184. 完全詠唱
開始円を中心に風が吹き荒れる。
「おや……もう始まっているとはね。これはなにかあったかな、パトリース嬢」
「セレン様!」
試合場と通路を繋ぐ扉をすり抜けるようにして、セレンが姿を現すのが視界の片隅に見えた。
「うん? これは嬢が書いたのかい? 悪くない防壁陣だ。停止機能とアトマの消費配分は、フラム君が追記したのだろうが……陣の起動も嬢が成功させたのかね?」
「あ、はい……詠唱は昨日の内に覚えておいたので、テストとして――って、そんなこと気にしてる場合じゃないですよ! あの二人! フェレシーラ様と、フラムが!」
「ピ! ピゥー……ピピッ!」
ホムラの鳴き声が再び閉ざされた試合場に反響する。
それを打ち消すかのようにして、足元で『光弾』が爆ぜた。
こちらの行く手を先回りしての、フェレシーラが放ってきた牽制の一撃。
そこに俺は構わず踏み入る。
連射はしてこない。
右手に神経を集中して『探知』の効果を継続させる。
予想を裏切られて焦りが生じたのか、はたまた単純に視界を確保しにきたのか、フェレシーラの構えた小盾が、一瞬、その守りを解いてきた。
すかさず、俺は蒼鉄の短剣を閃かせる。
距離は2mほど。
当然、こちらの刃が届きはしない。
実体を持った刃であれば、だが。
「はッ!」
気合の声と共に振り抜かれた蒼刃より、アトマの波濤が解き放たれる。
「……くっ!」
悔し気な声と共に盾が跳ね上がり、光の波を受け散らす。
速度重視のアトマ光波。
威力は出せずとも、直撃すれば無傷とはいかない。
少なくとも防御を意識させることはできる。
「賢しい真似をしますね」
「そこは器用な真似を、っていってくれよな……っ」
整った面立ちに微かな苛立ちの色を浮かべてきた少女に、俺は抗議の声で返す。
短剣を用いたアトマ光波と『探知』の術具の併用。
昨日の手合わせの時点の最中にも、そのコンビネーションも考えてはいたが……
実際にやってみるとなると、これが中々に難易度が高かった。
短剣を扱うのも、術具を使用するのも、共に右手側。
単純に得物を振るうのであれば『探知』を持続させつつ、というのも不可能ではない。
だが、これがアトマ光波を繰り出すとなると話が違った。
「いまのところは、『探知』を一瞬切るしかないかな……」
「なるほど。光波を同時に用いるのは流石に無理がある、と」
「あ」
やっば、まず……!
「教えていただき、感謝です!」
こちらが『光弾』が飛んでくるタイミングを察知しつつ、光波による突進防止を繰り出せないことを理解したのだろう。
構えた盾から『光弾』を撒き散らながら、フェレシーラがこちらに突っ込んできた。
「のわっ!?」
石床を爆ぜ飛ばすアトマの炸裂を、俺は転がるように左に跳んで回避する。
ごちゃごちゃと悩んでいる間に、考えていることを口にしてしまっていたらしい。
独り言が多いのは悪癖。
常々そう思ってはいたけど、大事な場面で実際にやらかすと命に関わるなコレ……!
てかコイツ、なにげに盾を通しても『光弾』の連射ができるのかよっ。
どんだけ習熟してればそんな芸当ができるんだか、皆目検討もつかないんですけど!
「なるほど、その慌てぶり。引っかけの可能性も考えましたが、現状嘘ではないようですね」
「ひっかけって、おま……あ、いや、その手もあり――なのか?」
「やめてください。口先だけで相手をどうにかしようだなどと、見苦しい」
戦鎚を縦に一振り、フェレシーラが断じてきた。
うわ、きっつ。
なんだか知らないが、今日の彼女はマジで当たりが強い。二重の意味でバチバチだ。
というか、特訓の始まり方からして滅茶苦茶すぎる。
昨日の夕方に話した時点では、今日の特訓はまず軽く初日の反省点を洗い出してから、それを念頭に手合わせをしていく……という手筈だった。
いまは受けが主体となっている俺も、攻め手を増やしていったほうが良い。
となれば、必然的に出番が出てくるのは術法、アトマに依存した中距離攻撃だ。
その使用に際して、周囲への被害を抑えるための陣術によるフォローも必要となる。
そちらをパトリースとセレンに任せるために、軽い打ち合わせもやっていこうと決めていたというのに……
「蓋を開けてみたら、これだもんな……っとぉ!」
ふたたびやってきた盾突進に対しては、相手の左手側へと避けてゆく。
少なくとも、これで右手に構えた戦鎚による追撃は……!?
