119. 種族長 - 神への願い -
神の去った世で、残された人々は大地を公平に分け合い暮らし始めた。
五つの番たちはそれぞれの男女が種族の長となり、子を成し集落を築き始めた。
そうして産まれた子らは皆、百の時も生きぬほどの短命であった。
だが、アーマに選ばれた十人の種族長は力があり、決して老いず、そして長命だった。
荒廃で生き延びた獣は強靭で恐ろしかったが、彼ら彼女らは力を合わせて子らを守った。
そうする内に、五つの種族はどんどんと数を増していき……
やがて、神の去った世で彼らは、子らに神と呼ばれ始めた。
初めの内、種族長らは皆そう呼ばれることに否定的だった。
「我らは神に非ず。神はアーマさまとゼストさまのみ。不心得を起こしてはならぬ」
そう言って彼らは、己が子らを諫めていた。
子らは長の言葉に従い、大地に種を蒔き、村を作って平和な暮らしを送っていた。
だがそれも……長くは続かなかった。
増えすぎた五つの種族は、やがて分け合った領地を越えて、諍いを起こし始めたのだ。
種族長たちは心を痛めた。
神々の争いによって刻まれた世界の傷が、ようやく癒えようとしていたのに……なぜ我が子らは、争いを起こしてしまうのか。
それは彼らが、神より学んだものたちであったが故の、結果だった。
五つの種族長たちは、アーマとゼストが自分たちに向けた助けの手を、忘れてはいなかった。
それ故、彼らたちはアーマを助けることを思いつき、黒胡桃の樹を武器に仕立てあげたのだ。
そう。
彼らは、『助ける』という行為と同時に、『争う』という行為を目にしていたからこそ。
アーマの為に『助ける』ために『争う』ための武器を渡そうと考えるに至っていたのだ。
そんな種族長たちの血を継ぎ崇めていた子らは、事あるごとにアーマとゼストの偉大さを教えられてきた。
故に子らは皆、『助ける』ことと『戦う』ことの価値を理解していた。
長たちは、暗澹たる思いに陥った。
自分達が健在である内は、まだいいだろう。
だが、如何に力があり長命ではあっても、神ならぬ身。
不滅の神とは違い、その命は有限なのだ。
その命が尽きたときに、果たして子らは争うことなくやっていけるのか。
そしてそんな自分たち種族長までもが、いつ心変わりをして争いを起こし始めないとも思えなかったのだ。
「一度、子らのいない場所で。我ら長のみで話し合おう」
人の長の呼びかけの元、彼らは数百年ぶりに集まり話し合いを行った。
場所はゼストが蓋となった、奈落に続く大穴の傍。
彼らがアーマに名を与えられた地だった。
初めに、狼王と呼ばれていた獣人族の男長がこう言った。
「我ら獣人は荒々しく、子を多く産む。ゆえに食料を多く必要とし、奪おうとする」
長く真っ白な耳を生やした兎人族の女長は、こう訴えた。
「我ら兎人は知恵に優れ、作物を多く育てる。ゆえに田畑を多く必要とし、奪おうとする」
黒髪黒目の人族の男長は、こう呟いた。
「我ら人は手先が器用で、道具を多く作る。ゆえに原料を多く必要とし、奪おうとする」
有翼有角の竜人族の女長は、こう嘆いた。
「我ら竜人は子が出来にくく、大事にする。ゆえに財を多く必要とし、奪おうとする」
最後に、筋骨隆々巨漢の鬼人族の男長はこう叫んだ。
「我ら鬼人は力比べが好きで、宴ばかりしている! ゆえに酒を多く必要とし、奪おうとする!」
種族長たちは日頃溜まった愚痴を言い合いながら、酒盛りに興じた。
創造神の無理難題に、怯えてながら暮らしていたこと。
双子の神に救われて、その優しさと勇気に心から敬服したこと。
彼らと別れて、このアルスルードで生きてゆくと、覚悟を決めたときのこと。
日も暮れて焚火の前で輪を作り、最早自分たち以外は、誰も知らぬ日々を思い返している内に……
人の男長が、ポツリと呟いた。
「なあ皆……アーマさまとゼストさまの元に行きたくないか?」
他の長たちはその言葉にぎょっとして、手にした盃を落としかけた。
そんな勝手なことは、自分たちには出来ない。
双子の神との約束がある。
沢山増えた子供たちもいる。
手塩にかけて復興させた土地もある。
反対する理由は並べきれないほどあった。
だが、誰一人として、その呟きを否定できなかった。
