115. 『欲求』
「申し訳ありません。この試合は、私のほうから頼んで貴方に挑んでもらったのに……こんな愚痴愚痴と、責めるようなことばかり口にしてしまって……」
「責めるって……事実だと思うけどな、俺は」
またも謝罪を行ってきたフェレシーラに、俺は頬を指で掻きながら答えた。
「ミグにもイアンニにも勝てたのは、正直まぐれっていうか……向こうは得意な武器も使ってこなかったわけだしさ。それで俺もちょっと、負けるわけにはいかないかなって思って、欲が出たっていうか」
言いながら、俺はイアンニの言葉を思い返す。
ハンサには気をつけろと、彼は言ったが……
それはつまり、この試合に対する俺の積極性を見抜いての指摘なのだろう。
その結果、フェレシーラに心配をさせ過ぎたことは反省すべき点だ。
「違うのです。私が言いたいのは、そういうことではなくて……その……」
「……? なんだよ、そんなに言い淀んで。あ、もしかして副従士長との試合では、もう無茶せず受けに回っておけってことか?」
そもそもこの模擬戦は、明日から始まる俺の特訓に活かすためのデータを集める為なのだから、それも妥当な指示だ。
だがそれを踏まえてのこちらの言葉にも、彼女は物憂げに瞳を伏せ、静かに首を横へと振ってきた。
その仕草は、俺が知るフェレシーラのものとはかけ離れている。
「もう、試合はここまでにしておきましょう、フラム。これ以上の戦いに意味はありません。私からハンサにお願いして、終了にしていただきましょう」
「それって……」
続いてやってきた言葉に、俺は押し黙ってしまう。
それはなにも、彼女に対する反発心や、戸惑いからきたものではない。
あくまで自然に口をついてでた言葉、反射的なものだ。
しかしフェレシーラからしてみれば、そうは見えなかったのだろう。
「元々、ハンサにまで協力を頼んだのはその場の思い付きからでした。久方ぶりに会った彼が、どれくらい成長していたのかを知りたくて……いま思えば、それなら自分で立ち会えばいい話なのに、なのに私はなぜだか貴方と戦えだなどと……本当に、どうしてそんなことを言い出したのか、自分でもわかりません」
無言の俺をなんとか説き伏せようと、少女が語り掛けてくる。
口調こそ丁寧ではあるが、どこか拙く、どこか子供っぽい……
まるで幼子が駄々をこねるようなその姿は、俺が知るフェレシーラのものではなかった。
いつでも前向きで、積極的。
なんでも自分でこなせて、物知りで世話好き。
ちょっと強引で口喧しいところがあって……でも心底頼りになる。
無敵の白羽根神殿従士、フェレシーラ・シェットフレン。
それが俺の知る彼女だった。
しかしいま目の前にいる少女は、そんな彼女とはかけ離れた存在に思える。
とは言え、俺はそれを不快に思うわけではない。
思うわけでは、ないが……
「大丈夫だ、フェレシーラ。試合の傷はお前が治してくれたし、体力だってこの通り――」
回復したから、問題はない。
だからこのままハンサとの試合に挑めるとばかりに、すっくとその場に立ち上がり、健在をアピールして見せようとして――
「あ、あれ――?」
そのまま俺は、ぐらりと大きく揺れた視界に驚き声をあげてしまっていた。
「フラム!」
そこに、悲鳴にも似た少女の声がやってくる。
上半身が、細腕に支えられる。
泣き出しそうな青い目が、こちらを覗き込んできてくる。
それがすべて、フェレシーラのものだということに……なぜだか俺は、すぐに気づくことが出来なかった。
「やはり、中止にしてもらいます。すぐにでも兵舎で休まれてください」
らしくない、と思った。
「ここまで来て、そういうわけにはいかないだろ」
彼女がフェレシーラらしくないのであれば、いまの俺もまた、らしくない。
フラム・アルバレットという人間は、こうではなかったはずだ。
「あっちはもう、その気になってるだろうしさ」
「だから、それは私がお願いをして」
そのことを自覚しながらも、俺はハッキリとかぶりを振っていた。
視線を横に向けると、そこにはハンサが練習用の長剣を手に歩み寄ってきていた。
奇妙な感覚があった。
試合を目前に控えた、俺の心の中にあった気持ちは明確だ。
フェレシーラを、安心させてやりたい。
多分それは、試合の中断を申し出ればきっと叶う。
普通であればやられっ放しで見逃してもらえない可能性はあるにしても、白羽根であるフェレシーラが頭を下げればそれで話は済むはずだ。
そう。
俺では駄目でも、彼女がそうすれば、済む話なのだ。
「フェレシーラ」
「はい」
名前だけの呼びかけに、しかし彼女はすぐに応えてきた。
だが、それ以上の言葉は発してはこない。
こちらの言葉を待っている。
俺の判断を、決断を、受け止めようとしてくれている。
不思議と、そんな気がした。
再び俺は、ハンサへと視線を向ける。
板金鎧に身を包んだ黒髪黒目の男。
開閉式兜を外したままなのは、イアンニに敬意を表してのことだろうか。
その泰然とした表情からは、意図を読み取ることは難しい。
だが、その実力が先の従士二人をも上回るであろうことだけは、俺にもわかる。
わかっている。
絶対に勝てない。確実に負ける。
自力が違う。体躯が違う。経験が違う。
なにもかもが、違う。
考えるまでもなく格上だ。それも超が付くほどの、格上。
試合に臨んだところで、なにも出来ずに終わるだけだろう。
中止が可能ならばそうしておくのが賢明だ。
頭では、それが十二分にわかっていた。
「なあ、フェレシーラ」
「はい」
「あのハンサって人は、お前が鍛えたんだろ? てことは……強いんだろ?」
「はい。そのとおりです」
再びの、少女とのやり取り。
今度は迷わず、思っていたことを口に出来た。
「彼がこの神殿に入殿して間もなく、指導に当たっていました。期間自体は、そう長くはありませんでしたが、筋がよく、瞬く間に成長していったことは覚えています。教団員の指導に及んだのは彼一人で、その後は公国中を転戦していましたので……四年ぶりの再会になります」
「そっか」
フェレシーラの答えに、俺はなぜだか素っ気ない返事に及んでしまう。
自分で聞いておいて、礼の一つも言えない。
酷い話だ。
でも……俺が続けて口にした言葉は、もっと酷いものだった。
「俺、あの人と戦いたい。ここでやめたくない」
「……はい」
俺の身勝手な要求に、僅かに遅れて。
しかしはっきりとした口調で、フェレシーラは頷きを返してくれていた。