそちらについて詰めておこうか」
まずは、乗っ取りの方法に関して。
ジングが口にしていた言葉を足掛かりにするのであれば、そちらに向けた方がいい。
その判断に、俺は同意の首振りで応える。
「フラムくんは、『制約』を利用しての乗っ取りだと感じたようだが。これについては私もそう思う。話し合いを望んできたのも、『制約』を満たす上で言質を取りたいが故だろう。一方的に『支配』出来る状態に至ったのであれば、そんな手間をかける必要もないからね」
「そう仮定すると……術の発動前に互いに約定を結び、それを強制させる感じですかね」
ジングとのやり取りを思い返しつつ、それを口にしてゆく。
出来る限り正確に、謝った情報をセレンに与えないように注意しつつ。
「あの時ジングに『望みを口にしろ、叶えてやる』と言われて……俺が『使っている術を解除しろ』と返して。それをジングが受け入れた時点で、術が解けましたから」
「ふむ。術の解除に至ったのは、それでいいとしておこう。では、そもそも一度体が支配された理由……そこでも何か約束事を口にしていなかったか、思い出せるかね」
「それは――」
ジングが俺の体を奪った……奪うことが出来た理由。
あいつの術が、互いの約定の上で成立すると仮定した場合。
セレンの言うとおりに、最初の時点で俺は知らずの内に『制約』の条件となる言葉を口にしていたのだろう。
更に、条件を絞ってみる。
まずは術を仕掛けた側が対象に向けて『望み、願いを叶える』と口にする。
次に術を受ける側、対象が『望み』を口にする。
そして最後に仕掛けた側が『了承の返事』を口にする。
若干アバウトながらも、その流れであれば……
「たしかアイツ最初に、気分がいいから『何でもお願いしてみろ』とか言ってましたね。それで俺、ちょっとパニくってて……誰だ、って聞いたあとに『姿をみせろ』って言っちゃって。そのあと『承知した』って返事のあとに……体を乗っ取られてました。たぶん……」
「見事に解除に成功した時と、同じ流れだね。暫定だが、これで決まりかな」
ジングが用いてきた『制約』の条件。
三段階で発動するそれの仕組みに対する推定を終えて、俺とセレンは互いに頷きあった。
「まあ、この条件なら『返事を返さない』……つまりは無視を決め込めば、乗っ取りに関しては対策なるね。フラムくんの『声』は届いていても、思考までは読み取れていないことからして、思うだけでは条件は満たせない――と、そこは正に願いたいところだが」
「あー……反射的に思ったことまで条件に入ると厳しいどころじゃないですね。でも、もしまた『声』がしてきても返事はしないようにします。『願い』以外に、なにか別の方法がないとも限りませんから」
「ふむ。たしかに、その可能性はあるか。やはり、実際に一度この眼で確かめてみたいなぁ」
「やめて下さいよ、まったく……」
心底本気で言っていそうなセレンに、俺は苦笑いで返していた。
うん。
ちょっと気が楽になったな。
ジングへの対策方法が、一応でも見つかったというのもあるけど……
「まだ、なにかありそうだね。その様子だと」
「……はい。考えていることがあります」
こちらの表情からそれを察したのだろう。
セレンの促しを受けて、俺は椅子から立ち上がり、口を開いた。
「あくまで、最悪中の最悪に陥る前に、ですが。もしその時が訪れたら」
それは俺がジングに乗っ取りを受けてから、ずっと考え続けていたことだった。
「フェレシーラと……別れようと考えています」
そして『俺はどうしたいのか』という願いとは別の、何よりも優先して念頭に置いておくべき、『俺はどうするべきか』という選択肢だった。