「ちょこまかと! いつまでそうして逃げ回る気ですか!」
猛禽の如き青い眼差しが、こちらを射抜く。
その鋭さに一瞬足が竦みかける。
逃さず、フェレシーラが猛進してきた。
「このフェレシーラを――白羽根の名を、舐めないでください!」
突進方向をほぼ直角に修正しての、強引な追撃。
白き従士の背に、翼が広がるようにして光が瞬くのが視えた。
「く――おぉ!」
軌道修正。
それも自身の背後へと反動制御抜き、威力向上を施した『光弾』を炸裂させての超が付くほどの強引な軌道修正による、連続突進。
それを寸でのところで理解して、俺は即座に地を蹴る。
アトマを練り込む余裕はない。『探知』も解除するしかない。
ただ、己が肉体を梃子と化して宙高く舞う。
白き羽根の輝きが、石床に別れを告げた合皮の革靴の、その先端を掠め焦がす。
無詠唱で放たれた大出力の『光弾』の余波。
その力の奔流が、ただそれだけで試合場そのものを揺るがしていた。
「きゃ……!」
「ピピッ!?」
「いやはや……これは準備をしておいて正解だったね。そして何気に、白羽根殿はブチ切れていやしないかい?」
背後であがる声に安堵しつつも、俺は空中で身を捻る。
危ないところだったが、あちらも無理矢理に軌道を変えてきただけあって、突進速度、正確性、共に完璧な一撃ではないことが幸いした。
とはいえ、勘付くのが遅れては危うかっただろう。
ここまでは『探知』によりアトマの動きを掴み、受けに回るというパターンを徹底していたが、それが通用しなかった。
フェレシーラ自身が放っていたアトマの輝きが、俺の『疑似アトマ視』ともいうべき『探知』の術効を欺いていたのだ。
「なるほどな……自分のアトマを隠れ蓑に『光弾』の初動を視えなくしてきたのか! 流石に弱点もわかってるな、本家本元ってヤツだけあってさ!」
宙にあってはそうやれる事もない。
そんなこちらの反応を見てとったのだろう。
「いまのも躱しきりましたか。本当に、よく動きますね。言うだけのことはある……」
地より振り向きざまに、フェレシーラが両手を前へと突き出してきた。
「ですがそれも、ここまでです」
同時に、その身に纏うアトマが膨れ上がる。
わざわざ『探知』を発動させる必要すらない。
詠唱を用いての、全力での術法攻撃。
その予兆を見てとり、俺は短剣を握りしめて投擲の構えへと移行する。
「万物の魂源、その主――」
響く詠じの声。
直下に迫るは、大きく抉られた石の床。
てか、コイツ……この位置関係!
「光輝司りし、勝利の女神よ。我に仇なす者に光もて」
完全なる詠唱を経ての『光弾』の一撃。
その進路上には二人と一匹、防壁の陣を受け持つ人影がある。
「あんの、馬鹿……!」
悪態と共に左手に力を籠めて、俺はアトマを炸裂させる。
着地すれすれにあった体が、大きく右へと弾ける。
これでもう投擲狙いは不可能になった。
少女の手が、ゆっくりとこちらに向き合わさってくる。
「うん。やっぱり、そうしてくれましたね。連発はまだ無理なのに。貴方こそ、馬鹿ですよ」
にっこりと、だが悲しげに、少女が微笑むのがみえた。
「戦神よ――薙ぎ払え」
右から左に閃光が押し寄せてきた。