「しかし、行くと言ってもどうするのですか。あの御二方が向かわれたのは、我らの手が届く場所ではありませんよ?」
「たしかに兎長の言うとおり、アーマさまの昇られた天の頂に昇ることは不可能だろう。だが、ゼストさまの降りられた地の底であれば不可能ではあるまい」
「なんと……まさかお主、その為にこの場で会合を」
「そうだ、竜長よ。ここであれば、ゼストさまが作られた奈落の蓋を開いて地の底に向かうことが出来る。そして残りたいものは地の底に留まり、天の頂きへと昇りたいものはゼストさまにお力添えを願い、地上の惨状を憂う者は助力を嘆願すればよい。違うか?」
「それはそうかもしれないが……ゼストさまが地の底で健在である保証はあるのか? あの禍々しい瘴気の毒が噴き出す地の底で」
「うむ。獣長のいうとおりじゃ。儂ら鬼族ですらあの瘴気に当てられると、酒も喉を通らなくなってしまうからの……正直不安じゃぞ」
「大丈夫だ。姉弟神は仰られた。天と地よりこのアルスルードを襲う困難から守護してくださると。そしてあれから、世界は荒廃することなく復興を遂げている。そのことが御二方が健在を示すなによりの証であろう」
数々の問答に人の男長が答えてみせると、皆が再び押し黙った。
「危険ではありませんか」
「そうだ。塞がれた穴を開けば、あの毒がまた世界を覆いかねんぞ」
「それに、神の御加護なしに我らが地の底に辿り着けるとも思えないぜ」
「そもそもどうやって儂らで奈落の蓋を開けるのじゃ? 神の力で閉ざされたというのに」
しばらくすると、兎長、竜長、獣長、鬼長の順で。
種族長たちが次々に質問を投げかけ始めたが……既にその内容は、『自分たちが奈落を降りて行くとしたら』というものに変じていた。
「案ずることはない。神の力で封じられたのであれば、神の力で破ればよいのだ」
人の男長はそう言うと、身を乗り出してきた彼らの前に大きな袋を置き、中から一本の黒っぽい杖を取り出してみせた。
「これは……もしや、アーマさまの使われていた」
「そうだ、兎長。私と私の子らが、この地に生え茂った黒胡桃の樹から作ったものだ。道具の作成は、元より人族が得意とするところだからな。地上に満ちたアーマさまの力を拝借出来るよう、仕上げてある。これで奈落の蓋に通り道を開けてみせよう」
そう言うと、彼は幾つかの約束事を付け加えた。
一つ目は、奈落の蓋を壊すのは自分であること。
二つ目は、奈落の瘴気が酷ければ自分が身を挺して塞ぐこと。
三つ目は、奈落の様子を見てくるのも自分が引き受けるとのこと。
黒胡桃の棒を握りしめた彼の誓いに、全員が納得するしかなかった。
すべての危険を引き受ける。
あまりにも、虫の良い話ではあった。
だが、人族の権勢は他の種族から見ても明らかに強く、その上に長である彼がアーマの武器を模した『神器』まで得たのであれば……
誘いを断れば闘いになりかねず、もしそうなれば自分たちも無事では済まないだろう。
しかし彼の提案を承ければ、それは避けられる。
それに、もしも不都合があれば真っ先に彼に降り注ぐのだ。
皆内心で、そう悪い話ではない、と思った。
「異論はないようだな。では、さっそくやるとしよう。もしも私がすぐに帰って来なければ、そのときは皆で力を合わせて蓋を塞いでくれ。頼むぞ」
閉ざされた大穴に人長が手にした黒胡桃の杖が叩きつけられると、すぐに亀裂が入った。
瘴気が溢れてくる気配もない。
二度、三度と繰り返されると、蓋に彼が通れるほどの隙間が出来た。
「これ以上壊す必要もないだろう。では行ってくる」
「まて、お主……その杖は、持って行かぬのか?」
「おかしなことを言うな、竜長よ。私はいまからゼストさまに、お願い事を申し上げに行くのだ。武器など携えていては不敬となってしまうだろう?」
「それはそうだが……もしも他のものが、その棒を奪いでもしたらどうするつもりだ」
「なに、書いてある文字が読めなければただの棒だ。心配することはない。ああ、そうだな……それは私の番いに渡しておいてくれ。彼女なら悪用することもないだろう」
人長の言葉に、皆は互いに顔を見合わせた。
そして蓋の隙間から奈落へと降りて行った彼を、固唾を呑んで見送った。
しかし……待てども待てども、彼が奈落から戻ってくることはなかった。