141. 『挑発』
「一応言っておく。遠慮はするなよ」
「遠慮? 手加減するなって話か? 俺が、あんたに?」
「そうだ。まだ貴様には術法があるのだろう? ああ……練習用の武器を指定したことは気にするな。こちらも隠し玉は披露した。今更なにが飛び出たところで、お相子というものだ」
「それは……あんたが勝手にやったことだろ!」
気さくな青年を演じてきたハンサの剣を、俺は声を荒げて押し返しにかかる。
当然その反発は、己への不甲斐なさからきたものだ。
言わせておけば、随分と好き勝手に言ってくれる。
そんなに簡単に魔術が使えるのなら、そもそもこんな苦労はしていない。
天賦の才だなどと言ってもいたが、それも気に食わない。
如何に強いアトマを持ち扱えたところで、肝心の術法式を実行出来ないのであれば、さしたる意味もないのだ。
超自然の力を自在に操り、神秘奇跡の域へと足を踏み入れる――そうした魔術の御業には程遠い、力技だ。
……まあ、接近戦での選択肢が増えたのは、ありがたいと言えばありがたいけど。
「ふむ。気乗りはせん、ということか。ならば……その気にさせるまでだ!」
それまでの鍔迫り合いから一転、ハンサが右手で剣を引き、それと入れ替わる形で左の裏拳を見舞ってきた。
「ぅお、っとぉ!」
こちらはそれを、前のめりになりかけていた上体を無理矢理後方へと逸らすことで、なんとか躱しきる。
自身が想定していたよりも速く、勢いのある――いや、勢いを殺しきれない動きだ。
一瞬、俺は躊躇う。
しかしそれを押しのけて、己の中の何かが「ゆけ」と命じてきていた。
「――っ!」
その声に、反り返りかけていた上体が後ろへと跳ねる。
つられるように、両脚が地を蹴る。
右腕が無意識のうちに動いて、長剣を肩に担ぐ。
全身が、後方へと跳ね飛ぶ。
打撃を回避した勢いに抗わず、後方への宙返りを打つ。
衝動に任せたその一連の動きの最中、俺の体の奥底から、再び湧き上がってくる感覚があった。
「ほう……!」
体を毬のように畳み込み、空中での一回転を果たした俺の耳に、驚嘆の声が届いてくる。
それを追うようにしてやってきた甲冑の擦り合わさる音を、鼓膜が捉える。
ハンサが追撃の体勢に移行している。
手足だけでなく、己の聴力も鋭敏に機能していることがわかった。
おそらくは、それ以外の力も。
肉体が自在に動く。
意のままに動かせる。
これまではなんとなく無意識に、漫然と行ってきたものとは明らかに異なるその手応えが。
強烈な生への実感が、思考を越えて俺の体を衝き動かしていた。
空を裂き、剣が横薙ぎに振るわれてくる。
宙にあった俺の、無防備な体へと目掛けてだ。
目で捉えていたわけではない。
ハンサの放つ気迫とアトマの流れを、臨戦状態となった俺の肌が知覚してのことだ。
喰らえばただでは済まない一撃に対して、俺の体は宙にあるままだ。
誰の目にも明らかな直撃コース。
再びの窮地。
そこに、声が飛んできた。
「フラム!」
フェレシーラだ。
堪えきれず、といった感のある叫び声に応じるようにして……俺は自由にしていた左手へと全神経を集中させて、それを瞬時に解き放った。
「ハッ!」
解放の気勢と共に、閃光が瞬く。
光の波動が、宙で炸裂する。
横手に突き出した左腕の先で爆ぜたそれは、俺の発したアトマそのものだった。
「ぐ――っ!」
まるで左手側から見えない何か押し飛ばされるようにして、体が右方向へと弾ける。
「なにっ……!?」
驚愕するハンサの声に、斬風が続く。
ざまぁみろ。
見事なまでの空振りだ。ざまぁみろ。二度続けての取り逃しだ。ざまぁみろ……!
