191. 賭け札の行方
わかってはいた。
理屈の上ではわかっていた。
ジングを名乗るこの男は、危険だ。
正体不明。
突然こちらの体を奪ってくる。
そして……明らかに気分屋で軽薄、人の命をなんとも思っていない。
「うむうむ……苦しゅうないぞ。このジング様に任せておけば、この程度のことはチョイチョイのチョイ、ってヤツよ」
そんな奴にフェレシーラを任せるなど、あり得ない。
そもそも彼女は一過性のアトマ欠乏により、体調を崩しているだけだ。
適切な休息をとるだけで改善が見込めるのだ。
それをわざわざ、こんなどこの誰ともしれないヤツの手に委ねるなど、言語道断だ。
しかし……今の俺には、このジングとやり合う必要があった。
故にここからは、最新の注意を払い『声』を投げかけねばならない。
非常に危険な相手だ。
それをいま一度、己に言い聞かせる。
そうしながらも俺は一つの活路を見出していた。
それこそが、俺が賭けに出た根拠だった。
『おい、あまり人の体でベラベラと喋らないでくれ。フェレシーラが目を覚ましたら、あんただって困るだろ。|俺は早く彼女を助けたいんだ《・・・・・・・・・・・・》』
「んお? あー……まあ、それもそうだな。わりぃなあ、久しぶりなモンでつい浮かれちまってよ。なんせ――っと。いけねぇいけねぇ。そうだな、無用なお喋りはナシでいこうや」
『ああ……頼むよ、ジング。俺の願いを、聞いてくれるか?』
久しぶり、そして……なんせ、なんだ?
コイツいま、なにを言いかけた?
いや――いまは集中しないといけない。
俺の予想では、ここが勝負どころだ。
こちらが持ち得る武器は『声』のみ。
それだけで、この状況をなんとかせねばならない。
「おう、いいぜぇ」
直感的に、俺の眼が――フラム・アルバレットの肉体が、眼を細めたのがわかった。
絶対的優位からくる、余裕の現れ。
それもあるだろう。
もしくは獲物を前にした猛禽が、狙い澄ましてそこに飛び掛かる、その予兆なのかもしれない。
ともあれ、ジングが『準備』に入っていたことは予測できた。
「そんじゃまぁ、ここらでキメにいこうかね……さぁ小僧。お前の望みを口にしろ。どんなことであろうと、このジング様が叶えて進ぜよう」
『ああ――』
その言葉を確認して、俺は告げる。
『いますぐ、お前が使っている術を解除しろ』
「よしよし! それぐらい、お安い御用よ――って……へ?」
出来るだけ手短に、そして明確に。
俺はジングへの『お願い』を行った。
それに対してジングは、上機嫌での安請け合いを口にしてきている。
「え、ちょ……おまっ! なに言ってやがんだこのクソガキゃあああぁぁぁ嗚呼っ!?』
途端、診療所に響き渡る絶叫をあげたジングの声が、俺の中でのみ反響する『声』と化す。
「――ふう」
ようやく一息。
俺は『自分の両手』をわきわきと動かして、安堵の溜息をついていた。
『テメェ! 引っかけやがったな! このニ……この俺様、ジング様を! 謀りやがったな、こんの糞餓鬼がぁ!』
「……出来ればこの五月蠅い『声』も条件に入れたかったけど。出来るだけ手短にしたかったし、仕方ないか」
うん。
やっぱアホだわ、コイツ。
見事にこっちの刷り込みに引っかかってやんの。
『テメェ、そこの雌を助けてたいって言ってただろうが!』
「ああ、確かに言った。ただし、『俺は』ってな。あと二度とフェレシーラのことを雌って呼ぶな。殺すぞ」
『ぐぬ……!』
感情任せに言い放った根拠のない警告にも、ジングは歯噛みするような『声』で返してくることしか出来ない様子だった。
よし。
まだコイツ頭に血が昇ってるな。
仕返しも兼ねて、いまの内にもう少し探りを入れておくことにしよう。
「てか、お前の『支配』って欠点だらけだな。式が丸わかりで騙すのも楽勝だったぞ」
『うるせぇ! んなこと俺様が知ったことかよ!』
「へぇ。他人が作った式に頼ってたってことか。そりゃあ条件達成への誘導も下手くそで納得だ。次はもう少し上手くやれよ、自称ジングさん。ま、次があればだけどな」
『んだとゴルァ! テメ、いまに見てやがれよ! 次にその体を乗っ取ったら、そこの……ああと、フェレシーラさんから血祭りにあげてやるからな!』
