189. 『現出』
本音を言えば、焦りはあった。
出来るだけ確実に素早く、フェレシーラに元気なって欲しい。
その為には、セレンの知識と力を借りるのが、現時点では最も効果的であり、かつリスクもない。
それを実行に移すことは簡単だ。
おそらくセレンはパトリースと共にホムラの面倒を見ながら、俺とフェレシーラが戻ってくるのを待ち構えている。
もしかしたら、様子ぐらい探りにきているかもしれない。
彼女もまた、眼鏡型の術具の力を借りて他者のアトマを視認することが可能ではあるが……
実際に使ってみてわかったのだが、『探知』の術効で視ることができるのは、対象が解き放とうとしている『瞬間的に消費しようとしているアトマ』のみなのだ。
つまり、相手が潜在的に秘めているアトマまで感知することは出来ない。
もしそれが可能であったのならば、セレンが『大地変成』の陣術を発動させた際に見せた、あの黒い膨大なアトマを先んじて観測することが出来ていただろう。
しかし実際には、それは不可能だった。
平時から人が纏っているアトマの量には、当然個体差があるが……
アトマ欠乏症により倒れる前のフェレシーラは、傍から見ている分にはそれまでの彼女とそう変わらぬ量のアトマを身に纏っていた。
なので推測ではあるが、彼女が倒れることは例えセレンが術具を用いていたとしても、予期できなかった筈だ。
「有耶無耶にしたいっていう考えは、本当は良くないんだろうけどさ」
「……?」
思わずそんな言葉を口にしたところで、フェレシーラが薄く目を開いてきた。
ぼうっとして視線を彷徨わせる彼女の額に、俺はそっと掌をあてる。
安心したかのように、瞼がゆっくりと伏せられた。
熱は出ていない。
むしろこちらの方が高いぐらいだろう。それぐらいは確かめるまでもなく、わかる。
呼吸を落ち着けて、精神を集中させる。
フェレシーラにアトマを分け与える。
理屈からいえば、十分にそれは可能だ。
俺が先ほど不定術法を用いて彼女に施した『体力付与』で活力を分け与えることと、そう大差はない。
実際のところ神術には、アトマを付与する術法も存在している。
やることは単純。
一つの力を、自分の元から他に移すのみ。
ただ、それまでの不定術法とは違うのは、『明確な模倣元となる術法式』を俺が知らない、ということだ。
当然、術効を発露させるための難易度は跳ね上がる。
よしんば発動にまで漕ぎつけたとしても、殆ど効果がなかった、という可能性もあるだろう。
『迷いは捨てること。これは術法を扱う上で、最も基本的で、最も大事なことです』
まだ俺が幼き頃。
師匠に弟子入りして間もないある日、彼女に教わった言葉が脳裏に蘇ってきた。
……うん。
ごちゃごちゃと考えるのは、もうやめだ。
手甲のスリットに収まる霊銀盤に、意識を集中する。
俺が組み上げるべき術法式。
己がただそれだけを完遂する、一つの術具であると仮定する。
「我が魂は汝のアトマなり。我が源は、汝の力なり――」
用いる呪文の詠唱は、『体力付与』のそれと同様の形式。
その上で、術法の対象へと与え捧げる力を自身の活力から魂源力へと置き換える。
「起きよ、承けよ、結実せよ――」
起承結。
師『煌炎の魔女』マルゼス・フレイミングと『白羽根の神殿従士』フェレシーラ・シェットフレンの導きにて掴み得た、超常神秘の御業へと至る術。
それを成そうとしたとき、俺の頭の中にあったのは『術法式の組み方』だとか『アトマの操り方』などではなく……只々只管に、『目の前の少女の力になりたい』ということだけだった。
『きっと貴方は、立派な魔術士になれますよ』
光が溢れるのがわかった。
赤い光。
温かなアトマの煌めく光……俺自身の身体から溢れ出る魂の光が、目の前で横たわる少女の全身を包み込む。
成功した。
そう思ったところで、なにか引っかかるものがあった。
微かな違和感。
それを探り当てようと、俺は左手一つで式を維持しながら立て続けに右手にて『探知』の霊銀盤を作動させる。
想定外の術法の動き。
それ自体は織り込み済みだ。
オリジナルの術法式を学んだわけでもなく、聞き齧った効能のみを発露させるとなれば、言うまでもなくその難易度には天と地ほどの隔たりが生まれてきて、然りだ。
右に神経を注ぎ込み、疑似的なアトマ視でもって少女の全身を視る。
フェレシーラの身体を微かに覆う魂の輝き――純白のアトマと、俺の注ぎ込もうとしている赤いアトマが、微かにせめぎ合っているのが視えた。
それを視て、俺は推測を行う。
人の持つ活力とは違い、アトマには固有の波長のようなものがある。
俺が常日頃アトマを分け与えているホムラには、セレンが生み出した『支配の法』を改良した魔術的な繋がりが、バーゼルによって刻まれている。
しかし、フェレシーラはそうではない。
彼女には俺との間には、魔術的な繋がりは存在しない。
それを認識した瞬間、左手の力が弱まるのがわかった。
「……!」
迷いが生じた。
俺では無理なのだという、俺には彼女との繋がりはないというその事実が、迷いとなって式を乱した。
「まだだ……!」
一体お前は、なにをそんなに剥きになっているのだと、頭の片隅からそんな声が響いてきた。
その通りだ。
ちっぽけなことに拘りすぎだ。
この場はセレンに……俺以外の誰かに任せてしまえばいいだけの話なのだ。
それを俺は、なにをこんなに必死になっている?
なぜにこんな危ない橋を渡るような真似を仕出かしている?
万が一、術を暴走させて溢れ出したアトマが彼女の身を襲う可能性だってあるのだ。
制御が不可能になれば、アトマを光波として放つのと変らぬ結果ともなりかねないのだ。
『くく』
不意に何処かから、声が響いてきた。
『わかるぜ、小僧――』
低く掠れた、底意地の悪さを感じさせる声。
『いままで延々と、くっだらねぇモノを散々見せつけられて……いい加減、ウンザリしてたところだがよ』
あいつだ。
ここに来てから、何処からともなく一方的に俺に話しかけてきていた、男の声。
『初めてテメェの気持ちってヤツが、俺様にもわかった気がするぜ。くく……』
視られている。
だが、何処から?
一体なんのために?
いや――それよりも危険な状態だ。
正体不明の相手に、こちらの様子を探られている。
しかもそいつは、『俺の気持ちがわかる』などという、ふざけたことを口にしてきている。
明らかな異常事態にして、非常事態。
今すぐ手甲の操作を解除してフェレシーラを守れ。
『おいおい。そうビビんなって、小僧。うぉれ様はいぃま、とおぉーーーーーても、いい気分! ってぇヤツだからよぉ。なんでもお願い、してみな?』
まるで足元から全身に……心の臓、魂までに絡みつくてくるようなその声に、言い様のない怖気が走る。
「だ、誰だお前!? こそこそ隠れてないで、姿を見せろ!」
『――承知した』
反射的に発した誰何の声には、低く、短い『声』が返されてきた。
『力を貸してやる』
不意に、声が近くからやってきた。
その源を探ろうと首を巡らせようとするが、体が動かない。
「ま、この場は大船に乗ったつもりで任せておけや……くくく」
今度の声は……俺自身の喉奥から、漏れ出でてきたモノだった。
『君を探して 白羽根の聖女と封じの炎』
七章 完