そんな子供っぽい達成感に浸りながらも、俺は空中で身を捻る。
素手でのアトマ光波を撃ち出した際に生じる反動を利用した、強引極まりない回避行動。
それに伴い、こちらの体は見事に試合場を跳ね飛んでしまっている。
着地の必要があった。
それも、驚くハンサの隙に付け込めるだけの、完璧な着地の必要が。
眼を動かして、可能な限りの情報を集める。
己より見て左側、やや下方向にて。
剣を振り切った男の姿が、こちらの視界に映り込んでいた。
それで自身の体が、想定していたよりも高所にあることも把握出来た。
縦方向に3m、横方向に10m。
位置関係はそんなところか。
想定していたよりも、相手と離れてしまってはいたが……それならそれで、利用もできる!
「ハンサ・ランクーガー!」
来たる着地の瞬間に備えつつ、俺はその名を叫ぶ。
そこにハンサが向き直ってくる。
重量のある甲冑を纏っていることが仇となり、一瞬では削りきれない距離だ。
てか、ほんとに勢いありすぎたな!
光波の扱いに不慣れなのもあり、勢いあまって場外に飛び出してしまうところだった。
というか、角度がもうちょいズレてたらヤバかった。
下手すりゃ壁に激突して自滅だったな、これ……!
しかし今回は、そんな派手な動きが功を奏した形だ。
予想外の動きをとったこちらに対して、ハンサも即座に対応出来ずにいる。
再び詰め寄り、積極的に攻めかかるべきか。
それとも一旦は様子を伺い、動きを見切ることを優先するべきか。
中途半端に持ち上げられた剣先が、彼の迷いを如実に伝えてきていた。
「もう一度だ!」
そんなハンサの思考を、俺は誘導しにかかる。
わざわざ博打じみた動きで意表を突きにかかったのは、そのためだ。
必死に攻撃を避け続けたところで、相手は止まってもくれない。むしろ調子づくだけだ。
だからまずは、守り一辺倒の流れを断ち切る。
だが、如何に予測不能な回避をしてみせたところで、それだけでは足りない。
ハンサをこちらの思惑に乗せるには……彼のプライドを、大いに逆撫でする必要があった。
「もう一度、撃ってこい!」
ハンサが口にしていた言葉を借りての、挑戦状。
いわゆる一つの意趣返し。
「あんたの奥の手、アトマ光波とやらを……今度こそ、完璧に破ってみせる!」
その宣言と共に、俺は石床への着地を果たす。
再び地を踏みしめた両の爪先が、肩幅よりも広いスタンスを取り、次なる激突の瞬間に備える。
見ればハンサは、無言で剣を構えていた。
こちらを真っ向に据えての、正眼の構え。
屈強なその体から、激昂を迎えた戦士の気迫が立ち昇る。
技に完璧などない。
完成などない。
優れた戦士であるハンサは、それを知っている。
故に彼には、積み重ねた技への誇りと意地、矜持がある。
それをぽっと出のガキが、完璧に破ってみせると言い放ってきたのだ。
やれるものなら、やってみせろと。
迷いを捨てた剣先が、その意思を示してきた。
「はは……っ!」
来た。
乗ってきた。
こちらの挑発に、乗って来てくれた。
ありがたい。寒気がする。
初夏の室内だというのに、刺すような敵意に肌が泡だっている。
だが、それもこれもすべては己が招いた事態だ。
今更尻尾をまいて逃げ出すわけにもいかない。
次こそ、本気の一撃がくる。
術士がその一念を賭した詠唱をもって、術法式を練り上げるように。
戦士であるハンサが最大限の力をもって、アトマの波動を――魂の輝きを、真正面から叩きつけにくるのだ。
……もしかしたら、このアトマ光波というものを昇華させてゆけば、『浄化』の域にまで届くのではなかろうか。
不意に脳裏を掠めたそんな推測に、戦槌を携えた白羽根従士の後ろ姿が連なり浮かぶ。
「いやいや……こんなときだってのに、なに考えてるんだよ俺は……!」
我ながら、迫る無形の脅威を前にして突飛すぎる連想だ。
集中力を欠いているのかと、疑いもするが……
それにしては、いやに気分が落ち着いていた。