微妙に丁寧になってんなよ、アホ。
しかしちょっとばかり鎌をかけすぎた。
頭の中でギャンギャン喚かれて、うるさいことこの上ない。
いい加減イラついていたから、煽りまくりになってしまったのは仕方ないけどざ。
まあ、しかしなんとかこの場は上手く凌げた。
情報も追加で多少は掴めた。
どうせなら、忘れないうちにお浚いしておくか。
「ええと……なんて言ってたっけ、お前。素直に育ったとか、話し合いをして体を返すとか、力を貸す約束とか……あとは、久しぶりとかも言ってたな。手掛かりになりそうなのはこれぐらいか」
『あぁん? テメ、イチイチ細かく覚えてんじゃねえぞ! 手掛かりたぁ、なんのつもりだッ!』
「なんのつもりって。そりゃ決まってるだろ……『お前を俺の中から』消すための手掛かりだよ」
『な……テメこのチビガキ! 言うに事を欠いて俺様を消すだと!?』
「うっせ、チビいうな。アホのくせして大きなお世話だ」
『んだと――!』
尚も喚き散らすジングに辟易としつつ、肩をコキコキと鳴らす。
やはり、問題なく体は動いてくれている。
今のところ、再び乗っ取られる兆候もみられない。
「フラ……ム?」
体の調子をたしかめていると、寝台のほうから声がやってきた。
みればフェレシーラが薄目をあけて、不安げな表情をみせていた。
「あぁ、ごめん……フェレシーラ。うるさかっただろ? 疲れているのに、わるかった」
「ううん。だいじょうぶ……そばにいてくれて、ありがとう……」
「どういたしまして、だ。もう暫く、休んでいてくれ。いまセレンさんを呼んでくるから」
「うん、わかった……」
こちらの言葉に、フェレシーラがこくりと頷いてくる。
普段よりも明らかに幼い口調なのは、まだ意識がはっきりとしていないせいだろう。
「はやく、もどってきてね……」
「ああ。すぐ、戻る」
揺れる亜麻色の髪を優しく撫でつけて、青い瞳に微笑みかけてから……
俺はセレンの元に向かうために、足早となり診療所を後にした。
「お願いがあります。俺を監視していて欲しいです」
「――ふむ」
診療所を出てすぐに『探知』を探ると、すぐに翡翠色に輝くホムラのアトマが視てとれた。
それを頼りに向かった先は、昨日陣術の説明にも用いた学習室。
そこでセレンは、ホムラを膝に抱えて安楽椅子で寛いでいた。
「白羽根殿がアトマ欠乏症を起こしたことは把握したが。いまの話について詳しく聞いても善いかな? さすがに唐突なのでね」
「つい先ほど診療所で、正体不明の何者かが、俺の体を乗っ取ってきました。おそらく限定的な『支配』か……今にして思えば『制約』の、どちらかの術を使っています。一旦は条件を逆手にとって体を取り戻せたので、術者側にも効果が及ぶ『制約』である可能性が非常に高いです」
「ほう……よく独力で対応できたね。術法式を解析したのかい?」
「いえ、こちらは相手にしか聞こえない『声』しか出せなかったので。当たりをつけて、相手の縛りを利用しました。具体的には、『願いを叶えてやる』と口にさせてから術の解除を要求しました」
「ん? よくそれで相手が応じたね。察するに……アホかな? その『声』の相手は」
「ええ。アホでした。それもかなりの。それと、さっきまでは五月蠅いぐらいに頭の中に響いていたアホの『声』が、いまは途絶えています」
「なるほど」
ぎしりと椅子を軋ませて、セレンが暫し瞑想に耽る。
ちなみにパトリースは食堂で昼食の準備に取り掛かってくれているらしい。
出来れば巻き込みたくはなかったので、二重の意味でありがたい。
「ふむ……非常に興味深いね。よろしい、協力しよう。だかまずは白羽根殿の容態を診ねばならん。落ち着くまでは、彼女には一旦話を伏せておくとして……合間合間で話を聞かせてもらうよ」
「ありがとうございます……!」
「ピ!」
こちらが深く首を垂れると、それに合わせるようにホムラが声をあげてきた。
これでジングが俺の体を乗っ取った際の、保険が一つ出来た。
後はフェレシーラの回復を待ち、どう話を切り出すかだった。
その後のことを考える余裕は、まだありそうになかった。